古文

大鏡『菅原道真の左遷』現代語訳(3)

「黒=原文」・「青=現代語訳

解説・品詞分解はこちら大鏡『菅原道真の左遷』解説・品詞分解(3)

 

(つく)()におはします所の御門固めておはします。

 

(菅原道真は)、筑紫でお住まいになっている屋敷の御門を固く閉ざしておられます。

 

 

(だい)()の居所は遥かなれども、楼の上の瓦などの、心にもあらず御覧じやられけるに、

 

太宰府の役所は、(道真の屋敷から)遠くにあるけれども、(役所の)建物の上の瓦などが、思いがけず自然と御覧になってしまったり、

 

 

またいと近く(かん)(のん)()といふ寺のありければ、

 

またすぐ近くに観音寺という寺があったので、

 

 

鐘の声を聞こし召して作らしめ給へる詩ぞかし、

 

(その寺の)鐘の音をお聞きになって作りなさった詩(が次の詩)であるよ。

 

 

都府楼カニ

()()(ろう)(わず)かに(かわら)(いろ)()

 

(私にとって)太宰府の建物は、わずかにその瓦の色を見るだけであり、

 

 

観音寺

(かん)(のん)()()(かね)(こえ)()

 

観音寺は、ただその鐘の音を聞くばかりである。



 

これは、文集の、白居易の、「遺愛寺テテ、香炉峰ゲテ」といふ詩に、

 

書き下し文:()(あい)()(かね)(まくら)(そばだ)てて()き、(こう)()(ほう)(ゆき)(すだれ)(かか)げて()

 

この詩は、白氏文集の中にある、白居易の、「遺愛寺の鐘は枕を傾けて頭を高くして聴き、香炉峰の雪は簾をはね上げて眺める。」という詩に、

 

 

まさざまに作らしめ給へりとこそ、昔の博士ども申しけれ。

 

さらに勝るくらいにお作りになっていると、昔の学者たちは申し上げた。

 

 

又、かの筑紫にて、九月九日、菊の花を御覧じけるついでに、いまだ京におはしましし時、

 

また、あの筑紫で、9月9日(=重陽の節句)に菊の花をご覧になった際に、(菅原道真が)まだ京都にいらっしゃった時、

 

 

九月の()(よい)(だい)()にて菊の宴ありしに、

 

9月の今夜、宮中で観菊の宴があったのだが、

 

 

この大臣の作らせ給ひける詩を、帝かしこく感じ給ひて、

 

この大臣(=菅原道真)がお作りになった詩を、帝はたいそう感動なさって、

 

 

(おん)()(たまわ)給へを、

 

帝自身のご衣服をお与えになったのを、

 

 

筑紫にもて下らしめ給へりければ、

 

(道真は)筑紫に持ってお下りになっていたので、

 

 

御覧ずるに、いとどその折思し召し出でて、作らしめ給ひける、

 

(その衣服を)ご覧になると、いよいよその時の事が思い出されて、お作りになった詩(が次の詩である)。



 

去年今夜侍清涼

(きょ)(ねん)今夜(こよい)(せい)(りょう)()

 

去年の今夜は清涼殿(=宮中の天皇が普段の生活を行う場所)で天皇のおそばに仕え、

 

 

秋思詩篇独

(しゅう)()()(へん)(ひと)(はらわた)()

 

「秋思」という詩を作ったが、(それを思い出すと)はらわたがちぎれるほど痛切な思いである。

 

 

恩賜御衣今在

(おん)()(ぎょ)()(いま)(ここ)()

 

天皇から頂いたご衣服は今ここにある。

 

 

奉持シテ毎日拝余香

(ほう)()して(まい)(にち)()(こう)(はい)

 

毎日捧げ持って、その残り香を拝して(あの時の事などを思い出して)いる。

 

 

この詩、いとかしこく人々感じ申されき。

 

この詩を(聞いて)、たいそう人々は感動し申し上げました。

 

 

続きはこちら大鏡『菅原道真の左遷』現代語訳(4)(5)

 

大鏡『菅原道真の左遷』解説・品詞分解(3)

 

大鏡『菅原道真の左遷』まとめ

 

 

 

-古文