「黒=原文」・「青=現代語訳」
解説・品詞分解はこちら無名草子『清少納言(清少納言と紫式部)』(1)解説・品詞分解
「すべて、余りになりぬる人の、そのままにて侍る例、
総じて、あまりにも度が過ぎてしまった人が、そのままでいらっしゃる例は、
ありがたきわざにこそあめれ。
めったにないことであるようだ。
桧垣の子、清少納言は、一条院の位の御時、中関白、世をしらせ給ひける初め、
桧垣の子である、清少納言は、一条院の在位の御代、中の関白(=藤原道隆)が、世の中を治めていらっしゃった初め、
皇太后宮の時めかせ給ふ盛りに候ひ給ひて、
皇太后宮(=中宮定子)が帝の寵愛を受けていらっしゃる全盛期にお仕えになって、
人より優なる者とおぼしめされたりけるほどのことどもは、
(清少納言が中宮定子に)他の人より優れている者と思われなさっていた頃のことなどは、
『枕草子』といふものに、自ら書きあらはして侍れば、こまかに申すに及ばず。
『枕草子』というものに、自分で書き表しておりますので、詳しく申し上げるには及びません。
歌詠みの方こそ、元輔が娘にて、さばかりなりけるほどよりは、
歌を詠む方面では、(清原)元輔の娘であって、それほど(優れた歌人の娘)であったにしては、
すぐれざりけるとかやとおぼゆる。
優れていなかったのかと思われます。
『後拾遺』などにも、むげに少なう入りて侍るめり。
『後拾遺和歌集』などにも、ひどく少なく入っているようです。
みづからも思ひ知りて、申し請ひて、さやうのことには交じり侍らざりけるにや。
自分でも(和歌の才能がないことが)分かっていて、(中宮定子に)お願いして、そのような(和歌に関する)ことには関わらなかったのでしょうか。
さらでは、いといみじかりけるものにこそあめれ。
そうでなくては、(入集された和歌が)たいそうひどく少なかったものであるようだ。
(2)
その『枕草子』こそ、心のほど見えて、いとをかしう侍れ。
その『枕草子』は、(清少納言の)心の様子が分かり、たいそう趣深いです。
さばかりをかしくも、あはれにも、いみじくも、めでたくもあることども、
それほど趣深くもあり、しみじみとした情趣もあり、素晴らしくもあり、立派でもある(宮廷生活での)ことの数々を、
残らず書き記したる中に、宮の、めでたく、盛りに、時めかせ給ひしことばかりを、身の毛も立つばかり書き出でて、
残らず書き記した中に、中宮定子がすばらしく栄華の盛りにあって、帝のご寵愛を受けて栄えていらっしゃったことだけを、身の毛もよだつほど書き表して、
※「身の毛も立つばかり」=「恐ろしいほど」と訳す説と「情景が目に浮かぶほど」と訳す説がある。「身の毛もよだつほどと」と訳しておけば無難である。
関白殿失せさせ給ひ、
(中宮定子の父である)関白殿(=藤原の道隆)がお亡くなりになり、
内大臣流され給ひなどせしほどの衰へをば、
(兄の)内大臣(=藤原伊周)が(筑紫へ)流されなされたりなどした頃の衰退については、
かけても言ひ出でぬほどのいみじき心ばせなりけむ人の、
少しも言葉に出さないほどのすばらしい心づかいであったような人だが、
はかばかしきよすがなどもなかりけるにや。
頼もしい縁者などもなかったのであろうか。
乳母の子なりける者に具して、遥かなる田舎にまかりて住みけるに、
乳母の子であった者に連れ立って、(都から)遠い田舎に下って住んでいたが、
襖などいふもの干しに、外に出づとて、『昔の直衣姿こそ忘られね。』と独りごちけるを、
襖などというものを干しに、外に出ようとして、『昔(宮廷にいた頃)の直衣姿が忘れられない。』と独り言を言ったのを、
見侍りければ、
(ある人が)見ましたところ、
あやしの衣着て、つづりといふもの帽子にして侍りけるこそ、いとあはれなれ。
粗末な衣を着て、布きれをつなぎ合わせたものを帽子にしておりましたのは、たいへん気の毒でありました。
まことに、いかに昔恋しかりけむ。」
本当に、どれほど昔が恋しかったのでしょう。」
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