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西鶴諸国ばなし『大晦日は合はぬ算用』(1)(2)(3)現代語訳

「黒=原文」・「青=現代語訳

解説・品詞分解はこちら西鶴諸国ばなし『大晦日は合はぬ算用』(1)解説・品詞分解

 

 

(かや)・かち(くり)・神の松・やま草の売り声もせはしく、(もち)つく宿の隣に、(すす)をも払はず、二十八日まで(ひげ)もそらず、(しゆ)(さや)の反りを返して、

 

(かや)、かち栗、神の松、やま草の売り声も(せわ)しく、餅をつく家の隣で、煤払い(などの大掃除)もせず、二十八日まで(ひげ)もそらず、朱塗りの鞘の刀の反りを返して、

 

 

「春まで待てと言ふに、是非(ぜひ)に待たぬか。」と、米屋の若い者をにらみつけて、(すぐ)なる今の世を、横に渡る男あり。

 

「(支払いは)春まで待てと言うのに、どうして待たないのか。」と、(代金を取り立てにきた)米屋の若い者をにらみつけて、まっすぐな(正しい)政治が行われている今の世を、世間に迷惑をかけて暮らす男がいる。

※対句:「直なる」⇔「横にわたる」

 

 

名は(はら)()(ない)(すけ)と申して、かくれもなき浪人。

 

名は(はら)()(ない)(すけ)と申して、よく知られた浪人(である)。

 

 

広き江戸にさへ住みかね、この四、五年、品川の(ふじ)(ちゃ)()のあたりに棚借りて、(あした)(たきぎ)にことを欠き、夕べの(あぶら)()をも見ず。

 

広い江戸にさえ住めなくなり、この四、五年は、品川の藤茶屋の辺りに借家を借りて、朝の(炊事用の)(たきぎ)にも不自由し、夜の灯火の油もない。

 

 

これはかなしき年の暮れに、女房の兄、(なから)()(せい)(あん)と申して、神田の明神の横町(よこまち)(くす)()あり。

 

こんなかなしい年の暮れに、(原田内助には)女房の兄で、(なから)()(せい)(あん)と申して、神田明神の横町に(住んでいる)医者がいた。

 

 

このもとへ、無心の状を遣はしけるに、たびたび迷惑ながら、見捨てがたく、

 

(原田内助は)この(義理の兄である医者の半井清庵)もとへ、金品をねだる手紙を送ったところ、(半井清庵にとっては)たびたびのことで迷惑ではあるけれども、見捨てにくく、

 

 

(きん)()十両包みて、上書きに、「貧病の妙薬、金用丸(きんようがん)、よろづによし。」と記して、(ない)()の方へおくられける。

 

金子十両を包んで、上書きに、「貧乏という病に効く妙薬、金用丸、あらゆる病気に効く。」と記して、(原田内助の)妻のところへ送った。

 

 

内助喜び、日ごろ別して語る浪人仲間へ、「酒一つ盛らん。」と、呼びに遣はし、

 

内助は喜び、ふだん特に親しくしている浪人仲間へ、「酒をちょっと盛ろう。」と、呼びにやり、

 

 

(さいわ)ひ雪の夜のおもしろさ、今までは崩れ次第の(しば)の戸を開けて、「さあ、これへ。」と言ふ。

 

幸い雪の夜で(おもむき)(もあり)、今までは崩れたままになっていた柴の戸を開けて、「さあ、こちらに。」と言う。

 

 

以上七人の客、いづれも(かみ)()(そで)をつらね、時ならぬ(ひと)()()(おり)、どこやら昔を忘れず。

 

全員で七人の客は、いずれも紙子(=粗末な着物)を着て、季節外れの一重羽織(であるが)、どことなく昔(のたしなみ)を忘れていない。

 

 

常の礼儀すぎてから、亭主まかり出でて、「私、仕合はせの(こう)(りょく)()けて、思ひままの正月をつかまつる。」と申せば、

 

型どおりのあいさつが済んでから、亭主(=原田内助)が参上して、「私は、運の良い援助を受けて、思い通りの正月をいたします。」と申すと、

 

 

おのおの、「それは、あやかりもの。」と言ふ。

 

それぞれ、「それは(良いことだ)、あやかりたいものだ。」と言う。

 

 

「それにつき、上書きに一作あり。」と、くだんの小判を出だせば、

 

(原田内助が、)「それについて、この上書きに(おもしろい)一作があります。」と(言って)、例の小判を出すと、

 

 

「さても軽口なる御事。」と、見て回せば、杯も数かさなりて、

 

(客たちは、)「なんともまあ、軽妙な事。」と、見て回すうちに、杯の数も重なって、

 

 

「よい年忘れ、ことに長座。」と、千秋楽を(うた)ひ出し、燗鍋(かんなべ)塩辛壺(しおからつぼ)を手ぐりにしてあげさせ、

 

「よい年忘れで、ことさらに長居(をしてしまった)。」と、千秋楽の句をうたい出し、燗鍋(かんなべ)(しお)(から)(つぼ)を手渡しして片付けさせ、

※千秋楽=謡曲「高砂」の終わりの部分。宴会などの終わりのあいさつとしてうたわれたりする。

 

 

「小判もまづ、御しまひ(さうら)へ。」と集むるに、十両ありしうち、一両足らず。

 

「小判もまず、おしまいください。」と(言って、)集めたところ、十両あったうち、一両が足りない。

 

 

()(ちゅう)()(なお)り、(そで)などふるひ、前後を見れども、いよいよないに(きわ)まりける。

 

その場の皆座り直し、袖などをふるい、前後を見るけれども、いよいよ無いという結論になった。

 

(2)

 

あるじの申すは、「そのうち一両は、さる方へ払ひしに、拙者の覚え違へ。」と言ふ。

 

亭主(=原田内助)が申すことには、「そのうち一両は、ある所に支払ったので、(十両あると思ったのは)私の記憶違い(でした)。」と言う。

 

 

「ただ今まで、たしか十両見えしに、めいよのことぞかし。とかくはめいめいの見晴れ。」と上座から帯をとけば、その次も改めける。

 

(しかし、客人たちは、)「たった今まで、確かに十両あったのに、不思議なことよ。ともかくはおのおの身の潔白の証明をすること(としよう)。」と(言って、)上座(の客)から帯を解くので、その次(の客)も(帯を解いて)調べた。

 

 

三人目にありし男、(じゅう)(めん)作つて、ものをも言はざりしが、(ひざ)立て直し、

 

三人目にいた男が、渋い顔をして、何も言わなかったが、膝を立て直し、

 

 

(うき)()には、かかる(なん)()もあるものかな。それがしは、身振るふまでもなし。

 

「世の中には、このような難儀な事もあるものだなあ。私は、体を振るうまでもない。

 

 

金子一両持ち合はすこそ、因果なれ。思ひもよらぬことに、一命を捨つる。」と思ひ切つて申せば、

 

金子一両を持ち合わせていたことが、不運なことである。思いもよらないことで、一命を捨てる(ことになったものだよ)。」と(腹を切る覚悟で)思い切って申すので、

 

 

一座口をそろへて、「こなたに限らず、あさましき身なればとて、小判一両持つまじきものにもあらず。」と申す。

 

その場の皆は口をそろえて、「あなたに限らず、落ちぶれた身であるからといって、小判一両を持つはずがないものでもない。」と申す。

 

 

「いかにも、この金子の()(どころ)は、私持ち来たりたる、(とく)(じょう)()(づか)(から)(もの)()(じゅう)()()(もん)かたへ、一両二()に、昨日売り候ふこと、まぎれはなけれども、折ふしわるし。

 

「確かに、この金子の出所は、私が持っていた徳乗の小柄を、唐物屋十左衛門の所へ、一両二歩で、昨日売りましたこと、間違いはないけれども、時機(=タイミング)が悪い。」

 

 

つねづね語り合はせたるよしみには、生害に及びしあとにて、御尋ねあそばし、かばねの恥を、せめては頼む。」と申しもあへず、

 

いつも親しくしていた(えん)としては、自害におよんだ後に、お調べになって死後に残る恥を(晴らしてくれるよう)、せめては頼む。」と申し終わらないうちに、

 

 

革柄(かわづか)に手を()くる時、「小判はこれにあり。」と、丸行灯(まるあんどん)の影より、投げ出だせば、

 

(刀の)革柄に手を掛ける時、(誰かが、)「小判はここにある。」と、丸行灯の影から、(小判を)投げ出したので、

 

 

「さては。」と事を静め、「ものには、念を入れたるがよい。」と言ふ時、

 

「それでは(小判が見つかったか)。」と騒ぎを静め、「ものには、念を入れるのがよい。」と言ふ時、

 

 

(ない)(しょう)より、(ない)()声を立てて、「小判はこの方へ参つた。」と、重箱の(ふた)につけて、()(しき)へ出だされける。

 

台所から、(内助の)妻が声を立てて、「小判はこちらの方へ来ていました。」と、重箱の蓋につけて、座敷へ出された。

 

 

これは(よい)に、山の(いも)()しめ物を入れて出だされしが、その湯気にて取りつきけるか。さもあるべし。

 

これ(=重箱)は夕方に、山芋の煮しめ物を入れて出されたが、その湯気で(小判が蓋に)くっついたのか。そのようなこともあるだろう。

 

 

これでは小判十一両になりける。いづれも申されしは、「この金子、ひたもの数多くなること、めでたし。」と言ふ。

 

(しかし、)これでは小判十一両になってしまった。どの方も申されたことには、「この金子、ひたすら数が多くなることは、めでたい。」と言う。

 

(3)

 

亭主申すは、「九両の小判、十両の(せん)()するに、十一両になること、座中金子を持ち合はせられ、

 

亭主(=原田内助)が申すには、「九両の小判が、十両(あったはずだと)の詮議をしているうちに、十一両になったということは、この場の誰かが金子を持ち合わせておられて、

 

 

最前の難儀を救はんために、御()だしありしは疑ひなし。

 

先ほどの難儀を救うために、お出しになったということで疑いない。

 

 

この一両わがかたに、(おさ)むべき用なし。御(ぬし)へ返したし。」と聞くに、

 

この一両を私の手元に納めるべき理由がない。持ち主へ返したい。」と(客の皆に)聞くが、

 

 

だれ返事のしてもなく、一座異なものになりて、()(ふけ)(どり)も鳴く時なれども、おのおの立ちかねられしに、

 

誰も返事をする人もなく、一座の雰囲気が変なものになって、夜更鳥も鳴く時刻であるけれども、おのおの帰りづらくなられて、

 

 

「このうへは、亭主が所存(しょぞん)の通りにあそばされて給はれ。」と願ひしに、

 

(内助が、)「この上は、亭主(=私)の考えのとおりになさってください。」と願ったところ、

 

 

「とかくあるじの心まかせに。」と申されければ、かの小判を(いっ)(しょう)(ます)に入れて、庭の(ちょう)()(ばち)の上に置きて、

 

(客人が、)「とにかく亭主の思うがままに。」と申されたので、(内助は)あの小判を一生枡に入れて、庭の手水鉢の上に置いて、

 

 

「どなたにても、この金子の主、取らせられて、御帰り給はれ。」と、

 

「どなたであっても、この金子の持ち主が、お取りになって、お帰りください。」と(言って)、

 

 

御客一人づつ立たしまして、一度一度に戸をさしこめて、七人を七度に出だして、

 

お客を一人ずつ立たせまして、一回ごとに戸を閉めて、七人を七回に分けて送り出して、

 

 

そののち内助は、()(しょく)ともして見るに、誰とも知れず、取つて帰りぬ。

 

その後内助は、手燭をともして(一生枡を)見ると、誰とも知れず、(小判を)取って帰っていた。

 

 

あるじ即座の分別、座なれたる客のしこなし、かれこれ武士のつき合ひ、格別ぞかし。

 

亭主の即座の機知、座なれた客の振る舞い、あれもこれも武士の付き合い(というものは)、格別なものであるよ。

 

 

西鶴諸国ばなし『大晦日は合はぬ算用』(1)解説・品詞分解

 

西鶴諸国ばなし『大晦日は合はぬ算用』まとめ

 

 

 

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