漢文

『枕中記』原文・書き下し文・現代語訳

青=現代語訳・下小文字=返り点・上小文字=送り仮名・解説=赤字

 

開元七年、道士呂翁トイフ、得タリ神仙

(かい)(げん)(しち)(ねん)(どう)()(りょ)(おう)といふ(もの)()り、(しん)(せん)(じゅつ)()たり。

 

開元七年、道士(=道教の修行者)に呂翁という者がいて、神仙の術を会得していた。

 

 

邯鄲道中、息邸舎。摂、隠リテ而坐

(かん)(たん)(どう)(ちゅう)()き、(てい)(しゃ)(いこ)ひ、(ぼう)()(おび)(ゆる)め、(ふくろ)()りて()す。

※而=置き字(順接・逆接)

邯鄲へ行く道中、宿屋で休み、帽子を脱いで帯をゆるめ、袋に寄りかかって座った。

 

 

カニ旅中少年。乃盧生(なり)

(にわ)かに(りょ)(ちゅう)(しょう)(ねん)()る。(すなわ)()(せい)なり。

 

ふと旅中の若者を見かけた。その者こそが盧生である。

 

 

短褐、乗青駒(まさ/し)カント于田、亦止マル於邸中

(たん)(かつ)()(せい)()()り、(まさ)(でん)()かんとし、(また)(てい)(ちゅう)(とど)まる。

※「(まさ/す)ニ/  ~(セ)ント」=再読文字、「将(まさ)に ~(せ)んとす」、「~しようとする・~するつもりだ」

※于=置き字(場所)

(盧生は)短い粗末な着物を着て、黒い子馬に乗り、畑に行こうとし、また(彼も呂翁と同様に)宿屋の中に入ってきたのだった。

 

 

()翁共ニシテ而坐、言笑殊ビヤカナリ

(おう)(せき)(とも)にして()し、(げん)(しょう)(こと)()びやかなり。

 

呂翁と同じ席に座り、とても楽しそうに話していた。



シクシテ、盧生顧ミテ衣装敝褻ナルヲ、乃長嘆息シテハク

(これ)(ひさ)しくして、()(せい)()()(しょう)(へい)(せつ)なるを(かえり)みて、(すなわ)(ちょう)(たん)(そく)して()く、

 

しばらくして、盧生は自分の衣装が古びて汚らしいのを改めて見て、そこで長いため息をついて、

 

 

「大丈夫生マレテ()、困シムコト(ごと)クノ(なり)。」

(だい)(じょう)()()()まれて(かな)はず、(くる)しむこと()くのごときなり。」と。

 

「男子としてこの世に生まれてきたのに思うように行かず、このように困窮しているのです。」と言った。

 

 

翁曰ハク、「観ルニ形体、無苦無恙、談諧方。而ズルシムヲ()、何()。」

(おう)()はく、「()(けい)(たい)()に、()()(つつが)()く、(だん)(かい)(まさ)(てき)(しか)()(くる)(たん)ずるは、(なん)ぞや。」と。

 

呂翁は、「あなたの姿かたちを見たところ、苦もなく無事に、今楽しげに話している。それなのに困窮を嘆くのは、どういうわけですか。」と言った。

 

 

生曰ハク、「吾クル(のみ)。何ストハント。」

(せい)()はく、「(われ)()(かりそめ)()くるのみ。(なん)(てき)すと()()はん。」と。

※「~ 耳」=限定「~ のみ」「~ だけだ」

※「何 ~ (セ)ン(ヤ)」=反語、「何ぞ ~(せ)ん(や)」、「どうして ~(する)だろうか。(いや、~ない)」

盧生は、「私はただいいかげんに生きているというだけです。どうしてこれ(=盧生の人生)が快適だと言えましょうか。」と言った。

 

 

翁曰ハク、「此レヲ()シテスト、而何ヲカハントスト。」

(おう)()はく、「()れを(てき)()はずして、(なに)をか(てき)()はん。」と。

 

呂翁は「これを快適だと言わなくて、何を快適だと言うのですか。」と言った。

 

 

ヘテハク、「士()マルルヤ(まさ/べ)ニ/シ、出デテハ将入リテハ相、列ネテ而食ラヒ、選ビテ而聴、使ヲシテ益昌ンニシテ、而家ヲシテ益肥

(こた)へて()はく、「()()()まるるや、(まさ)(こう)()()()て、()でては(しょう)()りては(しょう)(かなえ)(つら)ねて()らひ、(こえ)(えら)びて()き、(ぞく)をして(ますます)(さか)んにして、(いえ)をして(ますます)()えしむべし。

※「(まさ/べ)ニ/シ ~(ス)」=再読文字、「当に ~(す)べし」、「~すべきである・きっと~のはずだ」

※使=使役「使ヲシテ(セ)」→「AをしてB(せ)しむ」→「AにBさせる」

(盧生が)答えて言うことには、「男子としてこの世に生まれたには、功績を上げ名を上げ、将軍や宰相となり、ごちそうを並べて食べ、歌の上手な妓女を選んで聴き、一族を繁栄させて、一家を裕福にさせるべきです。

 

 

()ツテ一レ()

(しか)(のち)()つて(てき)()ふべきか。

※「 ~ や・か(哉・乎・邪など)」=疑問、「 ~ か。」

そうして初めて快適だというべきではないでしょうか。

 

 

吾嘗于学、富於遊芸、自ヘラク当年青紫()シト

(われ)(かつ)(がく)(こころざ)し、(ゆう)(げい)()み、(みずか)(おも)へらく(とう)(ねん)(せい)()(ひろ)ふべしと。

 

私はかつて学問の道を志し、学芸の才に秀で、自分でもそのころは思いのままに出世できると思っていました。

 

 

今已ナルモ、猶畎畝。非ズシテシムニ而何ゾヤト。」

(いま)(すで)(まさ)(そう)なるも、()(けん)()(つと)む。(くる)しむに(あら)ずして(なん)ぞや。」と。

 

(しかし、)今もうちょうど三十歳になりましたが、まだ田畑仕事に(いそ)しんでいます。(これが)困窮でないなら何でしょうか。」と。

 

 

ハリテ、而目昏ネンコトヲ

()()はりて、()(くら)()ねんことを(おも)ふ。

 

言い終わると、眠気を催し寝たいと思った。

 

 

主人方

(とき)(しゅ)(じん)(まさ)(きび)()す。

 

ところで、(宿屋の)主人はちょうど黍を蒸していた。

 

 

翁乃囊中、以ツテケテハク、「子枕セヨ。当ニ/シト()ヲシテ栄適(ごと)一レクナラ。」

(おう)(すなわ)(のう)(ちゅう)(まくら)(さぐ)()つて(これ)(さず)けて()はく、「()()(まくら)(まくら)せよ。(まさ)()をして(えい)(てき)(こころざし)のごとくならしむべし。」と。

※「(まさ/べ)ニ/シ ~(ス)」=再読文字、「当に ~(す)べし」、「~すべきである・きっと~のはずだ」

呂翁はそこで袋の中の枕を探り出して、その枕を盧生に渡して、「あなた、私の枕で寝てみなさい。あなたに思いどおりの出世繁栄をさせてくれるはずです。」と言った。



青瓷ニシテ、而竅ニス両端

()(まくら)(せい)()にして、()(りょう)(たん)(あな)にす。

 

その枕は青い色の焼き物で、その両端には穴があいていた。

 

 

生俛レテクニ、見竅漸キク明朗ナルヲ

(せい)(こうべ)()れて(これ)()に、()(あな)(ようや)(おお)きく(めい)(ろう)なるを()る。

 

盧生が頭を下ろして枕を使うと、その穴がだんだん大きく明るくなるのを見た。

 

 

ゲテ而入、遂

(すなわ)()()げて()り、(つい)()(いえ)(いた)る。

 

そこで(盧生は)体を起こして(その穴の中に)入り、そのまま自宅に着いた。

 

 

府吏引キテリテ、而急ラヘントス

()()(じゅう)()きて()(もん)(いた)りて、(きゅう)(これ)()らへんとす。

 

役人が従卒を率いて盧生の家の門に入って来て、突然盧生を捕らえようとした。

 

 

生惶駭()ラレ、謂ヒテ妻子ハク

(せい)(こう)(がい)(はか)られず、(さい)()()ひて()はく

 

盧生は驚き慌ててどうしていいか分からなくなり、妻子に向かって言うことには、

 

 

「吾家セシトキ山東、有良田五頃、足リシニツテグニ寒餒、何シミテメシヤ

(われ)(さん)(とう)(いえ)せしとき、(りょう)(でん)()(けい)()り、()つて(かん)(だい)(ふせ)ぐに()りしに(なに)(くる)しみて(ろく)(もと)めしや。

 

「私が山東に住んでいたとき、良い田畑が五頃ほど有しており、それで寒さと飢えをしのぐには十分だったのに、どうして苦労して禄を求めたのか。

※五頃=土地の単位、一頃=約580アール

 

 

而今及ビテハ、思フモ短褐、乗リテ青駒、行カント邯鄲道中()()カラ(なり)。」

()()(ここ)(およ)びては、(たん)(かつ)()(せい)()()りて、(かん)(たん)(どう)(ちゅう)()かん(おも)ふも、()べからざるなり。」と。

 

今このような事になってしまったからには、短い粗末な着物を着て、黒い子馬に乗って、邯鄲への道を行きたい(=過去に戻りたい)と思っても、できないことである。」と。

 

 

キテ自刎セントス。其妻救、獲タリルルヲ

(やいば)()きて()(ふん)せんとす。()(つま)(これ)(すく)ひ、(まぬか)るるを()たり。

 

(盧生は)刀を引いて自害しようとした。(しかし、)彼の妻がそれを止めて、(盧生は)死を免れることができた。

 

 

リシ皆死セルニ、独ノミ中官一レチシガ、減ゼラレテ罪死、投ゼラル驩州

()(かか)(もの)(みな)()せるに、(ひと)(せい)のみ(ちゅう)(かん)(これ)(たも)ちしが(ため)に、(ざい)()(げん)ぜられて(かん)(しゅう)(とう)ぜらる。

 

その事件に巻き込まれた者は皆死んでしまったところ、ただ盧生だけは宦官(かんがん)が保証してくれたおかげで、死罪を減免されて、驩州に流された。

 

 

数年ニシテ、帝知ナルヲ、復ヒテ中書令、封燕国公、恩旨殊ナリ

(すう)(ねん)にして、(てい)(えん)なるを()り、()()ひて(ちゅう)(しょ)(れい)()し、(えん)(こく)(こう)(ほう)じ、(おん)()(こと)(こと)なり。

 

数年がたって、帝は(盧生が)無実の罪であることを知り、再び中書省の長官に任命し、燕国公に封じ、(帝の盧生に対する)おぼしめしは格別であった。

 

 

盧生欠伸シテ而悟ムルニ、見於邸舎、呂翁スルヲラニ

()(せい)(けん)(しん)して()むるに、()()(まさ)(てい)(しゃ)()し、(りょ)(おう)()(かたわ)らに()するを()る。

 

盧生はあくびとのびをして目を覚ますと、自分の体はちょうど宿屋に寝ており、呂翁がその傍らに座っているのを見た。

 

 

主人蒸シテ(いま/ざ)、触類(ごと)

(しゅ)(じん)(きび)()して(いま)(じゅく)せず、(しょく)(るい)(もと)のごとし

※「(いま/ざ) ~ (セ)」=再読文字、「未だ ~(せ)ず」、「まだ ~(し)ない」

宿屋の主人は黍を蒸していて、まだ蒸しあがっておらず、周りのものすべてもとのままだった。

 

 

生蹶然トシテ而興キテハク、「豈夢寐ナル()。」

(せい)(けつ)(ぜん)として()きて()はく、「()()()()なるか。」と。

※「豈 ~ やorか(哉・乎・耶)」=詠嘆、「豈に ~ やorか」、「なんと ~ ではないか」

盧生は、がばとはね起きて、「なんと寝て夢をみていたのか。」と言った。



翁謂ヒテハク、「人生()、亦(ごと)シトクノ矣。」

(おう)(せい)()ひて()はく、「(じん)(せい)(てき)も、(また)()くのごとし。」と。

※矣=置き字(断定・強調)

呂翁は盧生に向かって、「人生の快適というものも、またこのようなものだ。」と言った。

 

 

生憮然タルコト良久。謝シテハク、「夫寵辱()道、窮達()運、得喪()理、死生()情、尽レリ矣。

(せい)()(ぜん)たること(やや)(ひさ)し。(しゃ)して()はく()(ちょう)(じょく)(みち)(きゅう)(たつ)(うん)(とく)(そう)()()(せい)(じょう)(ことごと)(これ)()れり。

 

盧生はしばらくの間深い感慨に沈んでいた。(そして、盧生が)感謝して言うことには、「そもそも寵愛と恥辱の道筋、困窮と栄達の巡り合わせ、成功と失敗の道理、死と生の本質、すべて分かりました。

 

 

先生-以窒(なり)。敢ヘテ()ランヤトヘヲ。」

()(せん)(せい)()(よく)(ふさ)所以(ゆえん)なり。()へて(おし)へを()けざらんや。」と。

※「敢ヘテランヤ
(せ)(乎)」=反語、「敢へてA(せ)ざらんや」、「どうしてAしないことがあろう。(いや、きっとAする。)」

これは先生が私の欲望を抑えるためだったのですね。どうして(先生の)教えを受けないことがありましょうか。(いや、きっとお受けします」と。

 

 

稽首再拝シテ而去

(けい)(しゅ)(さい)(はい)して()る。

※稽首=頭を地につけてする最も丁重な礼

※再拝=丁寧にお辞儀をすること

頭を地につけて丁寧におじぎして立ち去った。

 

 

 

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