作者:鴨長明(かものちょうめい)
「黒=原文」・「青=現代語訳」
解説・品詞分解はこちら方丈記『日野山の閑居』解説・品詞分解(1)
ここに六十の露消えがたに及びて、さらに末葉の宿りを結べることあり。
さて六十歳という露のように(はかない命が)消えそうな年齢に及んで、新たに(残りの人生を過ごすための)晩年の住まいを作ったことがある。
いはば、旅人の一夜の宿を作り、老いたる蚕の繭を営むがごとし。
いわば、旅人が一夜(泊まるだけ)の宿を作り、老いた蚕が繭を作るようなものだ。
これを中ごろの住みかにならぶれば、また百分が一に及ばず。
この家を人生の中頃の住まいと比べると、やはり百分の一にも及ばない。
とかく言ふほどに、齢は歳々に高く、栖は折々に狭し。
あれこれ言ううちに、年齢は年々高くなり、住まいは(引っ越す)そのたびごとに狭くなる。
その家のありさま、世の常にも似ず。広さはわづかに方丈、高さは七尺がうちなり。
その家の様子は、世間一般(の家)とは似ていない。広さはわずか一丈四方、高さは七尺以内である。
所を思ひ定めざるがゆゑに、地を占めて作らず。
(生涯住むための)場所を決めていないがために、土地を所有して(家を)作らない。
土居を組み、打覆を葺きて、継ぎ目ごとに掛金を掛けたり。
土台を組み、打覆いで屋根を葺いて、継ぎ目ごとに掛金を掛けてある。
※打覆=名詞、簡単な屋根
もし心にかなはぬことあらば、やすくほかへ移さんがためなり。
もし気に入らないことがあれば、容易に他へ引っ越そうと思うからである。
その改め作ること、いくばくのわづらひかある。
その(簡易な家を)建て直すことに、どれほどの面倒があるだろうか。(いや、ない。)
積むところわづかに二両、車の力を報ふほかには、さらにほかの用途いらず。
(家の資材を)車に積んでもわずか二台分で、車の運搬に対する報酬(を払う)以外は、まったく他の費用はいらない。
今、日野山の奥に跡を隠して後、東に三尺余りの庇をさして、柴折りくぶるよすがとす。
今、日野山の奥に行方を隠してから、(この家の)東に三尺余りの庇を作って、(その下を炊事などのために)柴を折って燃やす場所とした。
南、竹の簀子を敷き、その西に閼伽棚を作り、北に寄せて障子を隔てて阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢を画き、前に法華経を置けり。
南は、竹の簀子を敷き、その西に閼伽棚を作り、(室内は)北に寄せて障子を隔てて阿弥陀如来の絵像を安置し、そばに普賢菩薩を描いて(飾り)、前に法華経を置いている。
東の際に蕨のほとろを敷きて、夜の床とす。西南に竹の吊り棚を構へて、黒き皮籠三合を置けり。
東の端にワラビが成長して伸びたものを敷いて、夜の寝床とする。西南に竹の吊り棚を作って、黒い革張りの籠三箱を置いてある。
すなはち、和歌、管絃、『往生要集』ごときの抄物を入れたり。
そこで、和歌の本、管弦の本、『往生要集』のような抄物を入れている。
傍らに、琴、琵琶おのおの一張を立つ。いはゆる折琴、継琵琶これなり。仮の庵の有様、かくのごとし。
そばに、琴、琵琶それぞれ一つずつを立ててある。いわゆる折琴、継ぎ琵琶がこれである。仮の庵の様子は、このようである。
その所のさまを言はば、南に懸樋あり。岩を立てて水をためたり。
その(庵のある)場所の様子を言うならば、南に懸樋がある。岩を組み立てて水をためている。
林の木近ければ、爪木を拾ふに乏しからず。名を音羽山といふ。
林の木が近くにあるので、薪にする小枝を拾うのに不自由しない。(この場所の)名を音羽山という。
まさきの蔓、跡埋めり。谷しげけれど、西晴れたり。
まさきの蔓が、(人が通った)跡を埋めている。谷は(草木が)茂っているけれど、西の方は(見晴らしが良く)開けている。
観念のたよりなきにしもあらず。
西方の極楽浄土を念じる便宜がないわけではない。
春は藤波を見る。紫雲のごとくして、西方ににほふ。
春は藤の花が波のように風に吹かれて揺れる様子を見る。(その様子は)紫雲のようで、西の方に美しく映える。
※紫雲(しうん)=名詞、阿弥陀仏が死者を迎えに行く時に乗る紫の雲
夏は郭公を聞く。語らふごとに、死出の山路を契る。
夏はホトトギスの鳴き声を聞く。(ホトトギスが話しかけてくるかのように)鳴くたびに、死出の旅路(の案内)を約束する。
※ホトトギス=名詞、死出の田長(しでのたをさ)とも呼ばれる鳥。人が死後に行く冥途(めいど)にあるという死出の山(しでのやま)から飛んでくる鳥。作者はこの鳥に、死んだ後の道案内を頼もうとしている。
秋はひぐらしの声、耳に満てり。空蝉の世を悲しむほど聞こゆ。
秋はひぐらしの鳴き声が、耳に満ちあふれる。(その鳴き声は)はかないこの世を悲しむように聞こえる。
冬は雪をあはれぶ。積もり消ゆるさま、罪障にたとへつべし。
冬は雪をしみじみと賞美する。(雪が)積もっては消える様子は、罪障(が積もったり消えたりする様子)にたとえることができる。
※罪障(ざいしょう)=名詞、極楽往生・成仏の妨げとなる罪深い行い。
もし念仏もの憂く、読経まめならぬ時は、自ら休み、自ら怠る。
もし念仏(を唱えるの)が面倒で、読経をまじめにできない時は、自分の意志で休み、自分の意志で怠ける。
妨ぐる人もなく、また、恥づべき人もなし。
(それを)妨げる人もなく、また、恥ずかしいと思う人もいない。
ことさらに無言をせざれども、独りをれば口業を修めつべし。
わざわざ無言の行をするのではないけれども、独りでいるので、言葉による罪を防ぐことができる。
※口業=名詞、口のわざわいによるの罪。口は災いのもと的なアレ。
必ず禁戒を守るとしもなくとも、境界なければ、何につけてか破らん。
必ず禁戒を守ろうとしなくても、(心を惑わす)環境がないので、何によって破るだろうか。(いや、破ることはない。)
※禁戒(きんかい)=名詞、仏道修行者が守るべき戒め。仏の禁じている戒め。
続きはこちら方丈記『日野山の閑居』現代語訳(2)