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大鏡『最後の除目・兼通と兼家の不和』現代語訳(1)(2)

「黒=原文」・「青=現代語訳

【主な登場人物】

堀河(ほりかわ)殿(どの)藤原兼通(ふじわらかねみち)、兼家の兄。  (とう)(さん)(じょう)殿(どの)藤原兼家(ふじわらのかねいえ)、兼通の弟。

 解説・品詞分解のみはこちら大鏡『最後の除目・兼通と兼家の不和』解説・品詞分解(1)

 

この殿たちの兄弟の御仲、年ごろの官位の劣り優りのほどに、御仲悪しくて過ぎさせ(たま)ひし間に、

 

この殿たちご兄弟の仲(=兼通と兼家との仲)は、長年官位の優越を競っている間に、お仲が悪くてお過ぎになってしまいましたその間に

 

 

堀河殿御病重くならせ給ひて、今は限りにておはしまししほどに、

 

堀河殿(=藤原兼通)のお体の具合が重くおなりになって、今はもう命の最期という状態でいらっしゃった時に、

 

 

東の方に、先追ふ音のすれば、御前に(さぶら)ふ人たち、「誰ぞ。」など言ふほどに、

 

東の方で、先払いをする声がするので、(堀河殿の)おそばにお仕えする人たちは、「誰だろうか。」となどと言ううちに、

 

 

「東三条殿の大将殿参らせ給ふ。」と人の申しければ、

 

「東三条の大将殿が参上なさいます。」と誰かが申し上げたので、

 

 

殿聞かせ給ひて、「年ごろ仲らひよからずして過ぎつるに、

 

堀河殿はお聞きになって、「長年仲が良くないままで過ごしてきたのに

 

 

今は限りになりたると聞きて、とぶらひにおはするにこそは。」とて、

 

今はもう命が尽き果てそうになっていると聞いて、見舞いにいらっしゃるのであろう。」と言って、

 

 

()(まえ)なる苦しきもの取りやり、大殿(おおとの)(ごも)りたる所ひきつくろひなどして、

 

おそばにある見苦しいものを片付け、おやすみになっている所を整理するなどして、

 

 

入れ(たてまつ)らむとて、待ち給ふに、

 

(東三条殿を)お入れしようとして、お待ちになっていると。

 

 

「早く過ぎて、内裏(うち)へ参らせ給ひぬ。」と人の申すに、

 

「(東三条殿は)とっくに通り過ぎて、宮中へ参上なさいました。」と人が申すので、



 

いとあさましく心憂くて、「御前に候ふ人々も、をこがましく思ふらむ。

 

(堀河殿は)たいそう驚きあきれて不愉快で、「(東三条殿の)おそばにお仕えしている人々も、みっともないと思っているだろう。

 

 

おはしたらば、関白など譲ることなど申さむとこそ思ひつるに。

 

(もしも東三条殿が)いらっしゃったならば、関白の職などを譲ることなどを申し上げようと思っていたのに。

 

 

かかればこそ、年ごろ仲らひよからで過ぎつれ。

 

このようであるからこそ、長年、仲が良くないままで過ごしてきたのだ。

 

 

あさましく安からぬことなり。」とて、

 

驚きあきれて心穏やかでないことだ。」と言って、

 

 

限りのさまにて()し給へる人の、「かき起こせ。」とのたまへば、

 

死期が近い様子でおやすみになっている人が「抱き起せ。」とおっしゃるので

 

 

人々、あやしと思ふほどに、「車に(しょう)(ぞく)せよ。御前もよほせ。」と(おお)せらるれば、

 

人々が、(堀河殿の様子が)変だと思っているうちに、「車の用意をしろ。先払いをする者を呼び集めよ。」と(堀河殿が)おっしゃるので、

 

 

物のつかせ給へるか、うつし心もなくて仰せらるるかと、あやしく見奉るほどに、

 

(人々は、堀河殿に)物の怪がおつきになっているのか、正気でなくておっしゃるのかと、不思議に思って見申し上げているうちに、

 

 

御冠召し寄せて、装束などせさせ給ひて、内裏へ参らせ給ひて、

 

(堀河殿は、)御冠をお取り寄せになって、装束などをお召しになって、宮中へ参上なさって、

 

 

陣の内は君達(きんだち)にかかりて、滝口の陣の方より、御前へ参らせ給ひて、

 

陣の内側は息子たちに寄りかかって(歩きなさり)、滝口の陣から、(天皇の)御前へ参上なさって、

 

 

(こん)(めい)()の障子のもとにさし出でさせ給へるに、

 

昆明池の障子の辺りにお出になられたところ、

 

 

()()()に、東三条の大将、御前に候ひ給ふほどなりけり。

 

(ちょうど)昼の御座(の時間帯)で、東三条の大将殿(=兼家)が、(天皇の)御前にお仕えなさっている時でした。



(2)

 

この大将殿は、堀河殿すでに失せさせ給ひぬと聞かせ給ひて、

 

この大将殿(=東三条殿)は、堀河殿がすでにお亡くなりになったとお聞きになったので、

 

 

(うち)に関白のこと申さむと思ひ給ひて、

 

天皇に関白のことを申し上げようとお思いになって、

※関白のこと=亡くなった堀河殿の代わりに自分(=東三条殿)が次の関白になりたいということ。

 

 

この殿の門を通りて、参りて申し奉るほどに、

 

この殿(=堀河殿)の屋敷の門(の前)を通って、(天皇のもとに)参内して申し上げているところに、

 

 

堀河殿の目をつづらかにさし出で給へるに、帝も大将も、いとあさましく(おぼ)()す。

 

堀河殿が目を大きく見開いた様子で(怒りをあらわにして)現れなさったので、天皇も大将(=東三条殿)も、たいそう意外で驚いたことだとお思いになる。

 

 

大将はうち見るままに、立ちて鬼の間の方におはしぬ。

 

大将(=東三条殿)は堀河殿を見るとすぐに、立ち上がって鬼の間の方にお行きになりました。

 

 

関白殿、御前につい居給ひて、御()(しき)いと悪しくて、

 

関白殿(=堀河殿)は、天皇のおそばにかしこまってお座りになり、ご機嫌はたいそう悪くて、

 

 

「最後の()(もく)行ひに参りて(はべ)りつるなり。」とて、

 

「最期の除目を行いに参りました。」と(天皇に)申し上げて、

※除目(じもく)=官吏任命の儀式

 

 

蔵人頭(くろうどのとう)召して、関白には頼忠の大臣、東三条殿の大将を取りて、

 

蔵人頭をお呼びになって、関白には頼忠の大臣(=藤原頼忠)を(任命し)、東三条の大将(の位)を取り上げて、

蔵人頭(くろうどのとう)=蔵人所の長官。

蔵人(くろうど)=現代でいう秘書

 

 

小一条の(なり)(とき)の中納言を大将になし聞こゆる(せん)()下して、東三条殿をば()()(きょう)になし聞こえて、

 

小一条の済時の中納言(=藤原済時)を大将に任命し申し上げる宣旨を下して、東三条殿を治部卿に任命し申し上げて、

※宣旨(せんじ)=名詞、天皇の命令を伝える公文書

 

 

出でさせ給ひて、ほどなく失せ給ひしぞかし。

 

(宮中を)退出なさって、まもなくお亡くなりになったのですよ。

 

 

心意地にておはせし殿にて、さばかり限りにおはせしに、

 

意地っ張りでいらっしゃった殿で、あれほどまでに死期間近でいらっしゃったのに、

 

 

ねたさに内裏に参りて申させ給ひしほど、

 

憎らしく思うあまりに宮中に参上して(除目を)申し上げなさったことは、

 

 

異人(ことひと)すべうもなかりしことぞかし。

 

他の人では(まねを)することができないことでしたよ。

 

 

 大鏡『最後の除目・兼通と兼家の不和』解説・品詞分解(1)

 

大鏡『最後の除目・兼通と兼家の不和』品詞分解のみ(1)

 

大鏡『最後の除目・兼通と兼家の不和』まとめ

 

 

 

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