漢文

『師の説』(1)原文・書き下し文・現代語訳

青=現代語訳・下小文字=返り点・上小文字=送り仮名・解説=赤字

 

 

()ニハ、必師。師()-以伝一レヒヲ(なり)

(いにしえ)(まな)(もの)は、(かなら)()()り。()(みち)(つた)(ぎょう)(さず)(まど)ひを()所以(ゆえん)なり。

 

昔の学問を学ぶ者には、必ず師がいた。師とは、道(=儒家が理想とする人間のあり方)を伝え、知識や技術を授け、疑問や迷いを解くためのものである。

 

 

マレナガラニシテ而知。孰カラン

(ひと)()まれながらにして(これ)()(もの)(あら)ず。(たれ)()(まど)()からん。

※「(たれ) ~ (セ)ン(ヤ)」=反語、「だれが ~だろうか。(いや、だれも ~ない。)」

※能= ~できる

人は生まれながらにしてこれ(=道・業)を知っているのではない。だれが迷わずにいられるだろうか。(いや、迷わずにはいられない。)

 

 

ヒテ()ンバ、其()()、終()ラン矣。

(まど)ひて()(したが)ずんば()(まど)ひたるや、(つい)()けざらん。

※而=置き字(順接・逆接)  ※矣=置き字(断定・強調)

※「不ンバ(セ)、不(セ)」=「A(せ)ずんば、B(せ)ず」、「Aしなければ、Bしない」

迷っていて、(学ぶために)師に付き従わないならば、その迷いは、結局解けないだろう。

 

 

マレテ乎吾、其()、固ヨリナラバ乎吾ヨリ、吾従ヒテ而師トセン

()(まえ)()まれて、()(みち)()くや、(もと)より(われ)より(さき)ならば、(われ)(したが)ひて(これ)()とせん。

※乎=置き字

私より先に生まれて、その道について聞いていることが、もともと私よりも先ならば、私はその人に付き従って師としよう。

 

 

マレテ乎吾、其()、亦先ナラバ乎吾ヨリ、吾従ヒテ而師トセン

()(のち)()まれて、()(みち)()くや、(また)(われ)より(さき)ならば、(われ)(したが)ひて(これ)()とせん。

 

私より後に生まれていても、その道について聞いていることが、また私よりも先ならば、私はその人に付き従って師としよう。

 

 

トスル(なり)。夫ラン()--ナルヲ於吾ヨリ乎。

(われ)(みち)()とするなり。()(なん)()(とし)(われ)より(せん)(こう)(せい)なるを()らんや。

※「庸 ~ (セ)ン(ヤ)」=反語、「庸ぞ ~(せ)ん(や)」、「どうして ~(する)だろうか。(いや、~ない)」

私は道を師とするのである。そもそもどうしてその人年齢が私より上か下かを考えようか。(いや、考えない。)



、無、道()スル、師()スル(なり)

()(ゆえ)()()(せん)()く、(ちょう)()(しょう)()く、(みち)(そん)する(ところ)は、()(そん)する(ところ)なり。

 

こういうわけで、身分の高い低いに関係なく、年齢の上下に関係なく、道の存在する所が、師の存在する所なのである。

 

 

嗟乎、師道()ハラ()、久矣。欲スル()一レカラント()、難矣。

()()()(どう)(つた)はらざるや、(ひさ)し。(ひと)(まど)()からんと(ほっ)するや、(かた)し。

※矣=置き字(断定・強調)

ああ、師に対する正しい考え方が伝わらなくなってしまってから、久しくなった。人が迷いを無くしたいと思っても、難しい。

 

 

()聖人、其ヅル()、遠矣。猶ヒテ而問ヘリ焉。

(いにしえ)(せい)(じん)は、()(ひと)()づるや、(とお)し。()()()(したが)ひて()へり。

※焉=置き字(断定・強調)

昔の聖人は、他の人よりも抜きん出ていること、はなはだしかった。それでもさらに師に付き従って質問をした。

 

 

()衆人、其聖人()、亦遠矣。而ブヲ於師

(いま)(しゅう)(じん)は、()(せい)(じん)(くだ)るや、(また)(とお)し。(しか)るに()(まな)ぶを()づ。

※於=置き字(対象・目的)

今の人々は、その聖人よりも劣ることは、またはなはだしい。しかし、師に学ぶことを恥としている。

 

 

益聖ニシテ、愚益愚ナリ

()(ゆえ)(せい)(ますます)(せい)にして、()(ますます)()なり。

 

こういうわけで、聖人はますます優れた聖人となり、愚人はますます愚かになる。

 

 

聖人()-以為一レ聖、愚人()-一レ愚、其皆出ヅル於此乎。

(せい)(じん)(せい)所以(ゆえん)()(じん)()所以(ゆえん)は、()(みな)(ここ)()づるか。

 

聖人が聖人である理由、愚人が愚かである理由は、全てここに原因があるのだろうか。

 

 

シテハ、択ビテ而教ヘシム

()()(あい)しては、()(えら)びて(これ)(おし)へしむ。

※使役=「~(セ)シム。」→「~させる。」 文脈から判断して使役の意味でとらえることがある。

自分の子を可愛がっては、師を選んで子に教えさせる。

 

 

イテ()、則トスルヲ焉。惑ヘリ矣。

()()()いてや、(すなわ)()とするを()づ。(まど)へり。

 

自分自身のことおいては、師に付いて学ぶことを恥とする。(これは)間違いである。

 

 

童子()、授ケテ而習ハシムル句読ナリ

()(どう)()()は、(これ)(しょ)(さず)けて()()(とう)(なら)はしむる(もの)なり。

 

あの子どもの師というのは、子どもに書物を与えてその読み方を習わせる者である。



ザル所謂伝ヒヲ(なり)

()(いわ)(ゆる)()(みち)(つた)()(まど)ひを()(もの)(あら)ざるなり。

 

私が言うところの、道を伝え、疑問や迷いを解決してくれる者ではないのである。

 

 

句読、惑ヒヲ()、或イハトシ焉、或イハセズ焉。

()(とう)()()らざる、(まど)()()かざる、(ある)いは()とし、(ある)いは(しか)せず。

 

(書物の)読み方を知らない、疑問や迷いを解決できない、あるいは師に付いて学び、あるいは師に付かない。

 

 

ヲバビデ而大ヲバ。吾(いま/ざ)ダ/ルナルヲ(なり)

(しょう)をば(まな)びて(だい)をば(わす)る。(われ)(いま)()(めい)なるを()ざるなり。

※「(いま/ざ) ~ (セ)」=再読文字、「未だ ~(せ)ず」、「まだ ~(し)ない」

小さなことは学んでも、大事なことは忘れている。私はまだそのような人が賢明であるのを、見たことがない。

 

 

 続きはこちら『師の説』(2)原文・書き下し文・現代語訳

 

 

 

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