古文

方丈記『養和の飢饉』(3)解説・品詞分解

「黒=原文」・「赤=解説」・「青=現代語訳

原文・現代語訳のみはこちら方丈記『養和の飢饉』(1)(2)(3)現代語訳

 

 

いとあはれなることも侍り 

 

あはれなる=ナリ活用の形容動詞「あはれなり」の連体形。「あはれ」はもともと感動したときに口に出す感動詞であり、心が動かされるという意味を持つ。しみじみと思う、しみじみとした情趣がある。

 

侍り=ラ変動詞「侍り(はべり)」の連用形、「あり・居り」の丁寧語。

※「候(さうらふ/さぶらふ)・侍り(はべり)」は補助動詞だと丁寧語「~です、~ます」の意味であるが、本動詞だと、丁寧語「あります、ございます、おります」と謙譲語「お仕え申し上げる、お控え申し上げる」の二つ意味がある。

 

き=過去の助動詞「き」の終止形、接続は連用形

 

たいそうしみじみと感動することもありました。

 

 

去りがたき()・夫持ちたるものは、その思ひまさりて深きもの、必ず先立ちて死ぬ。

 

たる=存続の助動詞「たり」の連体形、接続は連用形

 

離れられない妻や夫を持っている者は、(相手を思う)その愛情がまさって深い者が、必ず先に死ぬ。

 

 

その故は、わが身は次にして人をいたはしく思ふ間に、まれまれ たる食ひ物をも、彼に譲るによりてなり

 

いたはしく=シク活用の形容詞「労し(いたはし)」の連用形、大切にしたい、いたわりたい。気の毒だ、かわいそうだ。苦労だ。

 

得(え)=ア行下二段動詞「得(う)」の連用形。ア行下二段活用の動詞は「得(う)」・「心得(こころう)」・「所得(ところう)」の3つしかないと思ってよいので、大学受験に向けて覚えておくとよい。

 

たる=完了の助動詞「たり」の連体形、接続は連用形

 

なり=断定の助動詞「なり」の終止形、接続は体言・連体形

 

その理由は、自分の身は二の次にして相手を大切にしたいと思うので、ごくまれに手に入った食べ物も、相手に譲るからである。

 

 

されば、親子あるものは、定まれことて、親先立ちける

 

されば=接続語、それゆえ、それで、そうであれば、だから。そもそも、いったい。

 

る=存続の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形

 

に=断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形

 

ぞ=強調の係助詞、結びは連体形となる。係り結び。

 

ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形。係助詞「ぞ」を受けて連体形となっている。係り結び。

 

だから、親子である者は、決まっていることで、親が先に死んだ。

 

また、母の命尽きたるを知らして、いとけなき子の、なほ乳を吸ひつつ、()などもありけり

 

たる=完了の助動詞「たり」の連体形、接続は連用形

 

ず=打消の助動詞「ず」の連用形、接続は未然形

 

いとけなき=ク活用の形容詞「幼けなし(いとけなし)」の連体形、おさない、あどけない、年少である。

 

なほ=副詞、やはり。さらに。それでもやはり。

 

る=存続の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形

 

けり=過去の助動詞「けり」の終止形、接続は連用形

 

また、母親の命が尽きているのを知らないで、幼い子が、それでも(その死んだ母の)乳を吸いながら、横になっているなどということもあった。

 

 

(にん)()()(りゅう)(ぎょう)(ほう)(いん)といふ人、かくしつつ数も知ら死ぬることを悲しみて、

 

かく(斯く)=副詞、こう、このように

 

ず=打消の助動詞「ず」の連用形、接続は未然形

 

仁和寺にいた隆暁法院という人は、このようにして数えきれないほど死ぬことを悲しんで、

 

 

その(こうべ)の見ゆるごとに、(ひたい)阿字(あじ)を書きて、縁を結ばしむる わざなん  られ ける

 

しむる=使役の助動詞「しむ」の連体形、接続は未然形。「す・さす・しむ」には、「使役と尊敬」の二つの意味があるが、直後に尊敬語が来ていない場合は必ず「使役」の意味である。

 

わざ=名詞、こと、事の次第。おこなひ、動作、しわざ、仕事。仏事、法事、法会。

 

なん(なむ)=強調の係助詞、結びは連体形となる。係り結び。

 

せ=サ変動詞「す」の未然形、する。

 

られ=尊敬の助動詞「らる」の連用形、接続は未然形。「る・らる」には「受身・尊敬・自発・可能」の4つの意味がある。ここは文脈判断。動作の主体である隆暁法院を敬っている。作者からの敬意。

 

ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形。係助詞「なん(なむ)」を受けて連体形となっている。係り結び。

 

その(死体の)首が見えるたびに、額に「阿」という文字を書いて、(成仏させるための)仏縁を結ばせることをなさった。

 

 

人数を知らとて、四・五両月を数へたり けれ 

 

ん=意志の助動詞「む」の終止形が音便化したもの、接続は未然形。㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文末に来ると「㋜推量・㋑意志・㋕勧誘」のどれかである。

 

たり=完了の助動詞「たり」の連用形、接続は連用形

 

けれ=過去の助動詞「けり」の已然形、接続は連用形

 

ば=接続助詞、直前が已然形だから①原因・理由「~なので、~から」②偶然条件「~ところ・~と」③恒常条件「(~する)といつも」のどれかであるが、文脈判断をして②の意味でとる。ちなみに、直前が未然形ならば④仮定条件「もし~ならば」である。

 

死んだ人間の数を知ろうとして、四月と五月の二か月の間に数えたところ、

 

 

京のうち、(いち)(じょう)よりは南、()(じょう)より北、(きょう)(ごく)よりは西、()(ざく)よりは東の、(みち)のほとりなる頭、すべて四万二千三百余りなんありける

 

なる=存在の助動詞「なり」の連体形、接続は体言・連体形。「なり」は直前が名詞である時、断定の意味になることが多いが、その名詞が場所を表すものであれば今回のように「存在」の意味となることがある。訳:「 ~にある」

 

なん(なむ)=強調の係助詞、結びは連体形となる。係り結び。

 

ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形。係助詞「なん(なむ)」を受けて連体形となっている。係り結び。

 

京の中で、(北の)一条(大路)から南、(南の)九条(大路)から北、(東)京極(大路)からは西、(真ん中の)朱雀(大路)からは東の、道端にある(死体の)頭は、全部で四万二千三百余りあった。

※要するに京の都の東半分。西半分は人口が少なかったのでカウントしなかったのでしょう。

 

 

いはんや、その前後に死ぬるもの多く、また、河原・白河・西の京、もろもろの辺地などを加へて言は、際限もあるべから 

 

ば=接続助詞、直前が未然形であり、④仮定条件「もし~ならば」の意味で使われている。

 

べから=推量の助動詞「べし」の未然形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。㋜推量㋑意志㋕可能㋣当然㋱命令㋢適当のおよそ六つの意味がある。

 

ず=打消の助動詞「ず」の終止形、接続は未然形

 

まして、その前後に死んだ者も多く、また、(賀茂)河原・白河・西の京、その他もろもろの辺地などを加えて言うならば、際限もないだろう。

 

 

いかにいはんや、七道(しちどう)諸国(しょこく)をや。

 

ましてや、日本全国を加えるとどうなることか(見当もつかない)。

 

()(とく)(いん)の御位の時、長承のころとか、かかる ためしありけりと聞け、その世のありさまは知ら

 

かかる=連体詞、あるいはラ変動詞「かかり」の連体形。このような、こういう。

 

例(ためし)=名詞、例、先例。試み。

 

けり=過去の助動詞「けり」の終止形、接続は連用形

 

ど=逆接の接続助詞、活用語の已然形につく。

 

ず=打消の助動詞「ず」の終止形、接続は未然形

 

崇徳院のご治世の時、長承の頃とか、このような前例があったと聞いているけれど、(直接体験したわけではないので)その当時の様子は分からない。

 

 

目のあたりめづらかなり ことなり

 

めづらかなり=ナリ活用の形容動詞「珍らかなり(めづらかなり)」の連用形、珍しい、普通とは違う、めったにない。

 

し=過去の助動詞「き」の連体形、接続は連用形

 

なり=断定の助動詞「なり」の終止形、接続は体言・連体形

 

(この養和の飢饉は、)実際に目にしためったにないことであった。

 

 

方丈記『養和の飢饉』(1)(2)(3)現代語訳

 

方丈記『養和の飢饉』まとめ

 

 

 

-古文