青=現代語訳・下小文字=返り点・上小文字=送り仮名・解説=赤字
於レイテ是ニ項王乃チ欲三ス東シテ渡二ラント烏江ヲ。
是に於いて項王乃ち東して烏江を渡らんと欲す。
※「於レイテ是ニ」=そこで。こうして。
そこで項王は東へ進んで烏江を渡ろうとした。
烏江ノ亭長、檥レシテ船ヲ待ツ。謂二ヒテ項王一ニ曰ハク、
烏江の亭長、船を檥して待つ。項王に謂ひて曰はく、
烏江の亭長(=宿駅の長)は船を用意して待っていた。項王に向かって言うことには、
「江東雖レモ小ナリト、地ハ方千里、衆ハ数十万人アリ。
「江東小なりと雖も、地は方千里、衆は数十万人あり。
※「雖二モ ~一ト」=仮定、「 ~と雖(いへど)も」、「たとえ ~としても」
「江東は狭いといっても、土地は千里四方もあり、人口も数十万人はいます。
亦タ足レル王タルニ也。願ハクハ大王急ギ渡ランコトヲ。
亦た王たるに足るなり。願はくは大王急ぎ渡らんことを。
※「願ハクハ ~(セヨ)」=願望、「どうか ~させてください/どうか ~してください」
また、王となるにも十分な土地です。どうか大王よ、急いで渡って下さい。
今独リ臣ノミ有レリ船。漢軍至ルモ、無二カラント以テ渡一ルコト。」
今独り臣のみ船有り。漢軍至るも、以て渡ること無からん。」と。
※「独リ ~ノミ」=限定、「ただ ~だけ」
今、(ここでは)私だけが船を持っています。漢軍がやってきても、渡る方法はないでしょう。」と。
項王笑ヒテ曰ハク、「天之亡レボスニ我ヲ、我何ゾ渡ルコトヲ為サン。
項王笑ひて曰はく、「天の我を亡ぼすに、我何ぞ渡ることを為さん。
項王はそれを聞いて笑って言うことには、「天が私を滅ぼそうとしているのに、どうしてこの川を渡ったりしようか。(いや、しまい。)
且ツ籍与二江東ノ子弟八千人一、渡レリテ江ヲ而西セシモ、今無二シ一人ノ還一ルモノ。
且つ籍江東の子弟八千人と、江を渡りて西せしも、今一人の還るもの無し。
※而=置き字(順接・逆接)
その上、私は江東の子弟8千人と共に、江東を渡って西に進んだが、今一人も無事で帰ったものはいない。
縦ヒ江東ノ父兄憐ミテ而王レトストモ我ヲ、我何ノ面目アリテカ見レエン之ニ。
縦ひ江東の父兄憐みて我を王とすとも、我何の面目ありてか之に見えん。
※「縦ヒ ~トモ」=仮定、「たとえ ~だとしても/仮に ~であっても」
※而=置き字(順接・逆接)
たとえ江東の父兄たちが憐れんで私を王にしてくれたとしても、私はどんな面目があって彼らに会えるのか。(いや、面目なくて会えない。)
縦ヒ彼不レトモ言ハ、籍独リ不レラン愧二ヂ於心一ニ乎ト。」
縦ひ彼言わずとも、籍独り心に愧じざらんや」と。
※「縦ヒ ~トモ」=仮定、「たとえ ~だとしても/仮に ~であっても」
※「独リ ~ (セ)ン乎(哉)」=反語、「独り ~ (せ)んや」、「どうして ~だろうか。(いや、~ない。)」
たとえ彼らが何も言わなくても、私はどうして心に恥ずかしく思わずにいられようか。(いや、いられない。)」と。
乃チ謂二ヒテ亭長一二曰ハク、
乃ち亭長に謂ひて曰はく、
そこで(項王が)亭長に向かって言うことには、
「吾知二ル公ノ長者一ナルヲ。吾騎二ルコト此ノ馬一ニ五歳、所レ当タル無レシ敵。
「吾公の長者なるを知る。吾此の馬に騎ること五歳、当たる所敵無し。
「私はあなたが徳の高い人だということが分かった。私はこの馬に乗ること五年、向かう所敵はなかった。
嘗テ一日ニ行クコト千里ナリ。不レ忍レビ殺レスニ之ヲ。以テ賜レハント公ニ。」
嘗て一日に行くこと千里なり。之を殺すに忍びず。以て公に賜わん。」と。
かつては一日に千里も駆けたものだ。この馬を殺すのは忍びない。だからあなたに与えよう。」と。
乃チ令二メ騎ヲシテ皆下レリテ馬ヲ歩行一セ、持二シテ短兵一ヲ接戦ス。
乃ち騎をして皆馬を下りて歩行せしめ、短兵を持して接戦す。
※令=使役「令二ムAヲシテB一(セ)」→「AをしてB(せ)しむ」→「AにBさせる」
短兵=刀剣などの短い武器
そこで(項王は)騎兵を全員馬から下ろして歩かせ、短い刀剣を持って接近戦を行った。
独リ項王ノ所レノ殺ス漢軍、数百人ナリ。項王身ヅカラモ亦タ被二ル十余創一ヲ。
独り項王の殺す所の漢軍、数百人なり。項王身づからも亦た十余創を被る。
一人で項王が殺した漢軍の兵は、数百人であった。項王自らもまた十数か所の傷を負った。
顧ミテ見二テ漢ノ騎司馬呂馬童一ヲ曰ハク、「若ハ非二ズ吾ガ故人一ニ乎ト。」
顧みて漢の騎司馬呂馬童を見て曰はく、「若は吾が故人に非ずや。」と。
※騎司馬=官名、騎兵を指揮する隊長。呂馬童=もとは項王の部下だったが、現在は沛公側にいる。
※乎=や、疑問
振り返って漢の騎司馬の呂馬童を見ていうことには、「あなたは私の旧友ではないか。」と。
馬童面レシ之ニ、指二サシテ王翳一二曰ハク、「此レ項王也ト。」
馬童之に面し、王翳に指さして曰はく、「此れ項王なり。」と。
※面=顔を向ける、顔をそむける。王翳=漢の騎将灌嬰(かんえい)の配下の武将、現在項王を追撃している
呂馬童は[顔を見てor 顔をそむけて]、項王を指差して王翳に言った。「この人が項王です。」と。
項王乃チ曰ハク、
項王乃ち曰はく、
項王はそこで(呂馬童に)言った。
「吾聞ク、『漢購二フト我ガ頭ヲ千金邑万戸一ニ。』吾為レニ若ガ徳セシメント。」
「吾聞く、『漢我が頭を千金邑万戸に購ふ。』と。吾若が為に徳せしめん。」と。
※購=賞を懸けて求める
※使役=「~(セ)シム。」→「~させる。」 文脈から判断して使役の意味でとらえることがある。
「私が聞いたところによると、『漢が私の首に千金と戸数一万ほどの土地を懸賞にしている。』ということである。私がお前のために恩恵を施してやろう。」と。
乃チ自刎シテ而死セリ。
乃ち自刎して死せり。
そこで(項王は)自ら自分の首を切って死んだ。