「黒=原文」・「青=現代語訳」
解説・品詞分解はこちら雨月物語『浅茅が宿』解説・品詞分解 「勝四郎、翁が高齡をことぶきて、~
勝四郎、翁が高齡を寿きて、次に、京に行きて心ならずも逗りしより、前夜のあやしきまでを詳に語りて、
勝四郎は老人の長寿をお祝いして、次に、京に行って心ならずも(そこに)滞在したことから、昨夜の不思議な出来事までを詳しく語って、
翁が塚を築きて祭り給ふ恩のかたじけなきを告げつつも涙とどめがたし。
老人がお墓(=勝四郎の妻である宮木の墓)を造って供養なさったことにお礼を言いながら涙を流した。
翁言ふ。「吾主遠く行き給ひて後は、夏のころより干戈を揮ひ出で、里人は所々に遁れ、
老人は言った。「おぬしが遠くへ行きなさった後は、夏の頃から戦が始まり、里人はあちこちに逃げ、
若き者どもは軍民に召さるるほどに、桑田にはかに狐兎の叢となる。
若者たちは兵士として召集されて、田畑は急激に狐や鬼の住む草むらへと変わった。
ただ烈婦のみ、主が秋を約ひ給ふを守りて、家を出で給はず。
ただあなたの気丈な妻だけは、おぬしが秋(までには帰ってくるということ)を約束なさったのを守って、家を出てお行きにならなかった。
翁もまた足なへぎて百歩をかたしとすれば、深く閉てこもりて出でず。
私もまた足が不自由で百歩進むのも困難であったので、家に深く閉じこもって外に出なかった。
一たび樹神などいふ恐ろしき鬼の栖む所となりたりしを、稚き女子の矢武におはするぞ、
ひとたび樹神などという恐ろしい鬼の住処へと変わってしまったけれども、若い女性なのに勇ましく(その場所に住み続け)ていらっしゃったのは、
老が物見たる中のあはれなりし。
私が見聞きしたことの中でも、感慨深いことであった。
秋去り春来たりて、その年の八月十日といふに死り給ふ。
秋が去り春がやってきて、その年の八月十日という日にお亡くなりになった。
惆しさのあまりに、老が手づから土を運びて柩を蔵め、その終焉に残し給ひし筆の跡を塚のしるしとして、
あまりにもお気の毒なので、私が自ら土を運んで棺を納め、その死に際にお残しになった筆の跡をお墓のしるしとして、
水向けの祭りも心ばかりにものしけるが、翁もとより筆執るわざをしも知らねば、
手向けの水の供養も心ばかりにしたが、私はもとより文字を書くことを知らないので、
その年月を記すこともえせず、寺院遠ければ、贈号を求むるすべもなくて、五年を過ごし侍るなり。
その年月(=宮木の命日)を記すこともできず、寺院も遠いので、戒名を手に入れる方法もなくて、五年が過ぎたのであります。
今の物語を聞くに、必ず烈婦の魂の来たり給ひて、久しき恨みを聞こえ給ふなるべし。
今のお話(=勝四郎が老人に語った昨夜の出来事の話)を聞いたところ、きっとあなたの妻の魂がやって来られて、長い間あなたのことを待っていた恨み言を申されたのでしょう。
ふたたびかしこに行きて、ねんごろにとぶらひ給へ。」とて、
もう一度あの場所に行って、心を込めて弔ってあげなさい。」と言って、
杖を曳きて先に立ち、あひともに塚の前に伏して、声をあげて嘆きつつも、その夜はそこに念仏して明かしける。
(老人は)杖をついて先に立ち、二人でいっしょにお墓の前に伏して、声を上げて嘆きつつ、その夜はそこで念仏を唱えて夜を明かしたのだった。
雨月物語『浅茅が宿』解説・品詞分解 「勝四郎、翁が高齡をことぶきて、~