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『人虎伝』(1)原文・書き下し文・現代語訳

【作者:李景亮(りけいりょう)】

青=現代語訳・下小文字=返り点・上小文字=送り仮名・解説=赤字

 まとめはこちら『人虎伝』まとめ

 

隴西李徴、皇族ナリ。家於虢略。徴少クシテ博学、善文。

(ろう)西(せい)()(ちょう)(こう)(ぞく)()なり。(かく)(りゃく)(いえ)す。(ちょう)(わか)くして(はく)(がく)()(ぶん)(しょく)

※於=置き字(場所)。

隴西の李徴は皇族の子孫であった。虢略に住んでいた。李徴は若いときから博学で、巧みに詩文を作った。

 

 

天宝十五載春、登進士。後数年、調-セラル江南

(てん)(ぽう)(じゅう)()(さい)(はる)(しん)()(だい)(のぼ)(のち)(すう)(ねん)(こう)(なん)()調(ちょう)()せらる。

※受身=「~(セ)ル/ラル。」→「~される。」 文脈から判断して受身の意味でとらえることがある。

天宝十五年の春、(科挙の)進士に及第した。その後数年、江南地方の県の下級官吏に選任された。

 

 

徴性疎逸ニシテ、恃ミテ倨傲ナリ()スル卑僚

(ちょう)(せい)()(いつ)にして、(さい)(たの)(きょ)(ごう)なり。(あと)()(りょう)(くっ)する(あた)はず。

※「不(スル)(コト)」=不可能、「 ~(する)(こと)(あた)はず」(能力がなくて) ~Aできない」

李徴は性格が気ままで人と親しまず、自身の才能を自負して傲慢であった。下級の役人の地位に甘んじることができなかった。

 

 

鬱鬱トシテ()シマ。毎同舎スルナラバ、顧ミテヒテ群官ハク

(つね)(うつ)(うつ)として(たの)まず。(どう)(しゃ)(かい)する(ごと)(すで)(たけなわ)ならば、(かえり)()(ぐん)(かん)()ひて()はく、

 

いつも鬱々としていて楽しまなかった。同じ役所の会合をするたびに宴もたけなわになると、見まわして同僚の役人たちに向かって言うことには、

 

 

「生乃()君等サン()。」

(われ)(すなわ)(きみ)()()()んや」。と。

※「 ~ (セ)ンや(哉・乎・邪・耶など)」=反語、「 ~ (せ)んや」、「 ~ だろうか。(いや、~ない。)」

「私ほどの人間が君らなどと仲間になれようか。(いや、なれない。)」と。

 

 

寮友咸側-

()(りょう)(ゆう)(みな)(これ)(そく)(もく)す。

 

彼の同僚たちはみな彼を憎んで見た。

 

 

ベバ謝秩、則退リテ間適()()人通(こと)、近歳余

(しゃ)(ちつ)(およ)べば(すなわ)退(しりぞ)(かえ)りて(かん)(てき)し、(ひと)(つう)ぜざること、(さい)()(ちか)し。

 

完了の任期が満了すると、官職を退いて世俗との交わりを断って静かにくらし、人と交際しないことが一年余りにもなった。

 

 

後迫ラレ衣食、乃ノカタ呉楚、以ツテ郡国長吏

(のち)()(しょく)(せま)られ、(すなわ)(ひがし)のかた()()(あいだ)(あそ)び、()(ぐん)(こく)(ちょう)()(もと)む。

 

後に生活に困窮し、そこで東の呉楚のあたりを旅して、地方の上級官吏に援助を求めた。



徴在リテ呉楚(まさ/し)歳余ナラント、所饋遺甚

(ちょう)()()()りて(まさ)(さい)()ならんとし()(ところ)()()(はなは)(おお)し。

※「(まさ/す) ~ (セ)ント」=「且に ~ (せ)んとす」、「いまにも ~しようとする/ ~するつもりだ」

李徴が呉楚に滞在して、一年余りになろうとし、(別れの際に)もらった贈り物はとても多かった。

 

 

西ノカタラントシテ虢略(いま/ず)

西(にし)のかた(かく)(りゃく)(かえ)らんとして(いま)(いた)らず。

※「(いま/ず) ~ (セ)」=再読文字、「未だ ~(せ)ず」、「まだ ~(し)ない」

(今度は)西へ向かい虢略へ帰ろうとして、まだ着いてはいなかった。

 

 

於汝墳逆旅、忽リテ発狂

(じょ)(ふん)(げき)(りょ)(うち)(やど)(たちま)(やまい)(こうむ)りて(はっ)(きょう)す。

 

汝墳の宿屋に泊まったときに、突然病気になって発狂した。

 

 

夜狂走、莫クトコロヲ

(いくばく)()(よる)(きょう)(そう)し、()()くところを()()

 

いくもしないうちに夜中に狂って走り出し、どこに行ったのか分からなくなった。

 

 

続きはこちら『人虎伝』(2)原文・書き下し文・現代語訳

 

『人虎伝』まとめ

 

 

 

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