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別ver.はこちら『管鮑之交(管鮑の交はり)』【別ver.】原文・書き下し文・現代語訳
管鮑之交(管鮑の交はり)=きわめて親密な交際。互いに理解し合い、利害に左右されることのない厚い友情。
【あらすじ】
いろいろあって斉の君主の血筋の生き残りは糾と小白となった。斉の公位が争われる。
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糾(守り役:管仲)VS小白(守り役:鮑叔)
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糾は死に、管仲は捕われたが、鮑叔の推薦により政治を担当することになった管仲は天下統一に大きく貢献した。(昔、鮑叔と管仲は仲が良かった。)
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後に管仲は、鮑叔は自分のよき理解者であり、とても感謝しているみたいなことを述べる。桓公(=小白)は天下統一は管仲のおかげだと評価した。(一方で世間の人々は、鮑叔の徳行と、人物鑑識能力を高く評価した。)
斉ハ姜姓ナリ。太公望呂尚之所レ封ゼラレシ也。
斉は姜姓なり。太公望呂尚の封ぜられし所なり。
斉は(王室が)姜姓である。太公望呂尚が封ぜられた国である。
後世至二リ桓公一ニ、覇二タリ諸侯一ニ。五覇ハ桓公ヲ為レス始メト。
後世桓公に至り、諸侯に覇たり。五覇は桓公を始めと為す。
その後、桓公の代になって、諸侯の旗頭となった。春秋時代の五人の覇者は、桓公をその始めとする。
名ハ小白。兄ノ蘘公ハ無道ナリ。群弟恐二ル禍ノ及一バンコトヲ。
名は小白。兄の蘘公は無道なり。群弟禍の及ばんことを恐る。
(その桓公は)名を小白といった。兄の襄公は、人の道にそむいた悪い行いをする人間であった。(襄公の)弟たちは(自分たちの身に)災難がふりかかることを恐れた。
子糾奔レル魯ニ。管仲傅レタリ之ニ。
子糾魯に奔る。管仲之に傅たり。
公子の糾は魯へ逃げた。管仲がその糾の守り役を務めていた。
※公子=諸侯の子
小白奔レル莒ニ。鮑叔傅レタリ之ニ。
小白莒に奔る。鮑叔之に傅たり。
小白は莒へ逃げた。鮑叔がその小白の守り役を務めていた。
蘘公ハ為二リ弟無知ノ所一レト弑スル、無知モ亦為二ル人ノ所一レト殺ス。
蘘公は弟無知の弑する所と為り、無知も亦人の殺す所と為る。
※「為二ルAノ所一レトB(スル)」=受身、「AのB(する)所と為る」、「AにBされる」
(その後、)襄公は弟の無知に殺され、無知もまた人に殺された。
斉人召二ク小白ヲ於莒一ヨリ。而シテ魯モ亦発レシテ兵ヲ送レル糾ヲ。
斉人小白を莒より召く。而して魯も亦兵を発して糾を送る。
※於=置き字(起点)。 ※而(しかう)して=順接、そして。
(そこで、跡継ぎのことを考えた)斉の人々は、小白を莒から呼び戻した。すると、魯もまた軍隊を派遣して糾を送り込もうとした。
管仲嘗テ遮二リ莒ノ道一ヲ射二テ小白一ヲ中二ツ帯鉤一ニ。小白先ヅ至レリテ斉ニ而立ツ。
管仲嘗て莒の道を遮り小白を射て帯鉤に中つ。小白先づ斉に至りて立つ。
管仲は莒から(斉へ)の道で待ちぶせ、小白に向かって矢を射て、帯金にあたった。(結果、)小白が先に斉に到着し、即位した。
鮑叔牙薦二メテ管仲一ヲ為レサシム政ヲ。公ハ置レキテ怨ミヲ而用レヰル之ヲ。
鮑叔牙管仲を薦めて政を為さしむ。公は怨みを置きて之を用ゐる。
鮑叔牙は管仲を推薦して、政治を担当させようとした。桓公は(殺されかけた)怨みを問わないで、管仲を用いた。
管仲字ハ夷吾。嘗テ与二鮑叔一賈ス。分レカツニ利ヲ多ク自ラ与フ。
管仲字は夷吾。 嘗て鮑叔と賈す。利を分かつに多く自ら与ふ。
管仲は字は夷吾である。かつて、鮑叔と商売をしたことがあった。利益を分配する時に、多く自分は取った。
鮑叔不二以ツテ為一レサ貪ト。知二レバ仲ノ貧一ナルヲ也。
鮑叔以つて貪と為さず。仲の貧なるを知ればなり。
鮑叔はそのことで管仲を欲張りだとは思わなかった。管仲が貧乏であることを知っていたからである。
嘗テ謀レリテ事ヲ窮困ス。鮑叔不二以ツテ為一レサ愚ト。知三レバ時ニ有二ルヲ利ト不利一ト也。
嘗て事を謀りて窮困す。鮑叔以つて愚と為さず。時に利と不利と有るを知ればなり。
かつて、(鮑叔のために)ある事を計画して、(逆に、鮑叔がさらに)苦しくなった。 鮑叔はそのことで管仲を愚か者だとは思わなかった。
時によって、うまくいく時とうまくいかない時があることを知っていたからである。
嘗テ三タビ戦ヒ三タビ走ル。鮑叔不二以ツテ為一レサ怯ト。知三レバ仲ニ有二ルヲ老母一也。
嘗て三たび戦ひ三たび走る。鮑叔以つて怯と為さず。仲に老母有るを知ればなり。
かつて、(管仲は)三度戦って三回とも敗走した。 鮑叔はそのことで管仲を臆病だとは思わなかった。 管仲には(面倒を見なければならない)年老いた母親がいることを知っていたからである。
仲日ハク、「生レム我ヲ者ハ父母、知レル我ヲ者ハ鮑子也ト。」
仲曰はく、「我を生む者は父母、我を知る者は鮑子なり。」と。
管仲が言うことには、「私を生んでくれたのは父母であるが、私を本当に理解してくれるのは鮑叔殿である。」と言った。
桓公九-二合シ諸侯一ヲ、一-二匡セルハ天下一ヲ、皆仲之謀ナリ。一ニモ則チ仲父、二ニモ則チ仲父トイフ。
桓公諸侯を九合し、天下を一匡せるは、皆仲の謀なり。一にも則ち仲父、二にも則ち仲父といふ。
桓公が諸侯を集め合わせて、天下を統一して、秩序だてたのは、 すべて管仲の知略である。 一にも仲父、二にも仲父と言った。
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