青=現代語訳・下小文字=返り点・上小文字=送り仮名・解説=赤字
伯夷・叔斉ハ、孤竹君之二子也。
伯夷・叔斉は、狐竹君の二子なり。
伯夷・叔斉は、孤竹の国の君主の二人の子供であった。
父欲レス立二テント叔斉一ヲ。
父叔斉を立てんと欲す。
父(=孤竹君)は叔斉を跡継ぎに立てようと思っていた。
及二ビ父卒一スルニ、叔斉譲二ラントス伯夷一ニ。
父卒するに及び、叔斉伯夷に譲らんとす。
父が亡くなると、叔斉は(兄である)伯夷に(跡継ぎの座を)譲ろうとした、
伯夷曰ハク、「父ノ命也ト。」
伯夷曰はく、「父の命なり。」と。
伯夷が言うことには、「父の命令である。」と。
逐ニ逃レ去ル。
逐に逃れ去る。
とうとう(伯夷は孤竹から)逃げ去ってしまった。
叔斉モ亦不レシテ肯レゼ立ツヲ而逃レル之ヲ。
叔斉も亦立つを肯ぜずして之を逃る。
※而=置き字(順接・逆接)
叔斉もまた、跡継ぎになるのを承知せずに逃げた。
国人立二ツ其ノ中子一ヲ。
国人其の中子を立つ。
(孤竹の)国の人々は間の子(=伯夷の弟であり、叔斉の兄である子)を跡継ぎに立てた。
於レイテ是ニ伯夷・叔斉聞二キ西伯昌ノ善ク養一レフヲ老ヲ、盍二ゾ/ルト往キテ帰一セ焉。
是に於いて伯夷・叔斉西伯昌の善く老を養ふを聞き、盍ぞ往きて帰せざると。
※「於レイテ是ニ」=そこで。こうして。
※「盍二ゾ/ル ~一(セ)」=再読文字、「盍ぞ ~(せ)ざる」、「どうして~しないのか。(いや、~すればよい。)」
※焉=置き字(断定・強調)
こうして伯夷と叔斉は西伯昌(=周の国の王)がとても老人を大切にするということを聞いて、どうしてそこへ行って身を寄せないのか。(いや、身を寄せればよいと思った。)
及レビ至二ルニ西伯卒一スルニ、武王載二セ木主一ヲ、号シテ為二シ文王一ト、東ノカタ伐レツ紂ヲ。
西伯卒するに至るに及び、武王木主を載せ、号して文王と為し、東のかた紂を伐つ。
(そして、)西伯が亡くなった際に到着すると、(西伯の子である)武王が(西伯の)位牌を(車に)載せ、(西伯を)名付けて文王として、東の方の(殷の)紂王を討とうとした。
伯夷・叔斉、叩レヘテ馬ヲ而諫メテ曰ハク、「父死シテ不レ葬ラ、爰ニ及二ブ干戈一ニ、可レキ謂レフ孝乎。
伯夷・叔斉、馬を叩へて諫めて曰はく、「父死して葬らず、爰に干戈に及ぶ、孝と謂ふべきか。
伯夷と叔斉は、馬を引き止めて諌めて言うことには、「父親が亡くなって葬儀もせず、こんな時に戦争をする、(これを)孝と言えましょうか。(いいえ、言えません。)
※孝=親によく仕え、大切にすること。
以レテ臣ヲ弑レス君ヲ、可レキ謂レフ仁ト乎ト。」
臣を以て君を弑す、仁と謂ふべきか。」と。
家臣の身で主君を殺す、(これを)仁と言えましょうか。(いいえ、言えません。)」と。
※仁=思いやりの心
左右欲レス兵レセント之ヲ。
左右之を兵せんと欲す。
※兵=武器を用いて殺す
側近の者が伯夷と叔斉を殺そうとした。
太公曰ハク、「此レ義人也ト。」
太公曰はく、「此れ義人なり。」と。
※義=人として行うべき正しい道
太公が言うことには、「彼らは人として行うべき正しい道を守る者である。」と。
扶ケテ而去レラシム之ヲ。
扶けて之を去らしむ。
※而=置き字(順接・逆接)
※使役=「~(セ)シム。」→「~させる。」 文脈から判断して使役の意味でとらえることがある。
手助けをして彼らを立ち去らせた。
武王已ニ平二ラゲ殷ノ乱一ヲ、天下宗レトスルモ周ヲ、
武王已に殷の乱を平らげ、天下周を宗とするも、
武王はやがて殷の乱を平定し、天下は周を王としたが、
而伯夷・叔斉恥レヂ之ヲ、義トシテ不レ食二ラハ周ノ粟一ヲ。
伯夷・叔斉之を恥ぢ、義として周の粟を食らはず。
※而=置き字(順接・逆接)
※義=人として行うべき正しい道
伯夷と叔斉はこれ(=周を王とすること)を恥じ、(自分たちの行いこそが)義として(周から支給される)周の穀物を食べなかった。
隠二レ於首陽山一ニ、采レリテ薇ヲ而食レラフ之ヲ。
首陽山に隠れ、薇を采りて之を食らふ。
※於=置き字(対象・目的)
首陽山に隠れ住み、薇を採って食べた。
及二ビ餓ヱテ且一レニ/ルニ死セント、作レル歌ヲ。
餓ゑて且に死せんとするに及び、歌を作る。
※「且ニニ ~一(セ)ント」=再読文字、「且に ~(せ)んとす」、「いまにも ~しようとする/ ~するつもりだ」
餓えて今にも死にそうになった時に歌を作った。
其ノ辞ニ曰ハク、
其の辞に曰はく、
その歌の詩に言うことには、
登二リ彼ノ西山一ニ兮 采二ル其ノ薇一ヲ矣
彼の西山に登り 其の薇を采る
※兮=置き字(語調を整える・感嘆・強調)
※矣=置き字(断定・強調)
あの西山(=首陽山)に登り、 そこの蕨を採る。
以レテ暴ヲ易レヘ暴ニ兮 不レ知二ラ其ノ非一ヲ矣
暴を以て暴に易へ 其の非を知らず
(武王は)暴力を用いて暴力(=横暴であった殷)に取って代わり、 それが道理に外れていることを理解しない。
神農・虞・夏忽焉トシテ没ス兮 我安クニカ適帰セン矣。
神農・虞・夏忽焉として没す 我安くにか適帰せん。
※「安クニカ ~(セ)ン(ヤ)」=反語、「どこに ~だろうか。(いや、どこにも ~ない。)」
(古代の伝説上の聖人である)神農・虞・夏はたちまちに滅んでしまった。 私はどこに身を寄せようか。(いや、どこにも身を寄せようがない。)
于嗟徂カン兮 命之衰ヘタルカナト矣
于嗟徂かん 命の衰へたるかなと
ああ、死のう。 命運も衰えてしまったなあ。 と。
遂ニ餓-二死ス於首陽山一ニ。
遂に首陽山に餓死す。
こうして首陽山で餓死してしまった。
由レリテ此ニ観レレバ之ヲ、怨ミタル邪非ザル邪。
此に由りて之を観れば、怨みたるか非ざるか。
※「 ~歟[邪・乎・也・哉・耶・与]」=疑問、「 ~か(や)」、「 ~か」
このことから考えてみると、(伯夷と叔斉は死に際にこの世を)怨んだのであろうか、そうではないのか。
続きはこちら伯夷・叔斉『天道是邪、非邪』(2)原文・書き下し文・現代語訳 「或ひと曰はく、「天道は親無し。常に善人に与す。」と。~」