青=現代語訳・下小文字=返り点・上小文字=送り仮名・解説=赤字
凡ソ五年、生二ムモ両子一ヲ、与レ鎰絶レツ信ヲ。
凡そ五年、両子を生むも、鎰と信を絶つ。
(王宙と倩娘が駆け落ちしてから)およそ五年、二人の子供が産まれたが、鎰とは音信を絶っていた。
其ノ妻常ニ思二ヒ父母一ヲ、涕泣シテ言ヒテ曰ハク、
其の妻常に父母を思ひ、涕泣して言ひて曰はく、
その妻(=倩娘)がいつも父母のことを思い、涙を流して泣いて言うことには、
「吾曩ノ日ニ不レ能二ハ相負一クコト、棄二テテ大義一ヲ而来-二奔セリ君一ニ。
「吾曩の日、相負くこと能はず、大義を棄てて君に来奔せり。
※「不レ能二ハA一(スル)(コト)」=不可能、「 ~(する)(こと)能はず」「(能力がなくて) ~Aできない」
「私は以前、(あなたの気持ちに)そむくことができず、両親に対する義理を捨ててあなたのもとへ逃げて来ました。
向レリテ今ニ五年、恩慈間阻ス。覆載之下、胡ノ顔アリテ独リ存セン也ト。」
今に向りて五年、恩慈間阻す。覆載の下、胡の顔ありて独り存せんや。」と。
現在に至るまで五年、親子の恩愛が隔たっています。この世で、どんな顔をしてただ生きいることができようか。(いや、できない。)」と。
宙哀レレミテ之ヲ曰ハク、「将レニ帰ラント。無レカレト苦シムコト。」
宙之を哀れみて曰はく、「将に帰らんとす。苦しむこと無かれ。」と。
※「将二ニ/ ~一(セ)ント」=再読文字、「将(まさ)に ~(せ)んとす」、「~しようとする・~するつもりだ」
※「無二カレA一スル(コト)」=禁止、「Aしてはならない」
宙もかわいそうに思って、「帰ることにしよう。苦しむことはないよ。」と言った。
遂ニ倶ニ帰二ル衡州一ニ。
遂に倶に衡州に帰る。
こうして一緒に衡州に帰った。
既ニ至リ、宙独身先ヅ至二リ鎰ノ家一ニ、首メニ謝二ス其ノ事一ヲ。
既に至り、宙独身先づ鎰の家に至り、首めに其の事を謝す。
着くと、宙一人で先に鎰の家へ行き、まず最初に駆け落ちしたことについて謝罪した。
鎰曰ハク、「倩娘病ミテ在二ルコト閨中一ニ数年、何ゾ其レ詭説スル也ト。」
鎰曰はく、「倩娘病みて閨中に在ること数年、何ぞ其れ詭説するや。」と。
(ところが、)鎰が言いうことには、「倩娘は病気になって寝室にいること数年になる、どうしてそのようなでたらめを言うのか。」と。
宙曰ハク、「見ニ在二リト舟中一ニ。」
宙曰はく、「見に舟中に在り。」と。
宙は、「実際に(今、倩娘は)舟の中にいます。」と言った。
鎰大イニ驚キ、促シテ使二ム人ヲシテ験一レセ之ヲ。
鎰大いに驚き、促して人をして之を験せしむ。
※使=使役「使二ムAヲシテB一(セ)」→「AをしてB(せ)しむ」→「AにBさせる」
鎰は大いに驚いて、急いで使いの者にこのことを確かめさせた。
果タシテ見三ル倩娘ノ在二ルヲ船中一ニ。
果たして倩娘の船中に在るを見る。
その結果、倩娘が船の中にいるのを見た。
顔色怡暢、訊二ネテ使者一ニ曰ハク、「大人安キヤ否ヤト。」
顔色怡暢、使者に訊ねて曰はく、「大人安きや否や。」と。
(倩娘は)顔色もにこやかでのびのびとしており、使者に尋ねて、「お父様はお元気ですか。」と言った。
家人異レシミ之ヲ、疾走シテ報レズ鎰ニ。
家人之を異しみ、疾走して鎰に報ず。
使いの者もこのことを不思議に思って、急いで帰って鎰に報告した。
室中ノ女聞キ、喜ビテ而起チ、飾レリ粧ヲ更レメ衣ヲ、笑ヒテ而不レ語ラ。
室中の女聞き、喜びて起ち、粧を飾り衣を更め、笑ひて語らず。
※而=置き字(順接・逆接)
部屋の中の娘(=もう一人の倩娘)はこのことを聞くと、喜んで起き上がり、化粧をして着物を着替え、ほほ笑んで何も言わない。
出デテ与ニ相迎ヘ、翕然トシテ而合シテ為二リ一体一ト、其ノ衣裳皆重ナル。
出でて与に相迎へ、翕然として合して一体と為り、其の衣裳皆重なる。
出て行って(倩娘が)お互いに迎え合うと、ぴったりと合わさって一体となり、その衣装までも皆重なった。
其ノ家以二ツテ事ノ不一レルヲ正ナラ秘レス之ヲ。
其の家事の正ならざるを以つて之を秘す。
その家では事が異常だったので、このことを隠していた。
惟ダ親戚ノ間、有二リ潜カニ知レル之ヲ者一。
惟だ親戚の間、潜かに之を知る者有り。
ただ親戚の中に、ひそかにこのことを知っている者がいた。
後四十年ノ間ニ、夫妻皆喪ブ。二男並ビニ孝廉ニ擢第シ至二ル丞・尉一ニ。
後四十年の間に、夫妻皆喪ぶ。二男並びに孝廉に擢第し丞・尉に至る。
その後四十年の間に、(王宙と倩娘の)夫妻は二人とも亡くなった。二人の息子もそろって孝廉の試験に合格し、県丞と県尉(の地位)にまでなった。
玄祐少キトキ常ニ聞二ケドモ此ノ説一ヲ、而多二ク異同一、或イハ謂二フ其ノ虚一ナルコトヲ。
玄祐少きとき常に此の説を聞けども、異同多く、或いは其の虚なることを謂ふ。
私(=玄祐)は若い頃によくこの話を聞いたが、話によって色々と違ったところがあるので、おそらく作り話だと思っていた。
大暦ノ末、遇二フ莱蕪県ノ令張仲規一ニ。因リテ備ニ述二ブ其ノ本末一ヲ。
大暦の末、莱蕪県の令張仲規に遇ふ。因りて備に其の本末を述ぶ。
大暦の末に、莱蕪の県令の張仲規に会った。そこで詳しくこの話の一部始終を話してくれた。
鎰ハ則チ仲規ノ堂叔ニシテ、而説クコト極メテ備悉ナリ。故ニ記レス之ヲ。
鎰は則ち仲規の堂叔にして、説くこと極めて備悉なり。故に之を記す。
鎰は仲規の同じ一族の叔父に当たるので、話してくれたことはとても詳細であった。なのでこの事をここに記しておくことにする。