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項王の最期(2)原文・書き下し文・現代語訳

青=現代語訳・下小文字=返り点・上小文字=送り仮名・解説=赤字

  史記『項王の最期』まとめ

 

イテ、項王乃リテ

(ここ)()いて(こう)(おう)(すなわ)(うま)()りて()す。

※「於イテ」=そこで。こうして。

そこで、項王は馬にまたがった。

 

 

麾下壮士、騎シテ者百余人ナリ

()()(そう)()()して(したが)(もの)(はっ)(ぴゃく)()(にん)なり。

 

直属の部下の兵士で、馬に乗って(項王に)従う者は八百人余りであった。

 

 

チニ夜潰ヤシミヲ、南デテ馳走

(ただ)ちに(よる)(かこ)みを(つい)やし、(みなみ)()でて()(そう)す。

 

(項王は)すぐにその夜、敵の囲みを破り、南に出て馬を走らせた。

 

 

平明、漢軍乃()騎将灌嬰ヲシテヰテ五千騎上レ

(へい)(めい)(かん)(ぐん)(すなわ)(これ)(さと)り、()(しょう)(かん)(えい)をして()(せん)()(ひき)ゐて(これ)()はしむ。

※令=使役「令ヲシテ(セ)」→「AをしてB(せ)しむ」→「AにBさせる」

夜明けに、漢軍はやっとこれに気づき、騎将灌嬰に命じて五千騎を率いて項王を追わせた。

 

 

項王渡。騎スル者、百余人(のみ)

(こう)(おう)(わい)(わた)る。()()(ぞく)する(もの)(ひゃく)()(にん)のみ。

※能= ~できる

※「~ 耳」=限定「~ のみ」「~ だけだ」

項王は淮水を渡った。騎兵の中でついて来ることができた者は、百人余りだけであった。

 

 

項王至陰陵、迷ヒテ。問一田父

(こう)(おう)(いん)(りょう)(いた)り、(まよ)ひて(みち)(うしな)ふ。(いち)(でん)()()ふ。

 

項王は陰陵にまでやって来たところで、迷って道がわからなくなった。(そこで、)一人の農夫に道を尋ねた。

 

 

田父紿キテハク、「左セヨト。」

(でん)()紿(あざむ)きて()はく、「(ひだり)せよ。」と。

 

農夫は嘘をついて、「左に行きなさい。」と言った。

 

 

。乃大沢中

(ひだり)す。(すなわ)(だい)(たく)(ちゅう)(おちい)る。

 

(項王は)左へ進んだ。そこでなんと広い湿地帯の中に入り込んでしまった。



漢追ヒテ

(ゆえ)(もっ)(かん)()ひて(これ)(およ)ぶ。

 

そういう理由で漢軍は項王の軍に追いついた。

 

 

項王乃キテ而東、至東城

(こう)(おう)(すなわ)()(へい)()きて(ひがし)し、(とう)(じょう)(いた)る。

※而=置き字(順接・逆接)

項王はそこで再び兵を率いて東に進み、東城に到着した。

 

 

二十八騎。漢騎者数千人ナリ

(すなわ)()(じゅう)(はっ)()()り。(かん)()()(もの)(すう)(せん)(にん)なり。

 

そこで(残った項王の軍)は二十八騎だった。漢軍の騎兵で追ってくる者は数千人であった。

 

 

続きはこちら項王の最期(3)原文・書き下し文・現代語訳「項王自ら脱することを得ざるを度り、其の騎に謂ひて曰はく、~」

 

  史記『項王の最期』まとめ

 

 

 

 

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