青=現代語訳・下小文字=返り点・上小文字=送り仮名・解説=赤字
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至二リ明年一ニ、陳郡ノ袁傪以二ツテ監察御史一ヲ、奉レジテ詔ヲ使二ヒス嶺南一ニ。
明年に至り、陳郡の袁傪監察御史を以つて、詔を奉じて嶺南に使ひす。
翌年になって、陳郡の袁傪が監察御史として、詔をうけて嶺南へ使いをした。
乗レリテ伝ニ至二リ商於ノ界一ニ晨ニ将レニ去ラント。
伝に乗りて商於の界に至り晨に将に去らんとす。
※将=再読文字、「将(まさ)に~んとす」、「~しようとする・~するつもりだ」
(宿場ごとに用意されている役人用の)馬車に乗って商於の境界まで来て、早朝に出発しようとした。
其ノ駅吏白シテ曰ハク、「道ニ有レリ虎、暴ニシテ而食レラフ人ヲ。
其の駅吏白して曰はく、「道に虎有り、暴にして人を食らふ。
※而=置き字(順接・逆接)
そこの宿場の役人が申し上げることには、「道中には虎がいて、荒っぽくて人を食うことがあります。
故ニ途二スル於此一ニ者ハ、非レザレバ昼ニ莫二シ敢ヘテ進一ムモノ。
故に此に途する者は、昼に非ざれば敢へて進むもの莫し。
※「不二敢ヘテ ~一(せ)」=「しいて(無理に) ~しようとはしない。/ ~するようなことはしない」
なのでここを通る者は、昼でなければ通ろうとしません。
今ハ尚ホ早シ。願ハクハ且ラク駐レメヨ車ヲ。決シテ不レト可レカラ前ム。」
今は尚ほ早し。願はくは且らく車を駐めよ。決して前むべからず。」と。
※「願ハクハ ~(セヨ)」=願望、「どうか ~させてください/どうか ~してください」
※「不レ可二カラ ~一(ス)」=不可能、「 ~(す)べからず」、「(状況から見て) ~できない。/ ~してはならない。(禁止)」
今はまだ早いです。どうかしばらく車を止めてください。決して進んではいけません。」と。
傪遂ニ命レジテ駕ヲ而行ク。
傪遂に駕を命じて行く。
傪は結局馬車を命じて出発した。
去リテ未レダ/ルニ尽二クサ一里一ヲ、果タシテ有レリ虎、自二リ草中一突リテ而出ヅ。
去りて未だ一里を尽くさざるに、果たして虎有り、草中より突りて出づ。
出発してまだ一里も行かないうちに、やはり虎がいて、草の中から飛び出してきた。
傪驚クコト甚ダシ。俄カニシテ而虎匿二シ身ヲ草中一ニ、人声モテ而言ヒテ曰ハク、
傪驚くこと甚だし。俄かにして虎身を草中に匿し、人声もて言ひて曰はく、
傪はとても驚いた。急に虎は身を草の中に匿し、人の声で言うことには、
「異ナル乎哉。幾ド傷二ツケントスル我ガ故人一ヲ也ト。」
「異なるかな。幾ど我が故人を傷つけんとするなり。」と。
「なんということだ。もう少しで我が旧友を傷けるところであった。」と。
傪聆二クニ其ノ音一ヲ、似二タリ李徴ナル者一ニ。傪昔与レ徴同ジク登二リ進士ノ第一ニ、分極メテ深シ。
傪其の音を聆くに、李徴なる者に似たり。傪昔徴と同じく進士の第に登り、分極めて深し。
傪がその声を聞いたところ、李徴に似ていた。傪は昔、徴と同じ時期に進士に及第し、付き合いはとても深かった。
別レテ有レリ年矣。忽チ聞二キテ其ノ語一ヲ、既ニ驚キ且ツ異シミテ、莫レシ測ル焉。
別れて年有り。忽ち其の語を聞きて、既に驚き且つ異しみて、測る莫し。
※矣=置き字(断定・強調)
別れて何年もたっていた。突然その言葉を聞いて、驚いたうえに不思議に思って、理解できなかった。
遂ニ問ヒテ曰ハク、「子ハ為レス誰ト。豈ニ非二ズ故人ノ隴西子一ニ乎ト。」
遂に問ひて曰はく、「子は誰と為す。豈に故人の隴西子に非ずや。」と。
※「豈ニ非二ズ ~一ニ乎」=詠嘆、「なんと ~ではないか。」 否定語を伴って「豈に ~や」で詠嘆形となる。
そのまま(傪は)尋ねて、「あなたは誰であるのか。なんと旧友の隴西出身の人ではないか。」と言った。
虎呼吟スルコト数声、若二シ嗟泣スル状一ノ。
虎呼吟すること数声、嗟泣する状のごとし。
虎はうなり声を数回あげ、すすり泣く状態であった。
已ニシテ而謂レヒテ傪ニ曰ハク、「我ハ李徴也ト。」
已にして傪に謂ひて曰はく、「我は李徴なり。」と。
やがて傪に向かって言うことには、「私は李徴である。」と。
傪乃チ下レリテ馬ヨリ曰ハク、「君何ニ由リテカ至レレルト此ニ。」
傪乃ち馬より下りて曰はく、「君何に由りてか此に至れる。」と。
そこで傪は馬から下りて、「君はどういうわけでここにいるのか。」と言った。
虎曰ハク、「我自下リ与二足下一別上レテ、音容曠阻シ且ツ久シ矣。
虎曰はく、「我足下と別れてより、音容曠阻し且つ久し。
虎が言うことには、「私があなたと別れてから、遠く離れていて会えないことが長かった。
幸-喜ヒニ得レタル無レキヲ恙乎。官途不レル致二サ淹留一ヲ乎。今又何クニカ適クト。」
幸喜ひに恙無きを得たるか。官途淹留を致さざるか。今又何くにか適く。」と。
幸いなことに無事であったのかい。役人として出世することは滞りなかったかい。今日はまたどこへ行くのか。」と。
傪曰ハク、「近-者幸ヒニ得レタリ備二ヘラルルヲ御史之列一ニ。今奉二ズト使ヒヲ嶺南一ニ。」
傪曰はく、「近者幸ひに御史の列に備へらるるを得たり。今使ひを嶺南に奉ず。」と。
傪が言うことには、「最近幸いにも御史の一員になることができた。今は使者として嶺南に行く命を受けたところだ。」と。
虎曰ハク、「吾子以二ツテ文学一ヲ立レテ身ヲ、位登二ル朝序一ニ。可レシ謂レフ盛ンナリト矣。
虎曰はく、「吾子文学を以つて身を立て、位朝序に登る。盛んなりと謂ふべし。
虎が言うことには、「君は文学で身を立て、位は朝廷の高官に登っている。立派であるというべきだ。
心ニ喜三ブ故人ノ居二ルヲ此ノ地一ニ。甚ダ可レシト賀ス。」
心に故人の此の地に居るを喜ぶ。甚だ賀すべし。」と。
心より旧友がこの地位にいることをうれしく思う。とてもめでたいことだ。」と。
傪曰ハク、「往-者ニ吾ト与二執事一同レジクシテ年ヲ成レス名ヲ。
傪曰はく、「往者に吾と執事と年を同じくして名を成す。
傪が言うことには、「以前は私とあなたとは年を同じくして名声を得た。
交契ノ深密ナルコト、異二ナリ於常友一ニ。自二リ声容間阻一シテ、去日如レシ流ルルガ。
交契の深密なること、常友に異なり。声容間阻してより、去日流るるがごとし。
※於=置き字(場所)。
交際の深密さは、普通の友人とは異なる。遠く離れてから、時間が過ぎるのは流れるかのようだった。
想-二望シテ風儀一ヲ心目倶ニ断ユ。不レリキ意ハ、今日獲二ントハ君ガ念レフ旧ヲ之言一ヲ。
風儀を想望して心目倶に断ゆ。意はざりき、今日君が旧を念ふの言を獲んとは。
(あなたの)立派な姿を遠く思いやって、心と目が断たれるかのようだった。思いもしなかったよ、今日君が昔を懐かしむ言葉を得られるとは。
雖レモ然リト執事何為レゾ不レシテ見レ我ヲ、而自ラ匿二ルル于草木ノ中一ニ。
然りと雖も執事何為れぞ我を見ずして、自ら草木の中に匿るる。
※「何為レゾ ~(スル)」=疑問・反語、「どうして ~か」 ※于=置き字(場所)
それなのにあなたはどうして私に会おうとせず、自ら草木の中に匿れるのか。
故人之分、豈ニ当レニ/ケン如レクナル是クノ耶ト。」
故人の分、豈に当に是くのごとくなるべけんや。」と。
※「豈ニ ~ (セ)ンや(哉・乎・邪)」=疑問・反語、「豈に ~ (せ)んや」、「どうして ~ だろうか。(いや、~ない。)」
※当=再読文字、「当(まさ)に~べし」「~すべきである・きっと~のはずだ」
昔なじみの仲であって、どうしてこのようであるはずがあろうか。(いや、こんなよそよそしくあるはずはない。)」
虎曰ハク、「我今不レ為レラ人矣。安クンゾ得レン見レユルヲ君ニ乎ト。」
虎曰はく、「我今人たらず。安くんぞ君に見ゆるを得んや。」と。
※「安クンゾ ~ (セ)ン(ヤ)」=反語、「安くんぞ ~(せ)ん(や)」、「どうして ~(する)だろうか。(いや、~ない)」
虎は、「私は今や人間ではない。どうして君に会うことが出来ようか。(いや、出来ない。)」と言った。
傪曰ハク、「願ハクハ詳二ラカニセント其ノ事一ヲ。」
傪曰はく、「願はくは其の事を詳らかにせん。」と。
※「願ハクハ ~(セヨ)」=願望、「どうか ~させてください/どうか ~してください」
傪は、「どうかその事について詳しく話してはくれないか。」と言った。
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