「黒=原文」・「赤=解説」・「青=現代語訳」
【主な登場人物】
大入道殿=藤原兼家、道長・道隆・道兼の親。 中の関白殿=藤原道隆、兼家の子。 粟田殿=藤原道兼、兼家の子。 入道殿=藤原道長、兼家の子。教通の親 内大臣殿=藤原教通、道長の子 帝=花山院 四条の大納言=藤原公任
原文・現代語訳のみはこちら大鏡『肝だめし』現代語訳(1)(2)
四条の大納言のかく何ごともすぐれ、めでたく おはしますを、
斯く(かく)=副詞、こう、このように。
めでたく=ク活用の形容詞「めでたし」の連用形、みごとだ、立派だ、すばらしい。魅力的だ、心惹かれる。
おはします=サ行四段動詞「おはします」の連体形。「あり・居り・行く・来」の尊敬語。「おはす」より敬意が高い言い方。いらっしゃる、おられる、あおりになる。動作の主体である四条の大納言(=藤原公任)を敬っている。作者からの敬意。
※尊敬語は動作の主体を敬う
※謙譲語は動作の対象を敬う
※丁寧語は言葉の受け手(聞き手・詠み手)を敬う。
どの敬語も、その敬語を実質的に使った人間からの敬意である。
四条の大納言(=藤原公任)がこのように何事にも優れ、立派でいらっしゃるのを、
大入道殿、「いかで か かから む。うらやましくもある かな。
いかで=副詞、(疑問・反語で)どうして、どのようにして、どういうわけで。どうにかして。どうであろうとも、なんとかして。
か=疑問の係助詞、結びは連体形となる。係り結び
かから=「かく(副詞)/あら(ラ変動詞・未然形)」が変化したもの
斯く(かく)=副詞、こう、このように。
あら=ラ変動詞「あり」の未然形
む=推量の助動詞「む」の連体形、接続は未然形。係助詞「か」を受けて連体形となっている。係り結び。㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文末に来ると「㋜推量・㋑意志・㋕勧誘」のどれかである。
ある=ラ変動詞「あり」の連体形
かな=詠嘆の終助詞
大入道殿(=藤原兼家)は、「(四条の大納言は)どうしてこのよう(に優れているの)であるのだろうか。うらやましいことだなあ。
わが子どもの、影だに踏むべくもあら ぬ こそ 口惜しけれ。」
だに=副助詞、類推(~さえ・~のようなものでさえ)。強調(せめて~だけでも)。添加(~までも)。
べく=可能の助動詞「べし」の連用形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。「べし」は㋜推量㋑意志㋕可能㋣当然㋱命令㋢適当のおよそ六つの意味がある。
あら=ラ変動詞「あり」の未然形
ぬ=打消の助動詞「ず」の連体形、接続は未然形
こそ=強調の係助詞、結びは已然形となる。係り結び。
口惜しけれ=シク活用の形容詞「口惜し(くちおし)」の連用形。係助詞「こそ」を受けて已然形となっている。係り結び。残念だ、がっかりだ、悔しい。いやだ、物足りない。
私の子供たちが、(四条の大納言の)影さえ踏むこともできない(ほど劣っている)のは、残念だ。」
と申さ せ 給ひ けれ ば、
申さ=サ行四段動詞「申す」の未然形、「言ふ」の謙譲語。動作の対象である大入道の子供たち(=道隆・道兼・道長)を敬っている。作者からの敬意。
せ=尊敬の助動詞「す」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。「給ふ」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である大入道殿(=藤原兼家)を敬っている。作者からの敬意。
給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連用形、尊敬語。
けれ=過去の助動詞「けり」の已然形、接続は連用形
ば=接続助詞、直前が已然形だから①原因・理由「~なので、~から」②偶然条件「~ところ・~と」③恒常条件「(~する)といつも」のどれかであるが、文脈判断をして②の意味でとる。ちなみに、直前が未然形ならば④仮定条件「もし~ならば」である。
と申し上げなさったところ、
中の関白殿・粟田殿などは、げに さもとや 思す らむと、
げに(実に)=副詞、なるほど、実に、まことに。本当に
さ=副詞、そう、その通りに、そのように。
や=疑問の係助詞、結びは連体形となる。係り結び。
思す=サ行四段動詞「思す(おぼす)」の終止形。「思ふ」の尊敬語。動作の主体である中の関白殿(=藤原道隆)・粟田殿(=藤原道兼)などを敬っている。作者からの敬意。
らむ=現在推量の助動詞「らむ」の連体形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。係助詞「や」を受けて連体形となっている。係り結び。基本的に「らむ」は文末に来ると「現在推量・現在の原因推量」、文中に来ると「現在の伝聞・現在の婉曲」
中の関白殿(=藤原道隆)や粟田殿(=藤原道兼)などは、本当に(父親が)そのようにとお思いになっているのだろうと、
はづかしげなる御気色 にて、ものものたまは ぬに、
気色(けしき)=名詞、様子、状態。ありさま、態度、そぶり。
に=断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形
のたまは=ハ行四段動詞「宣ふ(のたまふ)」の未然形。「言ふ」の尊敬語。動作の主体である中の関白殿(=藤原道隆)・粟田殿(=藤原道兼)などを敬っている。作者からの敬意。
ぬ=打消の助動詞「ず」の連体形、接続は未然形
恥ずかしそうなご様子であって、何もおっしゃらないが、
この入道殿は、いと若くおはします御身にて、「影をば踏まで、面をや踏まぬ。」
おはします=サ行四段動詞「おはします」の連体形。「あり・居り・行く・来」の尊敬語。「おはす」より敬意が高い言い方。いらっしゃる、おられる、あおりになる。動作の主体である入道殿(=藤原道長)を敬っている。作者からの敬意。
に=断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形
ば=強調の係助詞。強調する意味があるが、訳す際に無視しても構わない。
で=打消の接続助詞、接続は未然形。「ず(打消しの助動詞)+して(接続助詞)」→「で」となったもの。
や=反語・疑問の係助詞、結びは連体形となる。係り結び。
ぬ=打消の助動詞「ず」の連体形、接続は未然形。係助詞「や」を受けて連体形となっている。係り結び。
この入道殿(=藤原道長)は、たいそう若くていらっしゃる御身で(あるのにもかかわらず)、「(四条の大納言の)影は踏まないが、顔を踏まないことがあろうか。(いや、踏んでやる。)」
とこそ 仰せ られ けれ。
こそ=強調の係助詞、結びは已然形となる。係り結び。
仰せ=サ行下二段動詞「仰す(おほす)」の未然形。「言ふ」の尊敬語、おっしゃる。動作の主体である入道殿(=藤原道長)を敬っている。作者からの敬意。
られ=尊敬の助動詞「らる」の連用形、接続は未然形。直前の「仰せ」と合わせて二重敬語、いずれも入道殿(=藤原道長)を敬っている。助動詞「らる」には「受身・尊敬・自発・可能」の4つの意味があるが、「仰せらる」の場合の「らる」は必ず「尊敬」と思ってよい。
けれ=過去の助動詞「けり」の已然形、接続は連用形。係助詞「こそ」を受けて已然形となっている。係り結び。
とおっしゃった。
まことにこそ さ おはします めれ。
こそ=強調の係助詞、結びは已然形となる。係り結び。
さ=副詞、そう、その通りに、そのように。
おはします=サ行四段動詞「おはします」の終止形。「あり・居り・行く・来」の尊敬語。「おはす」より敬意が高い言い方。いらっしゃる、おられる、あおりになる。動作の主体である入道殿(=藤原道長)を敬っている。作者からの敬意。
めれ=婉曲の助動詞「めり」の已然形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。係助詞「こそ」を受けて已然形となっている。係り結び。視覚的なこと(見たこと)を根拠にする推定の助動詞である。婉曲とは遠回しな表現。「~のような」と言った感じで訳す。
(入道殿は)本当にそのようでいらっしゃるようだ。
内大臣殿をだに、近くてえ見奉り 給は ぬよ。
だに=副助詞、類推(~さえ・~のようなものでさえ)。強調(せめて~だけでも)。添加(~までも)。
え=副詞、下に打消の表現を伴って「~できない」
奉り=補助動詞ラ行四段「奉る(たてまつる)」の連用形、謙譲語。動作の対象である内大臣殿(=藤原教通)を敬っている。作者からの敬意。
給は=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の未然形、尊敬語。動作の主体である四条の大納言(=藤原公任)を敬っている。作者からの敬意。
ぬ=打消の助動詞「ず」の連体形、接続は未然形
(今では、四条の大納言は、入道殿の子供である)内大臣殿(=藤原教通)でさえ、近くで拝見なさることができないのだよ。
※今では、入道殿(=藤原道長)が四条の大納言(=藤原公任)よりも圧倒的に高い地位にいるということ。
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