「黒=原文」・「青=現代語訳」
解説・品詞分解はこちら土佐日記『羽根』解説・品詞分解
十一日。暁に船を出だして、室津を追ふ。
十一日。夜明けの少し前に船を出して、室津を目指す。
人みなまだ寝たれば、海のありやうも見えず。ただ月を見てぞ、西東をば知りける。
人々は皆まだ寝ているので、海の様子も見えない。ただ月を見て、(方角の)西東を知った。
かかる間に、みな、夜明けて、手洗ひ、例のことどもして、昼になりぬ。
こうしているうちに、人々は皆、夜が明けて、顔や手を洗い、いつものこと(=礼拝や食事などの朝の用事)をいろいろとして、昼になった。
今し、羽根といふ所に来ぬ。わかき童、この所の名を聞きて、「羽根といふ所は、鳥の羽のやうにやある。」と言ふ。
ちょうど今、羽根という所に来た。幼い子供が、この(羽根という)土地の名を聞いて、「羽根という所は、鳥の羽のようであるのか。」と言う。
まだをさなき童の言なれば、人々笑ふときに、ありける女童なむ、この歌をよめる。
まだ幼い子供の言葉なので、人々が笑うときに、その場にいた女の子が、この歌を詠んだ。
まことにて 名に聞くところ 羽ならば 飛ぶがごとくに 都にもがな
本当に、(その羽根という土地の)名に聞くところの羽であるならば、飛ぶように(早く)都へ帰りたいものだなあ。
とぞ言へる。男も女も、いかでとく京へもがなと思ふ心あれば、
と言った。男も女も、なんとかして早く都の京へ帰りたいと思う気持ちがあるので、
この歌、よしとにはあらねど、げにと思ひて、人々忘れず。
この歌は、優れているというわけではないけれど、本当にその通りだと思って、人々は(この歌を)忘れない。
この羽根といふ所問ふ童のついでにぞ、また昔へ人を思ひ出でて、いづれの時にか忘るる。
この羽根という所について尋ねる子供をきっかけに、また亡くなった人(=作者である紀貫之の娘)を思い出して、いつになったら忘れるのか。(いや、忘れることはない。)
今日はまして、母の悲しがらるることは。
今日はいつにもまして、母(=亡くなった娘の母であり、紀貫之の妻)が悲しがっていらっしゃることだ。
下りしときの人の数足らねば、
(京から土佐に)下ったときの人数に足らないので、
※娘が亡くなっているために、京から土佐に来た時よりも、土佐から京へ帰る時の方が人数が少なくなっている。
古歌に「数は足らでぞ帰るべらなる」ということを思ひ出でて、人のよめる、
古歌に、「数は足らでぞ帰るべらなる」というのがあることを思い出して、ある人(=紀貫之)が詠んだ歌、
※古今集にある「北へ行く 雁ぞ鳴くなる 連れて来し 数は足らでぞ 帰るべらなる」という歌のこと。
訳:北の方へ帰る雁が(悲しげに)鳴いているようだ。連れ立って来た時の数とは足りなくなって帰るのだろう。
世の中に 思ひやれども 子を恋ふる 思ひにまさる 思ひなきかな
この世の中で、いろいろと思いやるけれども、子を恋しく思う思いにまさる思いはないことだよ
と言ひつつなむ。
と言っては思い嘆いていた。