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『臥薪嘗胆』原文・書き下し文・現代語訳

青=現代語訳・下小文字=返り点・上小文字=送り仮名・解説=赤字

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臥薪嘗胆(がしんしょうたん)=目的を果たすために苦労に耐えること。薪の中で()し、苦い肝をなめること。

 

呉王闔廬、挙ゲテ伍員ラシム国事

呉王闔廬(かふりょ)伍員(ごうん)()げて国事を(はか)らしむ。

※使役=「~(セ)シム。」→「~させる。」 文脈から判断して使役の意味でとらえることがある。

闔廬は伍員を挙用して、国の政治を任せた。

 

 

員、字子胥、楚人伍奢()ナリ

員、(あざな)子胥(ししょ)、楚人伍奢(ごしゃ)の子なり。

 

伍員は、字を子胥といい、楚の国の人である伍奢の子である。

 

 

奢誅セラレテ而奔。以ヰテ

(しゃ)(ちゅう)せられて呉に(はし)る。呉の兵を(ひき)ゐて(えい)に入る。

 

(子胥の父である)奢が(楚の平王に罪を責められて)殺されたので、(子胥は)呉に亡命した。(後に子胥は)呉の兵を率いて(楚の都である)郢に攻め入った。

 

 

呉伐、闔廬傷ツキテ而死。子夫差立。子胥復

呉越を()つ。闔廬(かふりょ)傷つきて死す。子の夫差(ふさ)立つ。子胥(ししょ)()(これ)(つか)ふ。

 

呉は越を攻めた。(その際、呉の王である)闔廬は負傷して死んだ。(その後、闔廬の)子の夫差が王位についた。子胥はまたこの夫差にも仕えた。



夫差志セント。朝夕臥薪中、出入スルニ使メテヲシテハク

夫差(あだ)(ふく)せんと(こころざ)す。朝夕薪中(しんちゅう)()し、出入するに人をして呼ばしめて()はく、

※使=使役「使ヲシテ(セ)」→「AをしてB(せ)しむ」→「AにBさせる」

夫差は(父の)あだ討ちを志した。(その目的のために、)朝夕、薪の中で臥して寝て、出入りをする際に人々に叫ばせたことには、

 

 

「夫差、而忘レタル越人()シシヲ()。」

「夫差、(なんぢ)越人の(なんぢ)の父を殺ししを忘れたるか。」と

※「邪」は「や」と「か」の読み方があるが、直前が終止形だと「や」、直前が連体形だと「か」である。ここでは直前に完了の助動詞「たり」の連体形が来ているため「か」と読む。

「夫差よ、お前は越の国の人間がお前の父を殺したのを忘れたのか。」と。

 

 

敬王二十六年、夫差敗于夫椒

周の敬王の二十六年、夫差越を夫椒(ふせう)(やぶ)る。

※于=置き字(場所)

周の敬王の二十六年、夫差は越を夫椒で破った。

 

 

越王勾践、以ヰテ余兵会稽山、請、妻一レラント

越王勾践(こうせん)、 余兵を(ひき)ゐて会稽山(くわいけいざん)()み、(しん)()り妻は(せふ)()らんとを()ふ。

 

越王の勾践は、敗残兵を率いて会稽山にひそみ、(勾践自身は)家来となり妻は召使いに差し出すということを(条件に、命を)請うた。

 

 

子胥言、 「不可ナリト。」

子胥言ふ、「不可なり。」と

 

(そのことに対し、)子胥は「だめです。」と言った。

 

 

太宰伯嚭受、説キテ夫差サシム

太宰伯嚭(たいさいはくひ)越の(まひなひ)を受け、夫差に()きて越を(ゆる)さしむ。

※説=使役「説キテ(セ)シム。」→「Aに説きてB(せ)しむ。」→「Aを説得してBさせる。」

宰相の伯嚭は越からの賄賂を受け取り、夫差を説得して越王を許させた。

 

 

勾践反、懸於坐臥、即メテハク

勾践国に(かへ)り、(きも)坐臥(ざぐわ)()け、(すなは)(きも)(あお)(これ)()めて曰はく、

 

勾践は国に帰り、胆を寝起きするところに吊り下げ、すぐに胆を仰いで嘗めて言うことには、

 

 

「女忘レタル会稽之恥()。」

(なんぢ)会稽(くわいけい)の恥を忘れたるか。」と。

 

「おまえは会稽での恥を忘れたのか。」と。

 

 

ゲテ国政大夫種、而シテ()范蠡、事トスルヲ

国政を挙げて大夫(たいふ)(しよう)(しょく)し、(しかう)して范蠡(はんれい)と兵を治め、呉を(はか)るを(こと)とす。

※而(しかう)して=順接、そして。  治=軍備を整える

国の政治をすべて大臣の種に任せ、そして范蠡と軍備を整え、呉を攻略することに専念した。

 

 

太宰嚭、譖 子胥恥ヂテ()一レルヲヰラレ怨望スト

太宰嚭(たいさいひ)子胥(ししょ)(はかりごと)(もち)ゐられざるを恥ぢて(えん)(ぼう)すと(しん)す。

 

宰相の伯嚭は、子胥が自分のはかりごとが用いられなかったことを悔しく思い、恨みに思っていると、(子胥を貶めるため夫差に対し)嘘の訴えをした。

 

 

夫差乃子胥属鏤()

夫差(すなは)ち子胥に属鏤(しょくる)の剣を(たま)ふ。

 

夫差はそこで子胥に属鏤の剣を与えた。

 

 

子胥告ゲテ家人ハク

子胥其の家人に()げて曰はく、

 

(属鏤の剣を頂いた意味をくみ取り、自ら命を絶つことを決め、)子胥は自分の家族に告げて言うことには、

 

 

「必ヱヨ。檟トス(なり)。抉リテ、懸ケヨ東門。以ント越兵()一レボスヲ。」

「必ず()が墓に()()ゑよ。()は材とすべきなり。()が目を(えぐ)り、東門に()けよ。(もっ)て越兵の呉を(ほろ)ぼすを()ん。」と。

 

「必ず私の墓にひさぎの木を植えてくれ。ひさぎの木は棺おけの材料にできる。私の目を抉り出して、(越が攻めてくる方角である)東門に懸けてくれ。そして越の兵が呉を滅ぼすのを見てやろう。」と。

 

 

自剄

(すなは)自剄(じけい)す。

 

そこで(属鏤の剣を用いて、)自ら自分の首をはねて死んだ。

 

 

夫差取、盛ルニテシ鴟夷、投

夫差()(しかばね)を取り、()るに()()(もっ)てし、(これ)を江に(とう)ず。

 

夫差は子胥の屍を取り、馬の革で作った袋に詰め込んで、それを長江に投げ込んだ。

 

 

呉人憐レミ、立江上、命ケテ胥山

呉人(これ)(あわ)れみ、()を江上に立て、(なづ)けて(しよ)(ざん)と曰ふ。

 

呉の国の人々はこの事を憐み、ほこらを長江のほとりに建てて、胥山と名づけた。

 

 

越、十年生聚、十年教訓。周元王四年、越伐。呉三タビタビ

越、十年生聚(せいしゅう)し、十年教訓す。周の元王の四年、越呉を()つ。呉()たび戦ひて()たび()ぐ。

 

越では、十年間人口や財貨を増やして国力を高め、十年間優れた兵士を育てるため軍事訓練を施した。周の元王の四年、越は呉を攻めた。呉は三度戦って、三度とも敗走した。

※「三」は数が多いことを表す言葉でもあるため、「何度も戦い、そのたびに敗走した。」といった訳でも良い。



夫差上姑蘇、亦請於越。范蠡()

夫差姑蘇(こそ)(のぼ)り、(また)(たひらぎ)を越に()ふ。范蠡(はんれい)()かず。

 

夫差は姑蘇山に登り、また講和を越に願い出た。(しかし、)范蠡は聞き入れなかった。

 

 

夫差曰ハク、 「吾無シト子胥。」

夫差曰はく、「(われ)(もっ)子胥(ししょ)を見る無し。」と。

 

夫差は、「(死後のあの世で)子胥に合わせる顔がない」と言った。

 

 

リテ幎冒

幎冒(べきばう)(つく)りて(すなは)ち死す。

 

(そして夫差は、)死者の顔を覆う布を作り、それで顔を隠して自殺した。

 

 

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