漢文

孫臏『遂に豎子の名を成さしむ / 孫臏(斉軍)VS龐涓(魏軍)』原文・書き下し文・現代語訳

青=現代語訳・下小文字=返り点・上小文字=送り仮名・解説=赤字

 

前編はこちら孫臏『斉の威王の師と為る』原文・書き下し文・現代語訳 「孫臏は嘗て龐涓と、倶に兵法を学ぶ。~」 「忌数斉の諸公子と馳逐重射す。~」

 

要約:孫臏・田忌(斉軍)と龐涓(魏軍)の争いが勃発。孫臏は、龐涓が斉の軍が臆病だと思っていることを利用して勝利した。

 

 

()趙攻。韓告於斉

()(ちょう)(かん)()む。(かん)(きゅう)(せい)()ぐ。

※於=置き字(対象・目的)

魏は趙と共に韓を攻めた。韓はこの緊急事態を斉に告げた。

 

 

使()田忌ヲシテトシテ而往、直チニ大梁

(せい)(でん)()して(しょう)として()き、(ただ)ちに(たい)(りょう)(はし)らしむ

※而=置き字(順接・逆接)

※使=使役「使ヲシテ(セ)」→「AをしてB(せ)しむ」→「AにBさせる」

斉は田忌を将軍として出撃させ、直ちに大梁(=魏の都)に向かわせた。

 

 

将龐涓聞、去リテ而帰

()(しょう)(ほう)(けん)(これ)()(かん)()りて(かえ)る。

 

魏の将軍の龐涓はこれを聞き、韓を去って(魏に)帰った。

 

 

斉軍既已リテ而西矣。

(せい)(ぐん)()()(よぎ)りて西(にし)す。

※矣=置き字(断定・強調)

斉の軍はすでに国境を越えて西へ向かっていた。

 

 

孫子謂ヒテ田忌ハク、「彼三晋()、素ヨリ悍勇ニシテ而軽ンジ、斉ヲバシテ

(そん)()(でん)()()ひて()く、「()(さん)(しん)(へい)(もと)より(かん)(ゆう)にして(せい)(かろ)んじ、(せい)をば(ごう)して(きょう)()す。

 

孫臏が田忌に向かって言うことには、「あの魏の兵は、もともと気が荒く勇ましくて斉を軽んじ、斉を臆病者と呼んでいます。

※三晋の兵=ここでは魏の兵のことを指している。三晋とは、晋が分裂してできた韓・魏・趙の三つの国のこと。

 

 

、因リテ而利-

()(たたか)(もの)()(せい)()りて(これ)()(どう)す。

 

うまく戦う者は、その形勢(=敵が悍勇で味方が怯であるという形勢)を利用して自軍を勝利に導くものです。

 

 

兵法、『百里ニシテ而趣サレ上将、五十里ニシテ而趣ルト。』

(へい)(ほう)に、(ひゃく)()にして()(おもむ)(もの)(じょう)(しょう)(たお)され、()(じゅう)()にして()(おもむ)(もの)(ぐん)(なか)(いた)。』と。

 

兵法には、『一日に百里を進軍して勝利に走るものは総大将が倒され、五十里を進軍して勝利に走る者は(自軍の兵が逃亡するなどして)軍の半分だけしか到着しない。』とあります。

 

 

使メヨト斉軍ヲシテラバ十万竈、明日為五万竈、又明日為三万竈。」

(せい)(ぐん)をして()()()らば(じゅう)(まん)(そう)(つく)り、(みょう)(にち)()(まん)(そう)(つく)り、(また)(みょう)(にち)(さん)(まん)(そう)(つく)らしめよ。」と。

※使=使役「使ヲシテ(セ)」→「AをしてB(せ)しむ」→「AにBさせる」

魏の地に入ったら斉の軍にかまどを十万台作らせ、その翌日にかまどを五万台作らせ、さらにその翌日にかまどを三万台作らせなさい。」と。

※徐々にかまどを作る数を減らしていき、人員が減っていると敵に思わせる作戦。



 

 

龐涓行クコト三日、大イニビテハク、「我固ヨリ斉軍ナルヲ。入ルコト三日ニシテ、士卒グル者過グトバヲ矣。」

(ほう)(けん)()くこと(さん)(じつ)(おお)いに(よろこ)()はく、「(われ)(もと)より(せい)(ぐん)(きょう)なるを()る。()()()ること(さん)(じつ)にして、()(そつ)()ぐる(もの)(なか)ばを()ぐ。」と。

※矣=置き字(断定・強調)

龐涓が軍を進めて行くこと三日、大いに喜んで言うことには、「私はもともと斉の軍が臆病であることを知っている。和が領地に入って三日間で、兵士の逃亡者が半数を超えた。」と。

 

 

テテ步軍()軽鋭ニシテキテ

(すなわ)()()(ぐん)()て、()(けい)(えい)()(ばい)して(なら)()きて(これ)()

 

そこで(龐涓は自軍の)その歩兵を置いて行き、身軽ですばやい兵士と、一日で二日分の行程を進んで斉の軍を追った。

 

 

孫子度ルニ、暮レニ(まさ/べ)/馬陵

(そん)()()(こう)(はか)るに、()(まさ)()(りょう)(いた)るべし。

※「(まさ/べ)ニ/シ ~(ス)」=再読文字、「当に ~(す)べし」、「~すべきである・きっと~のはずだ」

孫臏はその行軍の速度を計算すると、ちょうど夕方に馬陵に到着するはずであった。

 

 

馬陵道狭、而阻隘()

()(りょう)(みち)(せま)く、(しか)(かたわ)()(あい)(おお)く、(へい)(ふく)すべし。

 

馬陵は道幅が狭く、しかも近くには険しく狭い場所が多くて、伏兵を忍ばせることができる。

 

 

大樹、白クシテ而書シテハク、「龐涓死スト于此樹之下。」

(すなわ)(たい)(じゅ)()り、(しろ)くして(これ)(しょ)して()はく、「(ほう)(けん)()()(もと)()す。」と。

※于=置き字(場所)

そこで(孫臏は)大樹(の幹)を削り、白くしてそこに、「龐涓はこの樹の下で死ぬ。」と書いた。

 

 

イテシテ斉軍クスル、万弩モテミテ而伏セシム

(ここ)()いて(せい)(ぐん)(せき)()する(もの)(れい)して、(ばん)()もて(みち)(はさ)みて(ふく)せしむ。

※「於イテ」=そこで。こうして。

※而=置き字(順接・逆接)

こうして、斉の軍の中で弓の扱いに優れた者に命じて、たくさんの弓を持たせて道を挟んで待ち伏せさせた。

 

 

シテハク、「暮レニガルヲ而俱セヨト。」

()して()はく、「()れに()()がるを()(とも)(はっ)せよ。」と。

 

前もって(孫臏が作戦を)言うことには、「夕方に火がともるのを見たら、いっせいに(矢を)発射せよ。」と。

 

 

龐涓果タシテ夜至斫木、見白書

(ほう)(けん)()たして(よる)(しゃく)(ぼく)(もと)(いた)り、(はく)(しょ)()る。

 

龐涓は予想通り夜に、文字を刻んだ木の下に到着し、刻まれた文字のところを見た。

 

 

(すなわ)()()(これ)(とも)す。

 

そこで(龐涓は)きりもみして火を出し、その文字を照らした。

 

 

(いま/ざ)/ルニハラ、斉軍万弩俱

()(しょ)()み、(いま)()はらざるに、(せい)(ぐん)(ばん)()(とも)(はっ)す。

 

その文章を読んだが、まだ読み終わらないうちに、斉軍のたくさんの弓が一斉に放たれた。

 

 

魏軍大イニレテ相失

()(ぐん)(おお)いに(みだ)れて(あい)(しっ)す。

 

魏軍は大いに混乱して逃げ出した。



 

 

龐涓自智窮マリ兵敗ルルヲ、乃自剄シテハク、「遂サシムト豎子()。」

(ほう)(けん)(みずか)()(きわ)まり(へい)(やぶ)るるを()り、(すなわ)()(けい)して()はく、「(つい)(じゅ)()()()さしむ。」と。

 

龐涓は自ら知略が行き詰まり、自軍が敗れたことを知り、そこで自ら首をはねて言うことには、「とうとうあの小僧の名をあげさせてしまった。」と。

 

 

斉因リテチニ、虜ニシテ太子申

(せい)()りて()ちに(じょう)(ことごと)()(ぐん)(やぶ)り、()(たい)()(しん)(とりこ)にして(もっ)(かえ)る。

 

斉はそこで勝ちに乗じてことごとく魏の軍を打ち破り、魏の太子である申を捕虜にして帰還した。

 

 

孫臏以レヲ名顕天下。世伝兵法

(そん)(ぴん)()れを(もっ)()(てん)()(あらわ)る。()()(へい)(ほう)(つた)ふ。

 

孫臏はこの件でその名が天下に知れ渡った。(のちの)世にその孫臏の兵法は伝えられた。

 

 

孫臏『斉の威王の師と為る』原文・書き下し文・現代語訳 「孫臏は嘗て龐涓と、倶に兵法を学ぶ。~」 「忌数斉の諸公子と馳逐重射す。~」

 

 

 

 

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