「黒=原文」・「赤=解説」・「青=現代語訳」
原文・現代語訳のみはこちら平家物語『壇ノ浦(安徳天皇の入水)』現代語訳(1)(2)(3)
悲しきかな、無常の春の風、たちまちに花の御姿を散らし、なさけなきかな、
かな=詠嘆の終助詞
悲しいことよ。無常の春の風が、たちまちに花のような(美しい天皇の)御姿を散らし、痛ましいことであるよ。
分段の荒き波、玉体を沈め奉る。
奉る=補助動詞ラ行四段「奉る(たてまつる)」の終止形、謙譲語。動作の対象である天皇(=安徳天皇)を敬っている。作者からの敬意。
※尊敬語は動作の主体を敬う
※謙譲語は動作の対象を敬う
※丁寧語は言葉の受け手(聞き手・詠み手)を敬う。
どの敬語も、その敬語を実質的に使った人間からの敬意である。
分段の荒波は、(天皇の)玉体をお沈め申し上げた。
※分段=生死を繰り返す輪廻の運命。
殿をば長生と名づけて長き住みかと定め、門をば不老と号して老いせ ぬ とざしと説きたれ ども、
ば=強調の係助詞。強調する意味があるが、訳す際に無視しても構わない。
号し=サ変動詞「号す」の連用形。 「名詞+す(サ変動詞)」で一つのサ変動詞になるものがいくらかある。例:「音す」、「愛す」、「ご覧ず」
老いせ=サ変動詞「老いす」の未然形
ぬ=打消の助動詞「ず」の連体形、接続は未然形
とざし=名詞、門
たれ=完了の助動詞「たり」の已然形、接続は連用形
ども=逆接の接続助詞、活用語の已然形につく。
その御殿を長生と名付けて長く暮らす住居と定め、門を不老と称して老いることのない門と説いたけれども、
いまだ十歳のうちにして、底の水屑となら せ 給ふ。
なら=ラ行四段動詞「成る」の未然形
せ=尊敬の助動詞「す」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。「給ふ」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である主上(=安徳天皇)を敬っている。作者からの敬意。
給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の終止形、尊敬語。
まだ十歳にもならないうちに、海底の水屑となりなさった。
十善帝位の御果報申すもなかなか おろかなり。
申す=サ行四段動詞「申す」の連体形、「言ふ」の謙譲語。動作の対象である天皇(=安徳天皇)を敬っている。作者からの敬意。
なかなか(中中)=副詞、かえって、むしろ。
おろかなり=ナリ活用の形容動詞「疎かなり/愚かなり(おろかなり)」の終止形、おろそかだ、いいかげんだ。馬鹿だ、間抜けだ。並々だ、普通だ。
十善の(行いによって)帝位(につくことができた現世で)の御果報は、言葉にして申し上げるのもかえっていいかげんだ(=何とも申し上げようがない)。
※果報=前世での行いによる報い。
雲上の竜下つて海底の魚となり 給ふ。
なり=ラ行四段動詞「成る」の連用形
給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の終止形、尊敬語。動作の主体である天皇(=安徳天皇)を敬っている。作者からの敬意。
雲の上の竜が下って海底の魚とおなりになった。
大梵高台の閣の上、釈提喜見の宮の内、いにしへは槐門棘路の間に九族をなびかし、
大梵天王の住む宮殿の上、帝釈天の住む喜見城の中で、昔は大臣・公卿に囲まれて平家一門をお従えになり、
今は船の内波の下に、御命を一時に滅ぼし給ふ こそ 悲しけれ。
給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連体形、尊敬語。動作の主体である天皇(=安徳天皇)を敬っている。作者からの敬意。
こそ=強調の係助詞、結びは已然形となる。係り結び。
悲しけれ=シク活用の形容詞「悲し」の已然形。係助詞「こそ」を受けて已然形となっている。係り結び。
今は船の中に住み、波の下で、御命を一瞬で滅ぼしなさったことは悲しいことである。
平家物語『壇ノ浦(安徳天皇の入水)』現代語訳(1)(2)(3)