「黒=原文」・「青=現代語訳」
あまりいたう泣き給へば、
(葵の上が)あまりにひどくお泣きになるので、
「心苦しき親たちの御ことを思し、また、かく見給ふにつけて、
「(娘に先立たれる)気の毒な(葵の上の)ご両親のことを(葵の上が)お思いになり、また、このように(光源氏自身を葵の上が)御覧になるにつけても、
口惜しうおぼえ給ふにや。」と思して、
残念にお思いになのであろうか。」と(光源氏は)お考えになって、
「何ごとも、いとかうな思し入れそ。
「何事も、たいそうこのように思い詰めなさるな。
さりともけしうはおはせじ。
いくら何でも大変なことにはならないでしょう。
いかなりとも、かならず逢ふ瀬あなれば、
どのようになっても、必ず死後に逢う機会があるということだから、
対面はありなむ。
きっと対面することがあるでしょう。
大臣、宮なども、深き契りある仲は、めぐりても絶えざなれば、
(父の)大臣、(母の)宮(=皇族)なども、深い縁のある間柄は、生まれ変わっても絶えないということだから、
あひ見るほどありなむと思せ。」と、慰め給ふに、
逢う時がきっとあるだろうとお考えなさい。」と、(光源氏が)慰めなさると、
「いで、あらずや。
(六条の御息所の生霊が乗り移った葵の上が)「いえ、違いますよ。
身の上のいと苦しきを、しばし休め給へと聞こえむとてなむ。
(調伏されて)体がとても苦しいので、しばらく(祈禱を)休ませてくださいと申し上げようと思って(お呼びしました)。
かく参り来むともさらに思はぬを、
このように参上しようとはまったく思わないのに、
もの思ふ人の魂は、げにあくがるるものになむありける。」と、なつかしげに言ひて、
物思いする人の魂は、本当に体から離れ出るものだったのですね。」と、親しげに言って、
嘆きわび 空に乱るる わが魂を 結びとどめよ したがひのつま
悲しむあまり空にさまよっている私の魂を、下前の褄を結んでつなぎとめてください。
※下交ひのつま=着物の前を合わせえた時の内側になる部分の先端。 この部分を結んでおくと魂が出て行かず、とどめられると言われていた。
とのたまふ声、けはひ、その人にもあらず、変はり給へり。
とおっしゃる声や、雰囲気は、葵の上その人ではなく、お変わりになっている。
(4)
いとあやしと思しめぐらすに、ただかの御息所なりけり。
たいそう不思議なことだと考えめぐらしなさると、まさにあの御息所なのであった。
あさましう、人のとかく言ふを、よからぬ者どもの言ひ出づることと、
驚きあきれて、人があれこれと(噂して)言うのを、ろくでもない者たちが言い出したことと、
聞きにくく思して、のたまひ消つを、目に見す見す、
聞きづらくお思いになって、否定していらっしゃったが、目の前にまざまざと見て、
「世には、かかることこそはありけれ。」と、うとましうなりぬ。
「世の中には、このようなことがあったのだなあ。」と、(光源氏は)いやな気持になった。
あな、心憂と思されて、
ああ、いやなことだとお思いになって、
「かくのたまへど、誰とこそ知らね。
「そのようにおっしゃるけれど、誰だか分からない。
たしかにのたまへ。」とのたまへば、
はっきりと(名前を)おっしゃりなさい。」と(光源氏が)おっしゃると、
ただそれなる御ありさまに、あさましとは世の常なり。
まさに御息所その人のご様子で、驚きあきれると言っては言うのもおろかな普通の表現である。
人々近う参るも、かたはらいたう思さる。
女房たちがおそば近くに参って来るのも、きまりが悪いお気持ちになる。
続きはこちら源氏物語『葵(葵の上と物の怪)』現代語訳(5)(6)