「黒=原文」・「赤=解説」・「青=現代語訳」
解説・品詞分解はこちら無名草子『紫式部(清少納言と紫式部)』解説・品詞分解
「繰り言のやうには侍れど、尽きもせず、うらやましくめでたく侍るは、
同じことを繰り返し言うようですけれど、尽きることもなく、うらやましくすばらしくございますのは、
大斎院より上東門院、『つれづれ慰みぬべき物語や候ふ。』と尋ね参らせさせ給へりけるに、
大斎院(=選子)から上東門院(=彰子)へ、『退屈さを紛らわすことのできる物語はございますか。』とお尋ね申し上げなさったところ、
紫式部を召して、『何をか参らすべき。』と仰せられければ、
(上東門院は)紫式部をお呼びになって、『何を差し上げたらよいかしら。』とおっしゃったので、
『めづらしきものは、何か侍るべき。新しく作りて参らせ給へかし。』と申しければ、
(紫式部は、)『珍しいものは、何かございましょうか。(いや、ございません。)新しく作って献上なさいませよ。』と申し上げたところ、
『作れ。』と仰せられけるを承りて、
(上東門院が)『(では、あなたが)作りなさい。』とおっしゃったのを(紫式部は)お引き受けして、
『源氏』を作りたりけるこそ、いみじくめでたく侍れ。」と言ふ人侍れば、また、
『源氏(物語)』を作ったことは、たいそうすばらしいことです。」と言う人がおりますところ、一方では、
「いまだ宮仕へもせで里に侍りける折、
「(紫式部が)まだ宮仕えもしないで実家におりました時に、
かかるもの作り出でたりけるによりて、召し出でられて、それゆゑ紫式部といふ名は付けたり、
このようなもの(=源氏物語)を作り出したことによって、(宮中に)お呼び出しになられて、そのため紫式部という名をつけた、
とも申すは、いづれかまことにて侍らむ。
とも申すのは、どちらが本当なのでございましょうか。
その人の日記といふもの侍りしにも、
その人の日記というものございましたが、
※紫式部日記のこと
『参りける初めばかり、恥づかしうも、心にくくも、また添ひ苦しうもあらむずらむと、
(その紫式部の日記には、)『(私が)出仕した初めの頃は、気恥ずかしくもあり、奥ゆかしくも、また付き合いにくくもあるだろうと、
おのおの思へりけるほどに、いと思はずにほけづき、かたほにて、一文字をだに引かぬさまなりければ、
(他の女房たちが)それぞれ思っていたところ、たいそう意外にもぼんやりしていて、未熟で、一という文字さえ書かない様子であったので、
かく思はずと、友達ども思はる。』などこそ見えて侍れ。
こうとは思わなかったと、仲間の女房達は思いなさる。』などと書き表されてございます。
君の御ありさまなどをば、いみじくめでたく思ひ聞こえながら、
主君(=藤原道長)のご様子などを、たいそうすばらしく思い申し上げながら、
つゆばかりも、かけかけしく馴らし顔に聞こえ出でぬほども、いみじく、
ほんのわずかでも、気があるような様子で馴れ馴れしくお書き申し上げないのも、すばらしく、
また、皇太后宮の御事を、限りなくめでたく聞こゆるにつけても、
また、皇太后宮(=彰子)の御事を、この上なくすばらしいと書き申し上げるにつけても、
愛敬づきなつかしく候ひけるほどのことも、君の御ありさまも、なつかしくいみじくおはしましし、
魅力があり親しくお仕えした時のことも、主君のご様子も、親しみやすくすばらしくていらっしゃった、
など聞こえ表したるも、心に似ぬ体にてあめる。
などとお書き表しているのも、(紫式部の控えめな)性格に似つかわしくない様子であるようだ。
かつはまた、御心柄なるべし。」
一方ではまた、(彰子と道長の)ご性格なのでしょう。」