「黒=原文」・「青=現代語訳」
解説・品詞分解のみはこちら大鏡『宣耀殿の女御』解説・品詞分解(1)
御女、村上の御時の宣耀殿の女御、かたちをかしげにうつくしうおはしけり。
(藤原師尹の)ご息女は、村上天皇の御代の宣耀殿の女御で、容貌が美しくかわいらしくていらっしゃった。
内裏へ参り給ふとて、御車に奉り給ひければ、
(この女御が)宮中へ参内なさろうとして、お車にお乗りになったところ、
わが御身は乗り給ひけれど、御髪のすそは、母屋の柱のもとにぞおはしける。
ご自身のお体は(お車に)お乗りになったけれど、お髪の毛の先は母屋の柱のもとにおありでした。
一筋を陸奥国紙に置きたるに、いかにも隙見えずとぞ申し伝へためる。
(その髪の)一筋を檀紙(=和紙の一種)に置いたところ、少しも(紙の白い)すきまが見えなかったと申し伝えているようです。
御目の尻の少し下がり給へるが、いとどらうたくおはするを、
お目尻が少し下がっていらっしゃるのが、ますますかわいらしくていらっしゃるのを、
帝いとかしこく時めかさせ給ひて、
天皇はたいそう深くご寵愛なさって、
かく仰せられけるとか、
このようにおっしゃったとか(いうことです)。
生きての世 死にての後の 後の世も 羽を交はせる 鳥となりなむ
現世でも、死んだ後の世でも、比翼の鳥になり(、ずっと一緒に暮らし)たいものだ。
※比翼の鳥=名詞、いつも羽を並べて雌雄一体となって飛ぶという空想上の鳥
御返し、女御、
お返しの歌として、女御は、
あきになる 言の葉だにも 変はらずば われも交はせる 枝となりなむ
秋になると木の葉の色が変わるように、人の心も飽きがくると(以前口にした)言葉でさも変わってしまうものですが、もし先程のお言葉が変わらないのならば、私も(枝を連ねて生えているという)連理の枝になり(、ずっと一緒にい)ましょう。
(2)
古今浮かべ給へりと聞かせ給ひて、
(この女御が)古今和歌集を暗記していらっしゃるとお聞きになって、
帝、試みに本を隠して、女御には見せさせ給はで、
天皇は、試しに(古今和歌集の)本を隠して、女御にはお見せにならないで、
「やまと歌は」とあるを初めにて、まづの句の言葉を仰せられつつ、問はせ給ひけるに、
(「仮名序」の)「やまと歌は」とあるのをはじめとして、和歌の初句の言葉をおっしゃっては、(以下の句の言葉を)お尋ねになったところ、
言ひ違へ給ふこと、詞にても歌にてもなかりけり。
(女御が)言い間違えなさることは、詞書でも歌でもなかった。(=完璧に覚えていた。)
かかることなむと、父大臣は聞き給ひて、御装束して、
このようなことが(宮中で行われている)と、父の大臣(=藤原師尹)はお聞きになって、正装して、
手洗ひなどして、所々に誦経などし、念じ入りてぞおはしける。
手を洗い清めなどして、あちらこちらの寺々に読経などをしてもらい、(ご自身も娘のことを)心から祈っていらっしゃった。
帝筝の琴をめでたくあそばしけるも、
天皇は十三弦の琴をみごとに演奏なさったが、
御心に入れて教へなど、限りなく時めき給ふに、
(この女御にも琴を)ご熱心に教えるなど、(女御は)この上なくご寵愛をお受けになるが、
冷泉院の御母后失せ給ひてこそ、なかなかこよなくおぼえ劣り給へりとは聞こえ給ひしか。
冷泉院の御母后(=中宮安子)がお亡くなりになって(からは)、かえってひどく寵愛が衰えなさったとおうわさになりました。
「故宮のいみじうめざましく安からぬものに思したりしかば、
(天皇は、)「亡き宮(=中宮安子)が、(この女御のことを)ひどく気にくわず心穏やかでない者とお思いになっていたので、
思ひ出づるに、いとほしく、悔しきなり。」とぞ仰せられける。
(そのことを)思い出すと、(中宮安子のことが)気の毒で、(この女御を寵愛したことが)悔やまれるのだ。」とおっしゃった。