「黒=原文」・「青=現代語訳」
解説・品詞分解はこちら源氏物語『葵』解説・品詞分解(1)
【主な登場人物】
大将殿=光源氏。 大殿=葵の上。左大臣家の姫君。 御息所=六条の御息所。
大殿には、御物の怪いたう起こりて、いみじうわづらひ給ふ。
葵の上におかれては、御物の怪がひどく起こって、たいそうお苦しみになる。
「この御生霊、故父大臣の御霊など言ふものあり。」と聞き給ふにつけて、思しつづくれば、
「ご自分の生霊や、亡き父大臣の死霊だなどと言う者がいる。」と、(六条の御息所が)お聞きになるにつけて、お考え続けになると、
身ひとつの憂き嘆きよりほかに、人を悪しかれなど思ふ心もなけれど、
我が身のつらさや嘆きより他に、人を不幸になってしまえなどと思う気持ちもないけれど、
もの思ひにあくがるなる魂は、さもやあらむ
物思いで悩んだあげくにさまよい出て行くとかいう魂は、そのようなこともあるのだろうか。
と思し知らるることもあり。
と、身にしみてお気づきになることもある。
年ごろ、よろづに思ひ残すことなく過ぐしつれど、
長年、さまざまに物思いの限りを尽くして過ごしてきたけれど、
かうしも砕けぬを、はかなきことの折に、
こんなにも思い乱れないのに、ちょっとした事の機会に、
※はかなきことの折=禊の際に六条の御息所と葵の上との間で起こった車争いのことを指している。
くわしくはこちら源氏物語『車争ひ』現代語訳(3)(4)
人の思ひ消ち、無きものにもてなすさまなりし御禊の後、
あの人(=葵の上)が無視し、いないものとして扱った態度であった御禊の後、
ひとふしに思し浮かれにし心、
その一件によって落ち着かなくなりなさった心が、
鎮まりがたう思さるるけにや、
鎮まりそうもなくお思いにならずにはいられないせいであろうか、
少しうちまどろみ給ふ夢には、
少しうとうととお眠りになる夢には、
かの姫君とおぼしき人の、いと清らにてある所に行きて、
あの姫君(=葵の上)と思われる人の、たいそうきれいにしている所に行って、
とかく引きまさぐり、現にも似ず、猛く厳きひたぶる心出で来て、
あれやこれやと引きかきまわし、目の覚めている状態とは違って、猛々しく激しい一途な心が出て来て、
うちかなぐるなど見え給ふこと、たび重なりにけり。
荒々しくつかんで引っ張る様子などを御覧になることが、たび重なってしまった。
(2)
「あな、心憂や。げに、身を棄ててや、往にけむ。」と、
(六条の御息所は、)「ああ、つらいことよ。なるほど、身体を捨てて、出て行ってしまったのだろうか。」と、
うつし心ならずおぼえ給ふ折々もあれば、
正気でなくお感じになられる時も度々あるので、
「さならぬことだに、人の御ためには、
「そうでもないことでさえ、(わざわざ)他人のためには、
よさまのことをしも言ひ出でぬ世なれば、
良いようなことは言い出さない世の中なので、
ましてこれは、いとよう言ひなしつべきたよりなり。」
ましてこれは、たいそう上手く噂を立てることができる良い機会だ。」
と思すに、いと名立たしう、
とお思いになると、たいそう噂になりそうで、
「ひたすら世に亡くなりて後に怨み残すは世の常のことなり。
「一途に、この世からいなくなって後に怨みを残すのは世間でよくある事だ。
それだに、人の上にては、罪深うゆゆしきを、うつつのわが身ながら、
それでさえ、人の身の上においては、罪深く不吉であるのに、生きている状態の我が身のままで、
さるうとましきことを言ひつけらるる宿世の憂きこと。
そのようないやなことを噂される因縁のつらいことよ。
すべて、つれなき人にいかで心もかけ聞こえじ。」
もういっさい、薄情な方(=光源氏)に、どうあろうとも心をおかけ申すまい。」
と思し返せど、思ふもものをなり。
とお考え直しになるけれど、思うまいと思うのも物思いするということなのである。
おどろおどろしきさまにはあらず、そこはかとなくて、月日を過ぐし給ふ。
(葵の上の方は、)ひどく苦しいという様子ではなく、特に悪いこともなく、月日を過ごしなさる。
大将殿も、常にとぶらひ聞こえ給へど、
大将殿(=光源氏)も、いつもお見舞い申し上げなさるけれど、
まさる方のいたうわづらひ給へば、御心のいとまなげなり。
さらに大事な方(=葵の上)がひどく患っていらっしゃるので、お気持ちの休む間もないようである。
続きはこちら源氏物語『葵(葵の上と物の怪)』現代語訳(1)(2)