「黒=原文」・「赤=解説」・「青=現代語訳」
作者:菅原孝標女
原文・現代語訳のみはこちら更級日記『門出(あこがれ)』現代語訳
東路の道の果てよりも、なほ 奥つ方に生ひ出で たる人、
東路(あづまぢ)=名詞、東海道、京都から東国への道
果て=名詞、終わり、最後
なほ=副詞、①やはり②さらに・もっと③それでもやはり、ここでは②さらに・もっとの意味
奥つ方=名詞、奥の方 、 方=方向、場所、手段
生ひ出で=ダ行下二段動詞「生ひ出づ」の連用形、生まれ出る、成長する
たる=完了の助動詞「たり」の連体形、接続は連用形、存続か完了かは文脈判断
東海道の終わり(の所)よりも、さらに奥の方で生まれ育った人(=作者自身のこと)は、
いかばかり かは あやしかり けむ を、いかに思ひ始めけることに か、
いかばかり=副詞、どれほど、どんなに
か=疑問の係助詞、結び(文末)は連体形となる。係り結び。
あやしかり=シク活用の形容詞「賤し(あやし)」の連用形、身分が低い、粗末だ、見苦しい、古文では貴族が中心であり貴族にとって庶民は別世界のあやしい者に見えたことから派生
けむ=過去推量の助動詞「けむ」の連体形、接続は連用形
を=接続助詞、逆接、「…のに」
いかに=副詞、どのように、なぜ
ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形
に=断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形
や=疑問の係助詞、結びは連体形となるはずだが、ここでは省略されている。「あら(ラ変・未然形)む(推量の助動詞・連体形)」などが省略されていると考えられる。係り結びの省略。
※今回のように係助詞の前に「に(断定の助動詞)」がついている時は「あり(ラ変動詞)」などが省略されている。場合によって敬語になったり、助動詞がついたりする。
「にや・にか」だと、「ある・侍る(「あり」の丁寧語)・あらむ・ありけむ」など
「にこそ」だと、「あれ・侍れ・あらめ・ありけめ」などが省略されている。
どんなにか見すぼらしかっただろうに、どうして思い始めたことであろうか、
世の中に物語といふものの あ なるを、
の=格助詞、主格、「物語というものがあるそうだが、」
あ=ラ変動詞「あり」の連体形が音便化して無表記になったもの。「ある」→「あん(音便化)」→「あ(無表記化)」
なる=伝聞の助動詞「なり」の連体形、接続は終止形(ラ変は連体形)、直前にラ変の連体形が来ているため、「断定・存在」と「伝聞・推定」の可能性があるが、直前に音便化かあるいは無表記のものがある場合には「伝聞・推定」の意味だと考えてよい。
さらに、直前に音や声を表す言葉が来ていないときは、「伝聞」だと思ってよい。「なり」の「推定」は聞いたことを根拠に推定するものだからである。
「世の中に物語というものがあるそうだが、
いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなる昼間、宵居などに、
いかで=副詞、どうにかして
ばや=願望の終助詞、接続は未然形
つつ=接続助詞、①反復「~しては~」②継続「~し続けて」③並行「~しながら」④(和歌で)詠嘆、ここでは①反復の意味で使われているので訳す際に注意が必要、若干②継続の意味もあるかもしれないが、③の意味で訳してはならない。
つれづれなる=ナリ活用の形容動詞「徒然なり(つれづれなり)」の連体形、何もすることがなく手持ちぶさたなさま、退屈なさま
どうにかして見たいとしきりに思い続けて、何もすることがなく退屈な昼間や、夜起きているときなどに、
姉・継母などやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、
姉や継母などというような人々が、あの物語、この物語、(源氏物語の)光源氏の有様など、ところどころ語るのを聞くと、
いとど ゆかしさ まされ ど、
いとど=副詞、ますます、いっそう
ゆかしさ=名詞、心が引かれる感じ、憧れるという気持ち
まされ=ラ行四段動詞「増さる・勝る(まさる)」の已然形、増える、強まる。すぐれる、勝る。
ど=逆接の接続助詞、接続は已然形
ますます読みたい気持ちが強くなるけれども、
わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ。
ままに=~にまかせて、思うままに。~するとすぐに。(原因・理由)…なので。「まま(名詞/に(格助詞)」
そらに=ナリ活用の形容動詞「空なり(そらなり)」の連用形、暗記して、そらで覚えて
か=反語の係助詞、結びは連体形となる。係り結び。
む=推量の助動詞「む」の連体形、接続は未然形、係助詞「か」の係り結びを受けて連体形となっている。係り結び。「む」は文末に来ると「推量」「意志」「勧誘」のどれかであるのであとは文脈判断
私の思うとおりに、暗記して覚えていて語ってくれることがどうしてあるだろうか。(いや、ない。)
いみじく 心もとなきままに、等身に薬師仏を作りて、手洗ひなどして、
いみじく=シク活用の形容詞「いみじ」の連用形、はなはだしい、すばらしい、ひどい
心もとなき=ク活用の形容詞「心もとなし」の連体形、待ち遠しくて心がいらだつ、じれったい、不安だ
とてもじれったいので、(自分と)等身大の薬師仏を造って(もらい)、手を洗い清めなどして、
人間にみそかに入りつつ、
人間(ひとま)=名詞、人の見ていない間
みそかに(密かに)=ナリ活用の形容動詞「密かなり(みそかなり)」の連用形、人目に付かないようにひそかにするさま、こっそり
つつ=接続助詞、①反復「~しては~」の意味で使われている。中学の時に暗記させられた「竹取物語」の一部「竹を取りつつ、よろづのことに使いけり。」「竹を取っては、いろいろなことに使っていた。」と同じ使い方。
人の見ていないときにこっそり入っては、
「京にとく 上げ たまひて、物語の多く候ふ なる、ある限り見せ たまへ。」と、
とく(疾く)=副詞、早く、すみやかに
上げ=ガ行下二段動詞「上ぐ(あぐ)」の連用形、上へやる、のぼらせる。「のぼる」という意味ではなく「のぼらせる」という使役の意味が含まれていることに注意
たまひ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連用形、尊敬語。動作の主体(京へのぼらせる人)である薬師仏を敬っている。菅原孝標の女(作者)からの敬意。
候ふ=ハ行四段動詞「候ふ(さぶらふ)」の終止形。「あり」の丁寧語。あります、ございます。話し言葉で使われているので、話している人である菅原孝標の女(作者)から聞き手である薬師仏を敬っている。
※「候ふ(さぶらふ)・侍り(はべり)」は補助動詞だと丁寧語「~です、~ます」の意味であるが、本動詞だと、丁寧語「あります、ございます、おります」と謙譲語「お仕え申し上げる、お控え申し上げる」の二つ意味がある。
なる=伝聞の助動詞「なり」の連体形、接続は終止形(ラ変は連体形)、助動詞の意味については文脈判断だが、断定「~である」、存在「~にある」は文脈的におかしい。また、直前に音声語もないため「推定」でもなく、伝え聞いたという意味がある「伝聞」が正解。
見せ=サ行下二段動詞「見す」の連用形、見せる。四段活用だと「見る」という意味になるが、下二段活用だと「見せる」というように使役の意味が含まれるので注意。
たまへ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の命令形、尊敬語。動作の主体(京へのぼらせる人)である薬師仏を敬っている。菅原孝標の女(作者)からの敬意。
「(私を)京に早くのぼらせなさって、物語がたくさんあるという、(その物語を)ある限り全てお見せください。」と、
身を捨てて額をつき、祈り申すほどに、十三になる年、上らむとて、九月三日門出して、いまたちといふ所に移る。
身を捨て=自分の身を顧みず一心不乱な様子を表している、身を投げ出して
申す=補助動詞サ行四段「申す」の連体形、謙譲語。動作の対象(祈られる人)である薬師仏を敬っている。地の文なので作者からの敬意。
※尊敬語は動作の主体を敬う
※謙譲語は動作の対象を敬う
※丁寧語は言葉の受け手(聞き手・詠み手)を敬う。
どの敬語も、その敬語を実質的に使った人間からの敬意である。
む=意志の助動詞「む」の終止形、接続は未然形。文中であるが「上らむ。」というふうに鉤括弧と句点が省略されているため文末扱いとなり、「推量」「意志」「勧誘」のいずれかとなる。あとは文脈判断。
身を投げ出して額を(床に)すりつけて、お祈り申し上げるうちに、十三歳になる年、(地方官である父の任期が終わったので、)京へ上ろうということになって、九月三日、出発して、いまたちという所に移る。
年ごろ遊び慣れつる所を、あらはに こぼち散らして、立ち騒ぎて、
年ごろ=名詞、長年の間
つる=完了の助動詞「つ」の連体形、接続は連用形
あらはに=ナリ活用形容動詞「露なり・顕なり(あらはなり)」の連用形、まるみえだ、はっきりしている、公然としている
こぼち散らし=サ行四段動詞「こぼち散らす」の連用形、乱雑に取り壊す、とりはずす
こぼつ=タ行四段動詞、こわす、くずす
散らす=補助動詞サ行四段、荒々しく…する、むやみに…する
長年、遊び慣れた家を、家の中がすっかり見通せるほどに、乱雑に取り壊して、(門出の準備に)大騒ぎして、
日の入り際 の、いとすごく 霧り渡り たるに、
日の入り際=夕暮れ時、日の入りかかる頃。「際」は「時」を意味しているが、「身分」などの意味もあるので注意。
の=格助詞、用法は同格。「で」に置き換えて訳すと良い。「日の入り際の、」→「夕暮れ時で、」
すごく=ク活用の形容詞「凄し(すごし)」の連用形、もの寂しい、おそろしい、恐ろしいぐらい優れている
霧り渡り=ラ行四段動詞「霧り渡る(きりわたる)」の連用形、一面に霧がたちこめる
霧る=ラ行四段動詞、霧や霞がかかる
渡る=補助動詞ラ行四段、一面に…する、ずっと…し続ける
たる=存続の助動詞「たり」の連体形、接続は連用形、「完了」か「存続」かは文脈判断。
夕暮れ時で、たいそう物寂しく霧が一面に立ち込めている時に、
車に乗るとてうち見やり たれ ば、
うち見やり=ラ行四段動詞「うち見遣る(みやる)」の連用形、遠くを(望み)見る、その方を見る。「うち」は接頭語で、「ちょっと」とか「すばやく」などの意味を加えたりするが、訳さなくてもいいかもしれない。
たれ=完了の助動詞「たり」の已然形、接続は連用形
ば=接続助詞、直前が已然形だから①原因・理由「~なので、~から」②偶然条件「~ところ・~と」③恒常条件「(~する)といつも」のどれかであるが、文脈判断をして②偶然条件の意味でとる。「ふと家の方を見ると、(偶然)薬師仏を思い出した」
ちなみに、直前が未然形ならば④仮定条件「もし~ならば」である。
車に乗ろうとして、ふと(家の方を)見ると、
人間には参り つつ、額をつきし薬師仏の立ちたまへ るを、
人間(ひとま)=名詞、人の見ていない間
参り=ラ行四段動詞「参る」の連用形、「行く」の謙譲語。動作の対象(お参りされる人)である薬師仏を敬っている。作者からの敬意。
つつ=接続助詞、①反復「~しては~」の意味で使われている。
し=過去の助動詞「き」の連体形、接続は連用形
の=格助詞、主格、「薬師仏が立っていらっしゃるのを」
たまへ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の已然形、尊敬語。動作の主体(立っている人)である薬師仏を敬っている。
る=存続の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形
人の見ていない間にいつもお参りしては、額を(床に)つけていた薬師仏が立っていらっしゃるのを、
見捨てたてまつる悲しくて、人知れずうち泣かれ ぬ。
たてまつる=補助動詞ラ行四段「奉る(たてまつる)」の連体形、謙譲語。動作の対象(見捨てられる人)である薬師仏を敬っている。連体形であるのは、直後に「こと」が省略されているからだと考えられる。
ず=打消の助動詞「ず」の連用形、接続は未然形。ちなみに、直後に用言が来ているから連用形である。用言に連なる形だから連用形。
れ=自発の助動詞「る」の連用形、接続は未然形。受身・尊敬・自発・可能の4つも意味があるので判別が難しいが、直前に知覚動詞(見る・知るなど)・心情動詞(思う・笑う・泣くなど)があると「自発」の意味になる可能性が高い。
ぬ=完了の助動詞「ぬ」の終止形、接続は連用形
見捨て申し上げることが悲しくて、人知れず自然と泣けてしまった。
今回、話しことばにせよ書きことば(地の文)にせよ、敬語を使っているのは作者(菅原孝標の女)だけなので、敬語の主体(誰からの敬意であるか)は、すべて作者である。