古文

大鏡『肝だめし』現代語訳(1)(2)

青=現代語訳

【主な登場人物】

(おお)(にゅう)(どう)殿(どの)=藤原兼家(かねいえ)、道長・道隆・道兼の親。  (なか)(かん)(ぱく)殿(どの)=藤原道隆(みちたか)、兼家の子。  (あわ)()殿(どの)=藤原道兼(みちかね)、兼家の子。  (にゅう)(どう)殿(どの)=藤原道長(みちなが)、兼家の子。教通の親  (ない)(だい)(じん)殿(どの)=藤原教通(のりみち)、道長の子    =花山院  ()(じょう)(だい)()(ごん)=藤原(きん)(とう)

 解説・品詞分解のみはこちら大鏡『肝だめし』解説・品詞分解(1)

 

四条の大納言のかく何ごともすぐれ、めでたくおはしますを、

 

四条の大納言(=藤原公任)がこのように何事にも優れ、立派でいらっしゃるのを、

 

 

(おお)(にゅう)(どう)殿(どの)、「いかでかかからむ。うらやましくもあるかな。

 

大入道殿(=藤原兼家)は、「(四条の大納言は)どうしてこのよう(に優れているの)であるのだろうか。うらやましいことだなあ。

 

 

わが子どもの、影だに踏むべくもあらぬこそ(くち)()しけれ。」

 

私の子供たちが、(四条の大納言の)影さえ踏むこともできない(ほど劣っている)のは、残念だ。」

 

 

と申させ(たま)ひければ、

 

と申し上げなさったところ、

 

 

中の関白殿・粟田殿などは、げにさもとや(おぼ)すらむと、

 

中の関白殿(=藤原道隆)や粟田殿(=藤原道兼)などは、本当に(父親が)そのようにとお思いになっているのだろうと、

 

 

はづかしげなる御()(しき)にて、ものものたまはぬに、

 

恥ずかしそうなご様子であって、何もおっしゃらないが、

 

 

この入道殿は、いと若くおはします御身にて、「影をば踏まで、(つら)をや踏まぬ。」

 

この入道殿(=藤原道長)は、たいそう若くていらっしゃる御身で(あるのにもかかわらず)、「(四条の大納言の)影は踏まないが、顔を踏まないことがあろうか。(いや、踏んでやる。)」

 

 

とこそ(おお)せられけれ。

 

とおっしゃった。

 

 

まことにこそさおはしますめれ。

 

(入道殿は)本当にそのようでいらっしゃるようだ。

 

 

内大臣殿をだに、近くてえ見(たてまつ)り給はぬよ。

 

(今では、四条の大納言は、入道殿の子供である)内大臣殿(=藤原教通)でさえ、近くで拝見なさることができないのだよ。

※今では、入道殿(=藤原道長)が四条の大納言(=藤原公任)よりも圧倒的に高い地位にいるということ。



(2)

 

さるべき人は、とうより御心魂のたけく、

 

そうなるはずの人(=将来偉くなりそうな人)は、若い頃からお心が強く、

 

 

御守りもこはきなめりとおぼえ侍るは。

 

(神仏の)ご加護も強固なものであるようだと思われますよ。

 

 

花山院の御時に、五月(さつき)下つ闇に、五月雨(さみだれ)も過ぎて、いとおどろおどろしくかきたれ雨の降る夜、

 

花山院が(帝として)ご在位の時、五月下旬の闇夜に、五月雨の時期も過ぎて、たいそう気味悪く激しく雨の降る夜、

 

 

帝、さうざうしとや思し召しけむ、

 

帝(=花山院)は、心寂しいとお思いになったのだろうか、

 

 

殿上に出でさせおはしまして遊びおはしましけるに、

 

殿上にお出ましになって、詩歌・音楽などの遊びをしていらっしゃった時に、

 

 

人々物語申しなどし給うて、

 

人々が、世間話を申し上げなどなさって、

 

 

昔恐ろしかりけることどもなどに申しなり給へるに、

 

昔恐ろしかったことなどにお話がお移りになったところ、

 

 

()(よい)こそいとむつかしげなる夜なめれ。

 

(花山院は、)「今夜は、たいそう気味が悪い夜であるようだ。

 

 

かく人がちなるだに、気色おぼゆ。

 

このように人が多くいてさえ、不気味な感じがする。

 

 

まして、もの離れたる所などいかならむ。

 

まして、人気のない離れた所などはどうであろうか。

 

 

さあらむ所に、ひとり往なむや。」

 

そのような所に、一人で行けるだろうか。」

 

 

と仰せられけるに、

 

とおっしゃったところ、

 

 

「えまからじ。」とのみ申し給ひけるを、

 

(その場に居た人々は)「(そのような場所には)参ることはできないでしょう。」とばかり申し上げなさったのに、

 

 

入道殿は、「いづくなりとも、まかりなむ。」

 

入道殿(=藤原道長)は、「どこであろうとも、参りましょう。」

 

 

と申し給ひければ、

 

と申し上げなさったので、

 

 

さるところおはします帝にて、「いと興あることなり。さらば、行け。道隆(みちたか)()(らく)(いん)(みち)(かね)()寿(じゅう)殿(でん)(ぬり)(ごめ)(みち)(なが)(だい)(こく)殿(でん)へ行け。」

 

そのような(ことをおもしろがる)ところのおありになる帝で、「たいそうおもしろいことだ。それならば、行け。道隆は豊楽院、道兼は仁寿殿の塗籠、道長は大極殿へ行け。」

 

 

と仰せられければ、よその君達(きんだち)は、便なきことをも奏してけるかなと思ふ。

 

とおっしゃったので、他の君達(=命じられた三人以外の君達)は、都合の悪いことを(入道殿は)申し上げたなあと思う。

 

 

また、承らせ給へる殿ばらは、御気色変はりて、益なしと思したるに、

 

また、(帝のご命令を)お受けになった殿たち(=道隆・道兼)は、お顔色が変わって、困ったことだとお思いになっているのに、



 

入道殿は、つゆさる御気色もなくて、「私の従者をば具し候はじ。

 

入道殿(=道長)は、少しもそのようなご様子もなくて、「私の従者は連れて行きますまい。

 

 

この陣の吉上まれ、滝口まれ、一人を、『(しょう)(けい)(もん)まで送れ。』と仰せ言賜べ。

 

この近衛の陣の吉上でも、滝口の武士でも(誰でもよいから)、一人に『昭慶門まで送れ。』とご命令をください。

 

 

それより内には一人入り侍らむ。」と申し給へば、

 

そこから内には一人で入りましょう。」と申し上げなさると、

 

 

「証なきこと。」と仰せらるるに、

 

「(一人で行ったという)証拠がないことだ。」とおっしゃるので、

 

 

「げに。」とて、御手箱に置かせ給へる()(がたな)申して立ち給ひぬ。

 

(入道殿は)「なるほど。」と思って、(花山院が)御手箱に置いていらっしゃる小刀をいただいてお立ちになった。

 

 

いま二所も、苦む苦むおのおのおはさうじぬ。

 

もうお二人(=道隆・道兼)も、しぶしぶそれぞれお出かけになった。

 

 

続きはこちら大鏡『肝だめし』現代語訳(3)

 

 大鏡『肝だめし』解説・品詞分解(1)

 

 大鏡『肝だめし』品詞分解のみ(1)

 

大鏡『肝だめし』まとめ

 

 

 

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