「黒=原文」・「青=現代語訳」
解説・品詞分解はこちら平家物語『忠度の都落ち』解説・品詞分解(3)
三位これを開けて見て、「かかる忘れ形見を賜りおき候ひぬる上は、
三位俊成卿はこれを開けて見て、「このような忘れ形見をいただきました以上は、
ゆめゆめ疎略を存ずまじう候ふ。御疑ひあるべからず。
決しておろそかに思わないつもりです。お疑いなってはならない。
さても、ただ今の御渡りこそ、情けもすぐれて深う、あはれもことに思ひ知られて、感涙おさへがたう候へ。」
それにしてもただ今のご来訪は、風流な心も特別に深く、しみじみとした情趣も格別に自然と感じられて、感涙を抑えがたいです。」
とのたまへば、薩摩守喜びて、
とおっしゃると、薩摩守は喜んで、
「今は西海の波の底に沈まば沈め、山野にかばねをさらさばさらせ。浮き世に思ひ置くこと候はず。
「(もはや)今となっては、西海の波の底に沈むならば沈んでもよい、山野にかばねをさらすならばさらしてもよい。はかないこの世に思い残すことはございません。
さらばいとま申して」とて、
それではお別れを申して(行きます)。」と言って、
馬にうち乗り、甲の緒を締め、西をさいてぞ、歩ませ給ふ。
馬に乗り、甲の緒を締め、西を目指して(馬を)歩ませなさる。
三位後ろをはるかに見送つて立たれたれば、忠度の声とおぼしくて、
三位俊成卿は(忠度の)後ろ姿を遠くまで見送って立っていらっしゃると、忠度の声と思われて、
「前途程遠し、思ひを雁山の夕べの雲に馳す。」と高らかに口ずさみ給へば、
「これからの旅路は遠い。(途中で越える)雁山にかかる夕方の雲に思いを馳せる(と、別れの悲しいことです)。」と、(忠度が)高らかに吟じなさるので、
俊成卿いとど名残り惜しうおぼえて、涙をおさへてぞ入り給ふ。
俊成卿は、ますます名残惜しく思われて、涙を抑えて(屋敷へ)お入りになる。
(4)
その後、世静まつて、千載集を撰ぜられけるに、
その後、世が静まって、(俊成卿は)『千載集』をお選びになった時に、
忠度のありさま、言ひ置きし言の葉、今さら思ひ出でてあはれなりければ、
忠度の生前の様子や、言い残した言葉を、今さらになって思い出してしみじみと感じられたので、
かの巻物のうちに、さりぬべき歌いくらもありけれども、
(忠度が最期に託した)例の巻物の中に、ふさわしい歌はいくらでもあったけれども、
勅勘の人なれば、名字をばあらはされず、
(忠度は)天皇のおとがめを受けた人なので、姓名をお出しにならず、
「故郷の花」といふ題にて詠まれたりける歌一首ぞ、「よみ人しらず」と入れられける。
「故郷の花」という題でお詠みになった歌一首を、「よみ人しらず」として(千載集に)お入れになった。
さざ波や 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな
(昔の都であった)志賀の都は、今は荒れてしまったが、昔のままに美しく咲いている長等山の山桜であるよ。
その身朝敵となりにし上は、子細に及ばずといひながら、
(忠度は)その身が、朝敵となってしまった以上は、あれこれ言い立てることではないと言うけれど、
恨めしかりしことどもなり。
残念なことではある。
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