「黒=原文」・「青=現代語訳」
解説・品詞分解はこちら徒然草『花は盛りに』(2)解説・品詞分解
すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。
総じて、月や花をそのように目だけで見るものであろうか。
春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いと頼もしう、をかしけれ。
春は家を出ていかなくても、月夜は寝室の中に居ながらでも(月を)思っているのこそ、とても楽しみに思えて、趣がある。
よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまもなほざりなり。
情趣を解する人は、ひたすらに風流を好む様子にも見えず、面白がる様子もほどほどである。
片田舎の人こそ、色濃く、よろづはもて興ずれ。
片田舎の人に限って、しつこく、何事につけても面白がるのだ。
花のもとには、ねぢ寄り立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌して、果ては、大きなる枝、心なく折り取らぬ。
花の下には、にじり寄り立ち寄って、よそ見もせずじっと(花を)見つめて、酒を飲み、連歌をして、最終的には、大きな枝を、心なく折り取ってしまう。
泉には手・足さしひたして、雪には降り立ちて跡つけなど、よろづのもの、よそながら見ることなし。
泉には手や足を入れて浸し、雪(が積もった日)には降り立って足跡をつけるなど、あらゆるものを、距離をとって見るということがない。
さやうの人の祭り見しさま、いと珍らかなりき。
そのような人が(賀茂の)祭りを見物した様子は、たいそう珍しいものであった。
「見ごといと遅し。そのほどは桟敷不用なり。」とて、
「見もの(の祭りの行列が来るの)がたいそう遅い。その時までは桟敷(=見物するための席)にいる必要はない。」と言って、
奥なる屋にて酒飲み、物食ひ、囲碁・双六など遊びて、桟敷には人を置きたれば、
(桟敷の)奥にある部屋で酒を飲み、物を食い、囲碁や双六などで遊んで、桟敷には人を置いているので、
「渡り候ふ。」と言ふ時に、おのおの肝つぶるるやうに争ひ走り上りて、
「(行列が)通ります。」と言う時に、おのおの肝がつぶれるような勢いで争い(桟敷に)走り上って、
落ちぬべきまで簾張り出でて、押し合ひつつ、一事も見洩らさじとまもりて、
(桟敷から今にも)落ちそうなほどまでに簾を張り出して、押し合いつつ、一つも見逃すまいとじっと見て
「とあり、かかり。」と物ごとに言ひて、渡り過ぎぬれば、
「ああだ、こうだ。」と何かあるたびに言って、(行列が)通り過ぎてしまうと、
「また渡らんまで。」と言ひて降りぬ。ただ、物をのみ見んとするなるべし。
「また通るまで。」と言って(桟敷を)降りていった。ただ、行列だけを見ようとするのであろう。
都の人のゆゆしげなるは、睡りていとも見ず。
都の人で身分の高いような人は、目をつぶって眠ったようにしていてたいして見ない。
若く末々なるは、宮仕へに立ち居、人の後ろに候ふは、さまあしくも及びかからず、わりなく見んとする人もなし。
若く身分の低い人たちは、主人に仕えて立ったり座ったりして、主人の後ろにお仕えしている者は、みっともなくのしかからず、分別をわきまえずに見ようとする人もいない。