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大鏡『雲林院の菩提講』現代語訳(3)

「黒=原文」「青=現代語訳

 解説・品詞分解のみはこちら大鏡『雲林院の菩提講』解説・品詞分解(3)

 

(しげ)()と名のるが方ざまに見やりて、

 

(侍が)繁樹と名乗る(老人の)方に目を向けて、

 

 

「『いくつといふこと覚えず。』と言ふめり。

 

「(あなたは)『何歳かということは覚えていない。』と言ったようですね。

 

 

この(おきな)どもは覚えたぶや。」と問へば、

 

こちらのご老人は覚えていらっしゃいますか。」と尋ねると、

 

 

「さらにもあらず。一百九十歳にぞ、今年はなり(はべ)りぬる。

 

「言うまでもありません。百九十歳に、今年なりました。

 

 

されば、繁樹は百八十におよびてこそさぶらふらめど、やさしく申すなり。

 

そうすると、繁樹は百八十歳になっているのでしょうけれど、上品に(覚えていないと)申しているのです。

 

 

おのれは水尾(みずのお)(みかど)のおりおはします年の、()(つき)(もち)の日生まれて侍れば、

 

私は水尾の帝が退位なさる年の、正月の望の日(=十五日)に生まれましたので、

 

 

十三代にあひたてまつりて侍るなり。

 

十三代の天皇にお会い申し上げています。

 

 

けしうはさぶらはぬ年なりな。まことと人思さじ。

 

悪くはない年ですよ。本当のことだとは誰も思わないでしょう。



 

されど、父が(なま)(がく)(しょう)に使はれたいまつりて、

 

しかし、父が大学寮の若い学生に使われておりましたので、

 

 

()(ろう)なれども都ほとり』といふことなれば、目を見(たま)へて、

 

『身分の低い者でも都の近く(に住む者は見聞が広い)』ということなので、文字が読めまして、

 

 

(うぶ)(ぎぬ)に書き置きて侍りける、いまだ侍り。(ひのえ)(さる)の年に侍り。」

 

産衣に(私が生まれた日を)書き置いてありますのが、いまだにございます。丙申の年でございます。」

 

 

と言ふも、げにと聞こゆ。

 

と言うのも、なるほどと思われます。

 

 

 大鏡『雲林院の菩提講』解説・品詞分解(3)

 

大鏡『雲林院の菩提講』まとめ

 

 

 

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