青=現代語訳・下小文字=返り点・上小文字=送り仮名・解説=赤字
或ヒト曰ハク、「天道ハ無レシ親。常ニ与二スト善人一ニ。」
或ひと曰はく、「天道は親無し。常に善人に与す。」と。
ある人が言うことには、「天道は(特定の人だけを)えこひいきしない。いつも善人に味方する。」と。
若二キハ伯夷・叔斉一ノ、可レキ謂二フ善人一ト者カ、非邪。
伯夷・叔斉のごときは善人と謂ふべき者か、非か。
※「 ~歟[邪・乎・也・哉・耶・与]」=疑問、「 ~か(や)」、「 ~か」
伯夷・叔斉のような人は善人というべき者か、そうではないか。
積レミ仁ヲ潔レクスルコト行ヒヲ如レクニシテ此クノ而餓死セリ。
仁を積み行ひを絜くすること此くのごとくにして餓死せり。
※而=置き字(順接・逆接)
仁徳を積み、行いを清らかにすることはこの通りであるのに、餓死してしまった。
且ツ七十子之徒、仲尼独リ薦二メテ顔淵一ヲ為レス好レムト学ヲ。
且つ七十子の徒、仲尼独り顔淵を薦めて学を好むと為す。
また、(孔子の)七十人の弟子の内、仲尼(=孔子)はただ一人顔淵だけを推薦して学問を好む者とした。
然レドモ回也屢空シ、糟糠不レシテ厭カ、而卒ニ蚤夭セリ。
然れども回や屢空し、糟糠厭かずして、卒に蚤夭せり。
※糟糠=酒かすや米ぬか。貧乏生活の粗末な食事の例え。
しかし回(=顔淵)はしばしば無一文となり、粗末な食事さえ満足に取れず、とうとう若死にしてしまった。
天之報-二施スルコト善人一ニ、其レ何如ゾ哉。
天の善人に報施すること、其れ何如ぞや。
※何如=疑問・反語、「何如」、「~はどうであるか。」
天が善人に報いるのならば、これはいったいどういうことなのだろうか。
盗蹠日ニ殺二シ不辜一ヲ、肝二シ人之肉一ヲ、暴戻恣睢、聚レムルコト党ヲ数千人、横二-行スルモ天下一ニ、竟ニ以レテ寿ヲ終ハル。
盗蹠日に不辜を殺し、人の肉を肝し、暴戻恣睢、党を聚むること数千人、天下に横行するも、竟に寿を以て終はる。
盜蹠は毎日罪のない人を殺し、人の肉を細かく切って(食べ)、暴虐で勝手気ままなふるまいをし、数千人で徒党を組んで、天下で暴れまわったが、結局天寿を全うして死んだ。
是レ遵二フ何ノ徳一ニ哉。此其ノ尤モ大イニ彰明較著ナル者也。
是れ何の徳に遵ふや。此其の尤も大いに彰明較著なる者なり。
※「何ノ ~ や・か(哉・乎・邪など)」=疑問、「 ~ か。」
これは何の徳を守ったからなのだろうか。これらの話はその(「天道は親無し。常に善人に与す。」という言葉の是非が)もっとも大いに明白なものである。
若下キ至二リ近世一ニ、操行不軌、専ラ犯二スモ忌諱一ヲ、而終身逸楽富厚、累世不レ絶エ。或イハ択レビテ地ヲ而踏レミ之ヲ、時アリテ然ル後ニ出レダシ言ヲ、行クニ不レ由レラ径ニ、非二ズンバ公正一ニ不レルモ発レセ憤リヲ、而遇中フガ禍災上ニ者ハ、不レル可二カラ勝ゲテ数一フ也。
近世に至り、操行不軌、専ら忌諱を犯すも、終身逸楽富厚、累世絶えず。或いは地を択びて之を踏み、時ありて然る後に言を出だし、行くに径に由らず、公正に非ずんば憤りを発せざるも、禍災に遇ふがごとき者は、勝げて数ふべからざるなり。
※「不レ可二カラ勝ゲテ ~一(ス)」=不可能、「勝げて ~(す)べからず」、「 ~しきれないほどだ。」
近世に至っても、行いが道に外れ、ひたすら国の禁令を犯していても、一生を楽しんで裕福に暮らし、子孫も代々続いて絶えない(者がいる)。また一方で慎重に行動し、しかるべき時を待って発言し、行くのにも正当でない小道を通らず、公正でなければ怒りを発さないのに、わざわいや災難に遭うような者は、数え切れないほどである。
余甚ダ惑ヘリ焉。儻イハ所謂天道ハ是邪、非邪。
余甚だ惑へり。儻いは所謂天道は是か、非か。
※焉=置き字(断定・強調)
※「 ~ や・か(哉・乎・邪など)」=疑問、「 ~ か。」
私は非常に困惑してしまう。もしも天道というものがあるとすれば正しいのであろうか、間違っているのだろうか。
伯夷・叔斉『天道是邪、非邪』(1)原文・書き下し文・現代語訳 「伯夷・叔斉は、狐竹君の二子なり。~」