「黒=原文」・「赤=解説」・「青=現代語訳」
いとあやしと思しめぐらすに、ただかの御息所なり けり。
あやし=シク活用の形容詞「あやし」の終止形、不思議だ、変だ。身分が低い、卑しい。見苦しい、みすぼらしい。
彼の(かの)=あの、例の。「か(名詞)/の(格助詞)」と品詞分解する。
なり=断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形
けり=過去の助動詞「けり」の終止形、接続は連用形
たいそう不思議なことだと考えめぐらしなさると、まさにあの御息所なのであった。
あさましう、人のとかく言ふを、よから ぬ者どもの言ひ出づることと、
あさましう=シク活用の形容詞「あさまし」の連用形が音便化したもの、驚きあきれる、意外でびっくりすることだ。あまりのことにあきれる。なさけない。
とかく=副詞、あれやこれやと、何かと
よから=ク活用の形容詞「良し(よし)」の未然形、対義語は「悪し(あし)」。「よし>よろし≧普通≧わろし>あし」みたいなイメージ。
ぬ=打消の助動詞「ず」の連体形、接続は未然形
驚きあきれて、人があれこれと(噂して)言うのを、ろくでもない者たちが言い出したことと、
聞きにくく思して、のたまひ消つを、目に見す見す、
思し=サ行四段動詞「思す(おぼす)」の連用形、「思ふ」の尊敬語。動作の主体である光源氏を敬っている。作者からの敬意。
のたまひ消つ=タ行四段動詞「宣ひ消つ(のたまひけつ)」の連体形。「言ひ消つ」の尊敬語。否定する、打消す。非難する。言いかけてやめる。動作の主体である光源氏を敬っている。作者からの敬意。
聞きづらくお思いになって、否定していらっしゃったが、目の前にまざまざと見て、
「世には、かかることこそはあり けれ。」と、うとましう なり ぬ。
かかる=ラ変動詞「かかり」の連体形、このような、こういう
こそ=強調の係助詞、結びは已然形となる。係り結び。
あり=ラ変動詞「あり」の連用形
けれ=詠嘆の助動詞「けり」の已然形、接続は連用形。係助詞「こそ」を受けて已然形となる。係り結び。
うとましう=シク活用の形容詞「疎まし(うとまし)」の連用形が音便化したもの、いやだ。気味が悪い。
なり=ラ行四段動詞「成る(なる)」の連用形
ぬ=完了の助動詞「ぬ」の終止形、接続は連用形
「世の中には、このようなことがあったのだなあ。」と、(光源氏は)いやな気持になった。
あな、心憂と思さ れて、
あな心憂=「ああ、つらい。」
あな+形容詞の語幹=感動文「ああ、~」
心憂=ク活用の形容詞「心憂し(こころうし)」の語幹、いやだ、不愉快だ。情けない、つらい。残念だ、気にかかる。
思さ=サ行四段動詞「思す(おぼす)」の未然形、「思ふ」の尊敬語。動作の主体である光源氏を敬っている。作者からの敬意。
れ=自発の助動詞「る」の連用形、接続は未然形。「る・らる」は「受身・尊敬・自発・可能」の四つの意味があり、「自発」の意味になるときはたいてい直前に「心情動詞(思う、笑う、嘆くなど)・知覚動詞(見る・知るなど)」があるので、それが識別のポイントである。
自発:「~せずにはいられない、自然と~される」
ああ、いやなことだとお思いになって、
「かく のたまへ ど、誰とこそ知らね。
斯く(かく)=副詞、こう、このように
のたまへ=ハ行四段動詞「宣ふ(のたまふ)」の已然形。「言ふ」の尊敬語。動作の主体である六条の御息所を敬っている。光源氏からの敬意。
ど=逆接の接続助詞、活用語の已然形につく。
こそ=強調の係助詞、結びは已然形となる。係り結び。
ね=打消の助動詞「ず」の已然形、接続は未然形。係助詞「こそ」を受けて已然形となっている。係り結び。
「そのようにおっしゃるけれど、誰だか分からない。
たしかにのたまへ。」とのたまへ ば、
のたまへ=ハ行四段動詞「宣ふ(のたまふ)」の命令形。「言ふ」の尊敬語。動作の主体である六条の御息所を敬っている。光源氏からの敬意。
のたまへ=ハ行四段動詞「宣ふ(のたまふ)」の已然形。「言ふ」の尊敬語。動作の主体である光源氏を敬っている。作者からの敬意。
ば=接続助詞、直前が已然形だから①原因・理由「~なので、~から」②偶然条件「~ところ・~と」③恒常条件「(~する)といつも」のどれかであるが、文脈判断をして②の意味でとる。ちなみに、直前が未然形ならば④仮定条件「もし~ならば」である。
はっきりと(名前を)おっしゃりなさい。」と(光源氏が)おっしゃると、
ただそれなる御ありさまに、あさましとは世の常なり。
なる=断定の助動詞「なり」の連体形、接続は体言・連体形
あさまし=シク活用の形容詞「あさまし」の終止形。驚きあきれる、意外でびっくりすることだ。なさけない、嘆かわしい。あまりのことにあきれる。
なり=断定の助動詞「なり」の終止形、接続は体言・連体形
まさに御息所その人のご様子で、驚きあきれると言っては言うのもおろかな普通の表現である。
人々近う参るも、かたはらいたう 思さ る。
参る=ラ行四段動詞「参る」の連体形、「行く」の謙譲語。動作の対象である光源氏を敬っている。作者からの敬意。
かたはらいたう=ク活用の形容詞「傍痛し(かたはらいたし)」の連用形が音便化したもの、恥ずかしい、きまりが悪い。はたで見ていて苦々しい、いたたまれない。
思さ=サ行四段動詞「思す(おぼす)」の未然形、「思ふ」の尊敬語。動作の主体である光源氏を敬っている。作者からの敬意。
る=自発の助動詞「る」の終止形、接続は未然形。「る・らる」は「受身・尊敬・自発・可能」の四つの意味があり、「自発」の意味になるときはたいてい直前に「心情動詞(思う、笑う、嘆くなど)・知覚動詞(見る・知るなど)」があるので、それが識別のポイントである。
自発:「~せずにはいられない、自然と~される」
女房たちがおそば近くに参って来るのも、きまりが悪いお気持ちになる。
続きはこちら源氏物語『葵(葵の上と物の怪)』解説・品詞分解(5)