「黒=原文」・「青=現代語訳」
解説・品詞分解はこちら今物語『桜木の精』解説・品詞分解
小式部内侍、大二条殿におぼしめされけるころ、
小式部内侍が、大二条殿(藤原教通)に寵愛されていたころ、
久しく仰せ言なかりける夕暮れに、あながちに恋ひ奉りて、端近くながめゐたるに、
(大二条殿から)長らく音沙汰のなかったある夕暮れ時に、(小式部内侍は大二条殿のことを)ひたすら恋しく思い申し上げて、(外が見える部屋の)端近くで物思いにふけっていると、
御車の音などもなくて、ふと入らせ給ひたりければ、
御車の音などもしないのに、突然(大二条殿が)お入りになったので、
待ち得て夜もすがら語らひ申しける。
待ちに待っての訪問で、一晩中お話し申し上げた。
暁方に、いささかまどろみたる夢に、糸の付きたる針を御直衣の袖に刺すと見て夢覚めぬ。
明け方に、(小式部内侍は)少しうとうと眠っていた時の夢の中で、糸の付いている針を(大二条殿の)直衣の袖に刺したと見て、夢から覚めた。
さて帰らせ給ひにけるあしたに、
そして(大二条殿が)お帰りになった朝に、
御名残を思ひ出でて、例の端近くながめいたるに、
名残を思い出して、いつものように端近くで物思いにふけっていると、
前なる桜の木に糸の下がりたるを、あやしと思ひて見ければ、
目の前にある桜の木に糸が下がっているのを、妙だと思って見たところ、
夢に、御直衣の袖に刺しつる針なりけり。いと不思議なり。
夢の中で、(大二条殿の)直衣の袖に刺した針であった。たいそう不思議なことである。
あながちに物を思ふ折には、木草なれども、かやうなることの侍るにや。
ひたすらに物を思う時には、木や草であっても、このようなことがございますのでしょうか。
その夜御渡りあること、まことにはなかりけり。
(大二条殿が)その夜いらっしゃったということは、事実ではなかった。
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