「黒=原文」・「青=現代語訳」
解説・品詞分解はこちら源氏物語『葵(葵の上と物の怪)』解説・品詞分解(1)
【主な登場人物】
大将殿=光源氏。 大殿=葵の上。左大臣家の姫君。 御息所=六条の御息所。
まださるべきほどにもあらずと、皆人もたゆみ給へるに、
まだそうであるはずの時(=出産の時)ではないと、皆が油断なさっていると、
にはかに御気色ありて、悩み給へば、
急に産気づかれて、お苦しみになるので、
いとどしき御祈禱、数を尽くしてせさせ給へれど、
さらに強力な御祈禱を、数を尽くしてさせなさるけれど、
例の執念き御物の怪一つ、さらに動かず、やむごとなき験者ども、めづらかなりともてなやむ。
例の執念深い物の怪の一つが、まったく動かず、尊い修験者たちは、珍しいことだと処置に困る。
さすがに、いみじう調ぜられて、心苦しげに泣きわびて、
そうはいってもやはり、ひどく調伏されて、(物の怪は)つらそうに泣き苦しんで、
「すこしゆるべ給へや。大将に聞こゆべきことあり。」とのたまふ。
「(祈禱を)少しおゆるめください。大将に申し上げたい事がある。」と(物の怪は)おっしゃる。
「さればよ。あるやうあらむ。」とて、近き御几帳のもとに入れたてまつりたり。
「思った通りだ。何かわけがあるのだろう。」と(その場に居た者は)言って、近くの御几帳のところに(光源氏を)お入れ申し上げた。
むげに限りのさまに ものし給ふを、
どうしようもなく(生命の)末期の状態でいらっしゃるので、
聞こえ置かまほしきこともおはするにやとて、
(葵の上は最後に光源氏に)申し上げておきたいことでもおありになるのであろうかと思って、
大臣も宮もすこし退き給へり。
(気を遣って)大臣も宮も少しお退きになった。
加持の僧ども、声静めて法華経を誦みたる、いみじう尊し。
加持の僧たちが、声を静かにして法華経を読んでいる様子は、たいそう尊い。
(2)
御几帳の帷子引き上げて見たてまつり給へば、いとをかしげにて、御腹はいみじう高うて臥し給へるさま、
(光源氏が)御几帳の帷子を引き上げて(葵の上を)拝見なさると、たいそうお美しい様子で、お腹はとても高くて横になっていらっしゃる様子は、
よそ人だに見たてまつらむに心乱れぬべし。
まったくの他人でさえ拝見したら、きっと心が乱れるだろう。
まして惜しう悲しう思す、ことわりなり。
まして(光源氏が)惜しく悲しくお思いになるのは、当然である。
白き御衣に、色あひいと華やかにて、御髪のいと長うこちたきを、引き結ひてうち添へたるも、
白いお着物(=お産の時の衣服)に、色合いがとても鮮やかで、お髪がたいそう長くてふさふさとしているを、引き結んで添えてあるのも、
かうてこそ、らうたげになまめきたる方添ひてをかしかりけれと見ゆ。
こうであってこそ、かわいらしい様子で優美である点が加わってすばらしいなあと思われる。
御手をとらへて、「あな、いみじ。心憂き目を見せ給ふかな。」とて、
(光源氏は葵の上の)お手を取って、「ああ、ひどい。つらい目をお見せになるのだね。」と言って、
ものも聞こえ給はず泣き給へば、
(その後は)何も申し上げなさらずお泣きになると、
例はいとわづらはしう恥づかしげなる御まみを、いとたゆげに見上げて、
(葵の上が)いつもはたいそう面倒で気恥ずかしくなるようなおまなざしを、とてもだるそうに見上げて、
うちまもり聞こえ給ふに、
(光源氏を)じっとお見つめ申し上げるうちに、
涙のこぼるるさまを見給ふは、いかがあはれの浅からむ。
(葵の上の)涙がこぼれる様子を(光源氏が)御覧になるのは、どうして情愛の浅いことがあるだろうか。(いや、ない。)
続きはこちら源氏物語『葵(葵の上と物の怪)』現代語訳(3)(4)