「黒=原文」・「青=現代語訳」
解説・品詞分解のみはこちら雨月物語『浅茅が宿』解説・品詞分解(4)
さてしも臥したる妻はいづち行きけん見えず。
それにしても寝ていた妻はどこに行ったのだろうか(妻の姿が)見えない
狐などのしわざにやと思へば、
狐などの仕業であろうかと思ってみると、
かく荒れ果てぬれど、もと住みし家に違はで、
このように荒れ果てているけれども、以前住んでいた家に違いなく、
広く造りなせし奥わたりより、端の方、稲倉まで好みたるままのさまなり。
広く作った奥の辺りから、端の方の稲倉まで(勝四郎の)好んだままの様子である。
あきれて足の踏所さへ忘れたるやうなりしが、つらつら思ふに、「妻は既に死(まか)りて、
途方に暮れて自分が立っている所までも忘れてしまうようだったが、よくよく考えると、「妻はすでに亡くなって、
今は狐狸(こり)の住み替はりて、かく野らなる宿となりたれば、
今はキツネやタヌキが代わりに住んでいて、このように野原同然の(荒れた果てた)家となったので、
怪しき物の化してありし形を見せつるにてぞあるべき。
怪しいものが化けて生前の姿を見せたのであろう。
もしまた我を慕ふ魂の帰り来たりて語りぬるものか。
あるいはまた、私を慕う(妻の)魂が、(あの世から)帰ってきて語ったものなのか。
思ひし事のつゆ違はざりしよ」と、さらに涙さへ出でず。
思っていたことと少しも違わなかったよ。」と、全く涙さえも出ない。
我が身ひとつはもとの身にしてと歩み廻るに、
(「我が身ひとつはもとの身にして」という古歌の気持ちを実感しながら)自分の体だけはもとのままだと歩き回ると、
むかし閨房(ふしど)にてありし所の簀子(すのこ)をはらひ、土を積みて塚とし、雨露を防ぐ設けもあり。
昔は寝室であったところの簀子(すのこ)の床を取り払い、土を積んで塚をとして、雨露を防ぐ備えもしてある。
夜の霊はここもとよりやと恐ろしくもかつ懐かし。
昨夜の(妻の)霊はここから(現れたの)かと恐ろしくもあるが、懐かしくもある
水向けの具、物せし中に、木の端を削りたるに、那須野紙のいたう古びて、文字もむら消えして所々見定めがたき、正しく妻の筆の跡なり。
手向けの水を備える道具の中に、木の端を削ったものに、那須野紙でたいそう古びて、(そこに書かれた)文字も消えかかってところどころが読みにくいものがあるが、(それをよく見ると、)まさしく妻の筆跡である。
法名といふものも年月も記さで、三十一字に末期の心を哀れにものべたり。
戒名も(亡くなった)年月も書き記さないで、三十一文字に最後の気持ちを哀れに詠んであった。
さりともと 思ふ心に 謀られて 世にも今日まで 生ける命か
(夫は約束の秋には戻ってこなかったが)それでも(いつかは帰ってくるだろう)と思う気持ちに欺かれて、この世に今日まで生きながらえてきた命であるよ。
ここに初めて妻の死したるを覚(さと)りて、大いに叫びて倒れ伏す。
ここで初めて妻が死んだことを知って、大声で泣き伏した。
「さりとて何の年何の月日に終はりしさへ知らぬ あさましさよ。人は知りもやせん。」と、
「それにしても何年何月何日に死んだのかさえ知らないのはあきれるほど情けないことよ。誰か知っているのではないか。」と、
涙をとどめて立ち出づれば、日高くさし昇りぬ。
涙を抑えて外へ出ると、日が高く昇っていた。
続きはこちら雨月物語『浅茅が宿』現代語訳 「勝四郎、翁が高齡をことぶきて、~