「黒=原文」・「青=現代語訳」
解説・品詞分解はこちら源氏物語『葵(葵の上と物の怪)』解説・品詞分解(5)
すこし御声もしづまり給へれば、
少しお声もお静まりになったので、
隙おはするにやとて、
(苦しい中で)楽になる時もおありなのであろうかと思って、
宮の御湯持て寄せ給へるに、かき起こされ給ひて、ほどなく生まれ給ひぬ。
(母の)宮がお薬湯を持って来させなさったので、抱き起こされなさって、まもなくお生まれになった。
うれしと思すこと限りなきに、人に駆り移し給へる御物の怪ども、
うれしいとお思いになることはこの上ないが、よりましにお移しになった物の怪たちが、
※よりまし=物の怪などが取りつくためのよりしろになる役のこと。
ねたがりまどふけはひ、いともの騒がしうて、後の事、またいと心もとなし。
(安産を)憎く思い乱れる様子、とても騒がしくて、後産の事が、またたいそう不安である。
言ふ限りなき願ども立てさせ給ふけにや、
言い尽くせないほどの願などを立てさせなさったためか、
平らかに事なり果てぬれば、
ぬれ=完了の助動詞「ぬ」の已然形、接続は連用形
ば=接続助詞、直前が已然形であり、①原因・理由「~なので、~から」の意味で使われている。
平穏無事に(後産も)終わったので、
山の座主、何くれやむごとなき僧ども、したり顔に汗おし拭ひつつ、急ぎまかでぬ。
比叡山の座主や、誰それといった尊い僧たちが、得意顔に汗を拭いながら、急いで退出した。
多くの人の心を尽くしつる日ごろの名残、少しうち休みて、今はさりともと思す。
多くの人が心を尽くした普段の看病の後の余韻が、少し安らいで、今はいくらなんでも大丈夫だろうとお思いになる。
御修法などは、またまた始め添へさせ給へど、
御修法などは、また始めさせなさるけれど、
まづは、興あり、めづらしき御かしづきに、皆人ゆるべり。
今のところは、興味があり、目新しい(赤ん坊の)お世話に、皆気がゆるんでいる。
院をはじめたてまつりて、親王たち、上達部、残るなき産養ひどもの、
桐壷院をはじめとして、親王方、上達部が、残ることなくお贈りになった産養い(=誕生祝い)で、
めづらかにいかめしきを、夜ごとに見ののしる。
珍しく立派な品々を、夜ごとに見て大騷ぎする。
男にてさへおはすれば、そのほどの作法、にぎははしくめでたし。
加えて男の子でいらっしゃるので、その間の(産養いの)作法は、にぎやかで立派である。
(6)
かの御息所は、かかる御ありさまを聞き給ひても、ただならず。
あの御息所は、このようなご様子をお聞きになっても、心穏やかでない。
「かねては、いと危ふく聞こえしを、たひらかにもはた。」と、うち思しけり。
「以前には、たいそう危ういと聞いていたのに、無事であったとは。」と、お思いになった。
あやしう、我にもあらぬ御心地を思し続くるに、
不思議なことに、自分が自分でないようなお気持ちを考え続けなさると、
御衣なども、ただ芥子の香に染み返りたるあやしさに、御ゆする参り、御衣着替へなどし給ひて、試み給へど、
お着物なども、ただ芥子の香が染みついている奇妙さに、髪をお洗いになり、お着物を着替えなどしなさって、お試しになるけれど、
※芥子の香=加持祈祷の際にたく香。葵の上のもとでたかれていた香の匂いが、六条の御息所の着物に染みているということであり、御息所の生霊が葵の上の所にいたことを暗示している。
なほ同じやうにのみあれば、
それでもやはり同じように(芥子の香のにおいが)あるので、
わが身ながらだにうとましう思さるるに、
自分自身のことながらでさえ気味悪くお思いにならずにはいられないのに、
まして、人の言ひ思はむことなど、人にのたまふべきことならねば、
まして、他人が(生霊の事を噂して)言ったり考えたりするようなことなど、人にお話しになれるはずのことではないので、
心ひとつに思し嘆くに、いとど御心変はりもまさりゆく。
自分一人の心の中で思い嘆いていらっしゃると、ますますお心が変になっていく。