青=現代語訳・下小文字=返り点・上小文字=送り仮名・解説=赤字
沛公已ニ出ヅ。項王使三ム都尉陳平ヲシテ召二サ沛公一ヲ。
沛公已に出づ。項王都尉陳平をして沛公を召さしむ。
※使=使役「使二ムAヲシテB一(セ)」→「AをしてB(せ)しむ」→「AにBさせる」
沛公はすでに外へ出た。項王は都尉陳平に沛公を呼びに行かせた。
沛公曰ハク、「今者出ヅルニ未レダ/ル辞セ也。為レスコト之ヲ奈何ト。」
沛公曰はく、「今者出づるに未だ辞せざるなり。之を為すこと奈何。」と。
※「未ニダ ~ 一(セ)」=再読文字、「未だ ~(せ)ず」、「まだ ~(し)ない」
※奈何・如何(いかん)=疑問、「どうして~か・どうなるか・どうであるか」
沛公が言うことには、「今、退出したときに、まだ挨拶をしてなかった。どうしたらよいだろうか。」と。
樊噲曰ハク、「大行ハ不レ顧二ミ細謹一ヲ、大礼ハ不レ辞二セ小譲一ヲ。
樊噲曰はく、「大行は細謹を顧みず、大礼は小譲を辞せず。
樊噲が言うことには、「大事を行う時には、ささいな慎みなど問題にせず、重大な礼節を行う時には、小さな譲り合いなど問題にしません。
如今、人ハ方ニ為二リ刀俎一、我ハ為二リ魚肉一。何ゾ辞スルコトヲ為サント。」
如今、人は方に刀俎たり、我は魚肉たり。何ぞ辞するを為さん。」と。
※「何ゾ ~ (セ)ン(ヤ)」=反語、「何ぞ ~(せ)ん(や)」、「どうして ~(する)だろうか。(いや、~ない)」
今、項王たちはちょうど包丁とまな板であり、我々は魚肉も同然です。どうして別れの挨拶などしていられましょうか。(いや、していられません。)」と。
於レイテ是ニ遂ニ去ル。
是に於いて遂に去る。
※「於レイテ是ニ」=そこで。こうして。
こうして、(沛公は)そのまま立ち去った。
乃チ令二ム張良ヲシテ留マリ謝一セ。
乃ち張良をして留まり謝せしむ。
※令=使役「令二ムAヲシテB一(セ)」→「AをしてB(せ)しむ」→「AにBさせる」
そこで(沛公は)張良に留まらせて謝罪させることにした。
良問ヒテ曰ハク、「大王来タルトキ、何ヲカ操レルト。」
良問ひて曰はく、「大王来たるとき、何をか操れる。」と。
※「何ヲ(カ) ~ (スル)」=疑問、「何を(か) ~(する)」、「何を ~か」
張良が(沛公に)尋ねて言うことには、「大王(=沛公)は(こちらに)来られた時、何を(お土産として)持って来ましたか。」と。
曰ハク、「我持二シ白璧一双一ヲ、欲レシ献二ゼント項王一ニ、玉斗一双ヲバ、欲レセシモ与二ヘント亜父一ニ、会二ヒテ其ノ怒一リニ、不二敢ヘテ献一ゼ。公為レニ我ガ献レゼヨト之ヲ。」
曰はく、「我白璧一双を持し、項王に献ぜんと欲し、玉斗一双をば、亜父に与へんと欲せしも、其の怒りに会ひて、敢へて献ぜず。公我が為に之を献ぜよ。」と。
※「不二敢ヘテ ~一(せ)」=「しいて(無理に) ~しようとはしない。/ ~するようなことはしない」
(沛公が)言うことには、「私は白璧(=白い宝石)一対を持参し、項王に献上しようとし思い、玉斗(=玉で作ったひしゃく)一対を亜父(=范増)に与えようと思ったが、項王の怒りにあって、しいて献上しようとはしなかった。あなたが私のためにこれを献上してくれ。」と。
張良曰ハク、「謹ミテ諾スト。」
張良曰はく、「謹みて諾す。」と。
張良が言うことには、「謹しんで承ります。」と。
当二タリ是ノ時一ニ、項王ノ軍ハ在二リ鴻門ノ下一ニ、沛公ノ軍ハ在二リ覇上一ニ。相去ルコト四十里ナリ。
是の時に当たり、項王の軍は鴻門の下に在り、沛公の軍は覇上に在り。相去ること四十里なり。
この時、項王の軍は鴻門のもとにあり、沛公の軍は覇上にいた。相互の軍が離れている距離は四十里ほどである。
沛公則チ置二キ車騎一ヲ、脱レシテ身ヲ独リ騎シ、与下樊噲・夏侯嬰・靳彊・紀信等四人ノ持二シテ剣盾一ヲ歩走上スルモノ、従二リ酈山ノ下一、道二シテ芷陽一ニ間行ス。
沛公則ち車騎を置き、身を脱して独り騎し、樊噲・夏侯嬰・靳彊・紀信等四人の剣盾を持して歩走するものと、酈山の下より、芷陽に道して間行す。
沛公はそこで車騎を置いたままにして、抜け出して自分一人だけ馬に乗り、剣と盾を持って走る樊噲・夏侯嬰・靳彊・紀信ら四人をお供にして、酈山のふもとから、芷陽(=覇上)への道を選んでこっそりと近道を行った。
沛公謂二ヒテ張良一ニ曰ハク、「従二リ此ノ道一至二ルニハ吾ガ軍一ニ、不レル過二ギ二十里一ニ耳。
沛公張良に謂ひて曰はく、「此の道より吾が軍に至るには、二十里に過ぎざるのみ。
※「~ 耳」=限定「~ のみ」「~ だけだ」
沛公が張良に向かって言うことには、「この道から我が軍のところにまで到着するには、二十里にしかすぎない。
度三リ我ノ至二ルヲ軍中一ニ、公乃チ入レト。」
我の軍中に至るを度り、公乃ち入れ。」と。
我が軍中に到着するころを見計らって、あなたはそこで(宴席に)入ってくれ。」と。
沛公已ニ去リ、間クニシテ至二ル軍中一ニ。
沛公已に去り、間くにして軍中に至る。
沛公はすでに去り、しばらくして自軍の中に到着した。
張良入リテ謝シテ曰ハク、「沛公不レ勝二ヘ桮杓一ニ、不レ能レハ辞スルコト。
張良入りて謝して曰はく、「沛公桮杓に勝へず、辞すること能はず。
※「不レ能二ハA一(スル)(コト)」=不可能、「 ~(する)(こと)能はず」「(能力がなくて) ~Aできない」
張良は(宴席に)入って謝罪して言うことには、「沛公はこれ以上お酒を飲むことができず(すっかり酔ってしまったせいで)、退席のための挨拶もできません。
謹ミテ使下ムト臣良ヲシテ奉二ジ白璧一双一ヲ、再拝シテ献二ジ大王ノ足下一ニ、玉斗一双ヲバ、再拝シテ奉中ゼ大将軍一レリト足下上ニ。」
謹みて臣良をして白璧一双を奉じ、再拝して大王の足下に献じ、玉斗一双をば、再拝して大将軍の足下に奉ぜしむ。」と。
※使=使役「使二ムAヲシテB一(セ)」→「AをしてB(せ)しむ」→「AにBさせる」
謹しんでこの私、張良に命じて白璧一対をささげ、丁寧に挨拶をして大王(=項王)のおそばに献上し、玉斗一対を、丁寧に挨拶をして大将軍(=范増)のおそばにささげさせたのです。」と。
項王曰ハク、「沛公安クニカ在ルト。」
項王曰はく、「沛公安くにか在る。」と。
※「安クニカ ~(スル)」=疑問、「どこに ~か」
項王は、「沛公はどこにいるのか。」と言った。
良曰ハク、「聞二キ大王有一レリト意三督-二過スルニ之一ヲ、脱レシテ身ヲ独リ去レリ。已ニ至レラント軍ニ矣。」
良曰はく、「大王之を督過するに意有りと聞き、身を脱して独り去れり。已に軍に至らん。」と。
※矣=置き字(断定・強調)
張良が言うことには、「大王(=項王)が沛公の過ちをとがめるご意志があると聞き、抜け出して一人で去りました。すでに自軍に到着したでしょう。」と。
項王則チ受レケ璧ヲ、置二ク之ヲ坐上一ニ。
項王則ち璧を受け、之を坐上に置く。
項王は璧を受け取り、これを座席のかたわらに置いた。
亜父受二ケ玉斗一ヲ、置二キ之ヲ地一ニ、抜レキ剣ヲ撞キテ而破レリテ之ヲ曰ハク、
亜父玉斗を受け、之を地に置き、剣を抜き撞きて之を破りて曰はく、
※而=置き字(順接・逆接)
亜父(=范増)は玉斗を受け取り、これを地面に置き、剣を抜き突き刺してこれを壊して言うことには、
「唉、豎子、不レ足二ラ与ニ謀一ルニ。
「唉、豎子、与に謀るに足らず。
「ああ、青二才め、一緒に謀りごとはできない。
奪二フ項王ノ天下一ヲ者ハ、必ズ沛公ナラン也。
項王の天下を奪ふ者は、必ず沛公ならん。
項王の天下を奪う者は、必ずや沛公であろう。
吾ガ属今ニ為二ラント之ガ虜一ト矣。」
吾が属今に之が虜と為らん。」と。
※矣=置き字(断定・強調)
我が一族は今に沛公に捕らわれてしまうだろう。」
沛公至レリ軍ニ、立チドコロニ誅-二殺ス曹無傷一ヲ。
沛公軍に至り、立ちどころに曹無傷を誅殺す。
沛公は自軍のいる場所に到着すると、すぐさま曹無傷を誅殺した。
※誅殺=罪をとがめて殺すこと。曹無傷の罪は(1)・(2)を参照