フロンティア古典教室

土佐日記『阿倍仲麻呂の歌』現代語訳

      2019/09/04

「黒=原文」・「青=現代語訳

解説・品詞分解はこちら土佐日記『阿倍仲麻呂の歌』解説・品詞分解

 

 

二十日。昨日のやうなれば、船いださず。みな人々憂へ嘆く。

 

20日。昨日と同じような(悪天候な)ので、船は出さない。人々はみな心配して嘆いている。

 

 

苦しく心もとなければ、ただ日の()ぬる数を、今日(いく)()、二十日、三十日(みそか)と数ふれば、(および)もそこなはれぬべし。

 

苦しくじれったいので、ただ日数が経過していくのを、今日で何日(経過した)か、20日、30日と数えるので、指も痛んでしまいそうだ。

 

 

いとわびし。夜は()()ず。二十日の夜の月出でにけり。山の端もなくて、海の中よりぞ出で来る。

 

とてもつらい。夜は眠りもしない。20日の夜の月が出た。山の端もなくて、海の中から(月が)出てくる。

 

 

~ここから阿倍仲麻呂の話~

 

かうやうなるを見てや、昔、()(べの)(なか)()()といひける人は、唐土(もろこし)に渡りて、帰り来ける時に、

 

このような光景を見てであろうか、昔、阿倍仲麻呂という人は、唐に渡って、(日本へ)帰る時に、

 

 

船に乗るべき所にて、かの国人、馬のはなむけ、別れ惜しみて、かしこの漢詩作りなどしける。

 

船に乗る予定の場所で、あちらの国(=唐)の人が、送別の宴を開き、別れを惜しんで、あちらの国の漢詩を作ったりなどしたということだ。

 

 

飽かずやありけむ、二十日の夜の月出づるまでぞありける。

 

(それだけでは)満足できなかったのであろうか、20日の夜の月が出るまで(そこに)いたということだ。

 

 

その月は、海よりぞ出でける。これを見てぞ仲麻呂の主、

 

その月は、海から出てきた。これを見て仲麻呂殿は、

 

 

「わが国に、かかる歌をなむ神代より神も詠んたび、

 

「私の国(=日本)では、このような歌を神代の時代から神様もお詠みになり、

 

 

今は(かみ)(なか)(しも)の人も、かうやうに別れ惜しみ、喜びもあり、悲しびもある時には詠む。」とて、詠めりける歌、

 

今では上中下の(身分に関わらず)どんな人も、このように別れを惜しみ、喜んだり、悲しむことがある時には詠むのです。」と言って、詠んだ歌、

 

 

青海原(あおうなばら)  ふりさけ見れば  春日(かすが)なる  ()(かさ)の山に  出でし月かも

 

青々とした海原をはるかに見渡すと、(月が出ていた。その月は故郷の)春日にある三笠の山の上に出ていた月と同じ月なのだなあ。

 

 

とぞ詠めりける。

 

と詠んだということだ。

 

 

かの国の人聞き知るまじく思ほえたれども、言の心を男文字にさまを書き出して、ここのことば伝へたる人に言ひ知らせければ、

 

あちらの国の人は聞いてもわからないだろうと思われたけれども、歌の意味を漢字でおおよその内容を書き表して、日本の言葉を習得している人に話して聞かせたところ、

 

 

心をや聞き得たりけむ、いと思ひのほかになむ愛でける。

 

歌の意味を理解できたのだろうか、たいそう意外なほどに(歌を)()めたということだ。

 

 

唐土(もろこし)とこの国とは、言異なるものなれど、月の影は同じことなるべければ、人の心も同じことにやあらむ。

 

唐とこの国(=日本)とでは、言葉は違っているものであるけれど、月の光は同じことであるはずなので、(それを見る)人の心も同じことなのであろうか。

 

~ここまでが阿倍仲麻呂の話~

 

 

さて、今、そのかみを思ひやりて、ある人の詠める歌、

 

ところで、今、その昔のことを思いやって、ある人(=紀貫之(きのつらゆき))が詠んだ歌、

 

 

都にて  山の端に  見し月なれど  波より出でて  波にこそ入れ

 

都では、山の端に(出入りするのを)見た月であるけれど、(この海辺では月が)波間から出て、波間に入ってゆくことだ。

 

 

土佐日記『阿倍仲麻呂の歌』解説・品詞分解

 

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