「黒=原文」・「青=現代語訳」
解説・品詞分解はこちら土佐日記『阿倍仲麻呂の歌』解説・品詞分解
二十日。昨日のやうなれば、船いださず。みな人々憂へ嘆く。
20日。昨日と同じような(悪天候な)ので、船は出さない。人々はみな心配して嘆いている。
苦しく心もとなければ、ただ日の経ぬる数を、今日幾日、二十日、三十日と数ふれば、指もそこなはれぬべし。
苦しくじれったいので、ただ日数が経過していくのを、今日で何日(経過した)か、20日、30日と数えるので、指も痛んでしまいそうだ。
いとわびし。夜は寝も寝ず。二十日の夜の月出でにけり。山の端もなくて、海の中よりぞ出で来る。
とてもつらい。夜は眠りもしない。20日の夜の月が出た。山の端もなくて、海の中から(月が)出てくる。
~ここから阿倍仲麻呂の話~
かうやうなるを見てや、昔、阿倍仲麻呂といひける人は、唐土に渡りて、帰り来ける時に、
このような光景を見てであろうか、昔、阿倍仲麻呂という人は、唐に渡って、(日本へ)帰る時に、
船に乗るべき所にて、かの国人、馬のはなむけ、別れ惜しみて、かしこの漢詩作りなどしける。
船に乗る予定の場所で、あちらの国(=唐)の人が、送別の宴を開き、別れを惜しんで、あちらの国の漢詩を作ったりなどしたということだ。
飽かずやありけむ、二十日の夜の月出づるまでぞありける。
(それだけでは)満足できなかったのであろうか、20日の夜の月が出るまで(そこに)いたということだ。
その月は、海よりぞ出でける。これを見てぞ仲麻呂の主、
その月は、海から出てきた。これを見て仲麻呂殿は、
「わが国に、かかる歌をなむ神代より神も詠んたび、
「私の国(=日本)では、このような歌を神代の時代から神様もお詠みになり、
今は上中下の人も、かうやうに別れ惜しみ、喜びもあり、悲しびもある時には詠む。」とて、詠めりける歌、
今では上中下の(身分に関わらず)どんな人も、このように別れを惜しみ、喜んだり、悲しむことがある時には詠むのです。」と言って、詠んだ歌、
青海原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
青々とした海原をはるかに見渡すと、(月が出ていた。その月は故郷の)春日にある三笠の山の上に出ていた月と同じ月なのだなあ。
とぞ詠めりける。
と詠んだということだ。
かの国の人聞き知るまじく思ほえたれども、言の心を男文字にさまを書き出して、ここのことば伝へたる人に言ひ知らせければ、
あちらの国の人は聞いてもわからないだろうと思われたけれども、歌の意味を漢字でおおよその内容を書き表して、日本の言葉を習得している人に話して聞かせたところ、
心をや聞き得たりけむ、いと思ひのほかになむ愛でける。
歌の意味を理解できたのだろうか、たいそう意外なほどに(歌を)褒めたということだ。
唐土とこの国とは、言異なるものなれど、月の影は同じことなるべければ、人の心も同じことにやあらむ。
唐とこの国(=日本)とでは、言葉は違っているものであるけれど、月の光は同じことであるはずなので、(それを見る)人の心も同じことなのであろうか。
~ここまでが阿倍仲麻呂の話~
さて、今、そのかみを思ひやりて、ある人の詠める歌、
ところで、今、その昔のことを思いやって、ある人(=紀貫之)が詠んだ歌、
都にて 山の端に 見し月なれど 波より出でて 波にこそ入れ
都では、山の端に(出入りするのを)見た月であるけれど、(この海辺では月が)波間から出て、波間に入ってゆくことだ。