【樊噲目を瞋らして項王を視る。】
青=現代語訳・下小文字=返り点・上小文字=送り仮名・解説=赤字
於レイテ是二張良至二リ軍門二、見二ル樊噲ヲ。
是に於いて張良軍門に至り、樊噲を見る。
※「於レイテ是二」=そこで・こうして
そこで張良(=沛公の参謀)は軍門に行き、樊噲(=沛公の家来)と会った。
樊噲曰ハク、「今日之事何-如ト。」
樊噲曰はく、「今日の事何如。」と。
※何如=疑問・反語、「何如」、「~はどうであるか。」
樊噲が言うことには、「今日の様子はどうであるか。」と。
良曰ハク、「甚ダ急ナリ。今-者項荘抜レキテ剣ヲ舞フ。其ノ意常二在二ル沛公一二也ト。」
良曰はく、「甚だ急なり。今者項荘剣を抜きて舞ふ。其の意常に沛公に在るなり。」と。
張良言うことには、「大変に(事態が)切迫している。今、項荘が剣を抜いて舞っている。その狙いは沛公(を殺すこと)にある。」と。
噲曰ハク、「此レ迫レリ矣。臣請フ、入リテ与レ之同レジクセント命ヲ。」
噲曰はく、「此れ迫れり。臣請ふ、入りて之と命を同じくせん」と。
※「請フ ~」=願望、「どうか ~ させてください、どうか ~ してください」
樊噲が言うことには、「それは(事態が)切迫している。どうか宴席に入って沛公と命をともにさせていただきたい。」と。
噲即チ帯レビ剣ヲ擁レシテ盾ヲ入二ル軍門一二。
噲即ち剣を帯び盾を擁して軍門に入る。
樊噲はすぐに剣を携え盾を抱えて軍門に入った。
交戟之衛士、欲二ス止メテ不一レラント内レ。
交戟の衛士、止めて内れざらんと欲す。
戟を十字に交えて立っていた門番の兵士は、止めて中に入らせまいとした。
樊噲側二テテ其ノ盾一ヲ、以テ撞ク。衛士仆レル地二。
樊噲其の盾を側てて、以て衛士を撞く。地に仆る。
(しかし、)樊噲は持っていた盾を傾けて、門番の兵士を突いた。すると兵士は地面に倒れた。
噲遂二入リ、披レキテ帷ヲ西嚮シテ立チ、瞋レラシテ目ヲ視二ル項王一ヲ。
噲遂に入り、帷を披きて西嚮して立ち、目を瞋らして項王を視る。
樊噲はそのまま中に入り、幕を押し開き西を向いて立ち、目を大きく開いて項王を見た。
頭髪上指シ、目眦尽ク裂ク。
頭髪上指し、目眦尽く裂く。
髪の毛は逆立ち、まなじりは完全に裂けている。
項王按レジテ剣ヲ而跽キテ曰ハク、「客何為ル者ゾ。」
項王剣を按じて跽きて曰はく、「客何為る者ぞ。」と。
※而=置き字(順接・逆接)
項王は剣に手をかけて、片膝を立てて身構えて、「おまえは何者だ。」と言った
張良曰ハク、「沛公之参乗樊噲トイフ者也ト。」
張良曰はく、「沛公の参乗樊噲といふ者なり。」と。
張良は、「沛公の同乗者、樊噲という者です。」と言った。
項王曰ハク、「壮士ナリ。賜二ヘト之二卮酒一ヲ。」
項王曰はく、「壮士なり。之に卮酒を賜へ。」と。
項王は、「壮士である。大杯の酒を与えよ。」と言った。
則チ与二フ斗卮酒一ヲ。噲拝謝シテ起チ、立チナガラニシテ而飲レム之ヲ。
則ち斗卮酒を与ふ。噲拝謝して起ち、立ちながらにして之を飲む。
そこで大杯の酒を与えた。樊噲は慎んで礼を言って立ち上がり、立ったままでこれを飲んだ。
項王曰ハク、「賜二ヘト之二彘肩一ヲ。」
項王曰はく、「之に彘肩を賜へ。」と。
項王は、「この者に豚の肩肉を与えよ。」と言った。
則チ与二フ一ノ生彘肩一ヲ。
則ち一の生彘肩を与ふ。
そこで一塊の生の豚の肩肉を与えた。
樊噲覆二セ其ノ盾ヲ於地一二、加二ヘ彘肩ヲ上一二、抜レキ剣ヲ切リテ而啗レラフ之ヲ。
樊噲其の盾を地に覆せ、彘肩を上に加へ、剣を抜き切りて之を啗らふ。
樊噲は盾を地面にふせ、豚の肩肉をその上にのせ、剣を抜いてそれを切ってむさぼり食った。
項王曰ハク、「壮士ナリ。能ク復タ飲ム乎ト。」
項王曰はく、「壮士なり。能く復た飲むか」と。
※能ク=能く~できる
※「 ~ や・か(哉・乎・邪など)」=疑問、「 ~ か。」
項王は、「壮士である。まだ飲めるか。」と言った。
樊噲曰ハク、「臣死スラ且ツ不レ避ケ。卮酒安クンゾ足レラン辞スルニ。
樊噲曰はく、「臣死すら且つ避けず。卮酒安くんぞ辞するに足らん。
※「Aスラ且ツB。C安クンゾD(セ)ン」=抑揚、「Aすら且(か)つB。C安くんぞD(せ)ん」、「AでさえBだ。ましてCはどうしてDするだろうか。(いや、ない。)」
樊噲が言うことには、「私は死さえ避けようとはしません。まして大杯の酒くらい、どうして断りましょうか。
夫レ秦王有二リ虎狼之心一。
夫れ秦王虎狼の心有り。
そもそも秦王には虎狼の(ように残忍な)心がありました。
殺レスコト人ヲ如レク不レルガ能レハ挙グル、刑レスルコト人ヲ如レシ恐レルルガ不レルヲ勝ヘ。
人を殺すこと挙ぐる能はざるがごとく、人を刑すること勝へざるを恐るるがごとし。
※「不レ能二ハA一(スル)(コト)」=不可能、「 ~(する)(こと)能はず」「(能力がなくて) ~Aできない」
(その秦王は)人を殺すこと、多すぎて数え上げることができないほどであり、人を刑に処すること、あまりに多くて処刑しきれないのを恐れるほどです。
天下皆叛レク之ニ。
天下皆之に叛く。
(だから、)天下の人々は皆秦にそむいてしまったのです。
懐王与二諸将一約シテ曰ハク、『先ヅ破レリテ秦ヲ入二ル咸陽一ニ者ハ王レトセント之二。』
懐王諸将と約して曰はく、『先づ秦を破りて咸陽に入る者は之に王とせん。』と。
懐王は諸将と約束して、『先に秦を破って咸陽に入った者を王としよう。』と言いました。
今沛公先ヅ破レリテ秦ヲ入二ル咸陽一ニ。
今沛公先づ秦を破りて咸陽に入る。
今、沛公は先に秦を破って咸陽に入りました。
毫毛モ不二シテ敢ヘテ有一レラ所レ近ヅクル、
毫毛も敢へて近づくる所有らずして、
※「不二敢ヘテ ~一(せ)」=「しいて(無理に) ~しようとはしない。/ ~するようなことはしない」
(それなのに王としてふるまうことなく)ほんの少しも自分から(財産などに)近づこうとはしないで、
封-二閉シ宮室一ヲ、還リテ軍二シテ覇上一ニ、以ツテ待二テリ大王ノ来一タルヲ。
宮室を封閉し、還りて覇上に軍し、以って大王の来たるを待てり。
宮室を封鎖し、引き返して覇上に軍を置き、そうして大王(=項王)が来られるを待ったのです。
故ニ遣レハシ将ヲ守レラシメシ関ヲ者ハ、備三ヘシ他盗ノ出入ト与二ニ非常一也。
故に将を遣はし関を守らしめし者は、他の盗の出入と非常とに備へしなり。
わざわざ将兵を派遣し函谷関を守らせたのは、他国の盗賊の出入りと非常事態に備えてのことなのです。
労苦ダシクシテ而功高キコト如レシ此クノ。
労苦だしくして功高きこと此くのごとし。
(沛公の)苦労は相当なもので、功績が大きいことはこのようであります。
未レダ有二ラ封侯之賞一。
未だ封侯の賞有らず。
※「未ニダ ~ 一(セ)」=再読文字、「未だ ~(せ)ず」、「まだ ~(し)ない」
(それにもかかわらず、)まだ諸侯に封じるとの恩賞がありません。
而ルニ聴二キテ細説一ヲ、欲レス誅二セント有功之人一ヲ。
而るに細説を聴きて、有功の人を誅せんと欲す。
しかし、(大王は)つまらない者の言うことを聞いて、功績のある人を罰して殺そうとしています。
此レ亡秦之続耳。窃カニ為二ニ大王一ノ不レル取ラ也ト。」
此れ亡秦の続のみ。窃かに大王の為に取らざるなり」と。
※「~ 耳」=限定「~ のみ」「~ だけだ」
これは滅びた秦の二の舞としか言えません。恐縮ですが、大王のために賛成しないのであります。」と。
項王未レダ有二ラ以ツテ応一フルコト。
項王未だ以って応ふること有らず。
※「未ニダ ~ 一(セ)」=再読文字、「未だ ~(せ)ず」、「まだ ~(し)ない」
項王はまだ返答しない。
曰ハク、「坐セヨト。」
曰はく、「坐せよ」と。
(そして項王は、)「座れ。」と言った。
樊噲従レヒテ良ニ坐ス。
樊噲良に従ひて坐す。
樊噲は張良の隣に座った。
坐スルコト須臾ニシテ、沛公起チテ如レキ廁ニ、因リテ招二キテ樊噲一ヲ出ヅ。
坐すること須臾にして、沛公起ちて廁に如き、因りて樊噲を招きて出ず。
座ってしばらくすると、沛公は立ち上がって便所へ行き、そこで樊噲を招いて外に出た。
続きはこちら鴻門之会(史記)(5)原文・書き下し文・現代語訳 「沛公已に出づ。項王都尉陳平をして沛公を召さしむ。~」