青=現代語訳・下小文字=返り点・上小文字=送り仮名・解説=赤字
楚軍行略-二定シ秦ノ地一ヲ、至二ル函谷関一ニ。
楚軍行秦の地を略定し、函谷関に至る。
楚軍は進みながら秦の地を攻略し平定して、函谷関に着いた。
有レリ兵守レリ関ヲ、不レ得レ入ルヲ。
兵有り関を守り、入るを得ず。
※「不レ得二 ~一(スル)ヲ」=不可能、「 ~(する)を得ず」、「(機会がなくて) ~できない。」
(しかし、そこには沛公の)兵がいて関を守っていて、入ることができなかった。
又聞三キ沛公已ニ破二ルト咸陽一ヲ、項羽大イニ怒リ、使二ム当陽君等ヲシテ撃一レタ関ヲ。
又沛公已に咸陽を破ると聞き、項羽大いに怒り、当陽君等をして関を撃たしむ。
※使=使役「使二ムAヲシテB一(セ)」→「AをしてB(せ)しむ」→「AにBさせる」
また、沛公がすでに咸陽を破ったと聞いて、項羽は大いに怒り、当陽君らに関を攻撃させた。
項羽遂ニ入リテ、至二ル于戯西一ニ。
項羽遂に入りて、戯西に至る。
※于=置き字(場所)
項羽はそのまま(関に)入って、戯西にまで行った。
沛公軍二シ覇上一ニ、未レダ得下与二項羽一相見上ユルヲ。
沛公覇上に軍し、未だ項羽と相見ゆるを得ず。
※「未ニダ ~ 一(セ)」=再読文字、「未だ ~(せ)ず」、「まだ ~(し)ない」
※「不レ得二 ~一(スル)ヲ」=不可能、「 ~(する)を得ず」、「(機会がなくて) ~できない。」
沛公は覇水のほとりに陣し、まだ項羽と会見することができないでいた。
沛公ノ左司馬曹無傷、使三メテ人ヲシテ言二ハ於項羽一ニ曰ハク、
沛公の左司馬曹無傷、人をして項羽に言はしめて曰はく、
※使=使役「使二ムAヲシテB一(セ)」→「AをしてB(せ)しむ」→「AにBさせる」
沛公の軍政官である曹無傷が、人を遣わして項羽に対して言わせたことには、
「沛公欲レシ王二タラント関中一ニ、使二メ子嬰ヲシテ為一レラ相、珍宝尽ク有レスト之ヲ。」
「沛公関中に王たらんと欲し、子嬰をして相為らしめ、珍宝尽く之を有す。」と。
※使=使役「使二ムAヲシテB一(セ)」→「AをしてB(せ)しむ」→「AにBさせる」
「沛公は関中の王になりたいと思っており、子嬰(=秦の始皇帝の孫)を丞相にして、(秦の)すばらしい宝をすべて自分のものとしてしまった。」と。
項羽大イニ怒リテ曰ハク、「旦日饗二セヨ士卒一ヲ。為三サント撃-二破スルコトヲ沛公ノ軍一ヲ。」
項羽大いに怒りて曰はく、「旦日士卒を饗せよ。沛公の軍を撃破することを為さん。」と。
項羽が大いに怒って言うことには、「明朝、(士気を上げるために)兵士たちにごちそうしてもてなせ。沛公の軍を討ち破ってしまおう。」と。
当二タリ是ノ時一ニ、項羽ノ兵ハ四十万、在二リ新豊ノ鴻門一ニ。
是の時に当たり、項羽の兵は四十万、新豊の鴻門に在り。
この時、項羽の兵は四十万で、新豊の鴻門に陣していた。
沛公ノ兵ハ十万、在二リ覇上一ニ。
沛公の兵は十万、覇上に在り。
沛公の兵は十万で、覇水のほとりに陣していた。
范増説二キテ項羽一ニ曰ハク、「沛公居二リシ山東一ニ時、貪二リ於財貨一ヲ、好二メリ美姫一ヲ。
范増項羽に説きて曰はく、「沛公山東に居りし時、財貨を貪り、美姫を好めり。
※於=置き字(対象・目的)
范増が項羽に説いて言うことには、「沛公は山東にいた時、財貨を貧り、美人を好んでいた。
今入レリテ関ニ、財物無レク所レ取ル、婦女無レシ所レ幸スル。此レ其ノ志不レ在レラ小ニ。
今関に入りて、財物取る所無く、婦女幸する所無し。此れ其の志小に在らず。
今、函谷関に入って、財宝を奪い取ることもなく、婦人を寵愛することもない。これは沛公の志が小さなものではないということです。
吾令三ムルニ人ヲシテ望二マ其ノ気一ヲ、皆為二シ竜虎一ヲ、成二ス五采一ヲ。
吾人をして其の気を望ましむるに、皆竜虎を為し、五采を成す。
※令=使役「令二ムAヲシテB一(セ)」→「AをしてB(せ)しむ」→「AにBさせる」
私が人をやって沛公の体から立ちのぼる気を遠くから見て来させたところ、みな竜や虎の形となり、五色の模様をしていました。
此レ天子ノ気也。急ギ撃チ、勿レカレト失スルコト。」
此れ天子の気なり。急ぎ撃ち、失すること勿かれ。」と。
※「勿二カレA一スル(コト)」=禁止、「Aしてはならない」
これは天子の気です。急いで攻撃を仕掛け、取り逃がすことのないようにしなければなりません。」と。
続きはこちら鴻門之会(史記)(2)原文・書き下し文・現代語訳「沛公旦日百余騎を従へ、~」