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平家物語のあらすじ 受験に備えて軽く知っておこう

平家物語のテーマ

平家物語のテーマは序文にあるように「(じょう)(しゃ)(ひっ)(すい)(ことわり)をあらわす」「おごれる人も(ひさ)しからず」「(たけ)(もの)(つい)には(ほろ)びぬ」です。

 

つまり、勢いが盛んな者も長続きはせず必ず衰退し亡びていくということで、平家の盛衰(せいすい)の様子が描かれています。また()()(よし)(なか)(みなもとの)(よし)(つね)の盛衰の様子も注目すべき点です。

 

 

 

大まかな流れ

※本当にざっくりと知りたいだけの人は太字だけ見て、そこを覚えることに意識してもらえればいいかと思います。※のついた用語についての詳細は記事の下部に記載しております。

 

①平家の台頭(※1 (ほう)(げん)(らん) / ※2 (へい)()(らん)平清盛(たいらのきよもり)(だい)(じょう)(だい)(じん)の地位にまで登り詰める / 平家一門で高位高官を占める / 平清盛の義理の妹の(しげ)()()(しら)(かわ)(じょう)(こう)の間の子が天皇となる(高倉(たかくら)天皇) / 高倉天皇と平清盛の娘((とく)())の結婚、二人の間に皇子(後の安徳(あんとく)天皇)が生まれる / 福原(神戸)の港を整備し、(にっ)(そう)貿易(ぼうえき)を行う)

 

 

平家への不満(政治にまで影響を及ぼすようになった平家に対する貴族や武士たちの不満 / 平氏でなければ人ではないかのようの振る舞いへの不満 / 後白河法皇らによる平家討滅が計画されるも密告されて失敗 / 清盛と後白河法皇の間を取り持っていた重盛(しげもり)(清盛の長男)の死後、清盛と法皇の間でいざこざが起き、法皇が一時的に平家に幽閉(ゆうへい)される)

 

 

②平家討滅に向けての源氏の(ほう)()

(みなもとの)(より)(まさ)()きつけられた(もち)(ひと)親王(しんのう)が平家討滅を内容とする(りょう)()を出す / 各地の源氏が本格的に動き出す前に平家側にさとられ、平家に不満を持つ寺社に(かくま)われながらも以仁親王が討たれる / 平家側は以仁親王を匿った寺社滅ぼしつつもその他の寺社 / 源氏に警戒して福原(神戸)に都を移す / 源頼朝を討伐に向かった平家軍が怯えて逃げ帰り、清盛初めての敗北)

 

 

③京に(かん)()・高倉上皇の死・平清盛の死

(京に都が戻り、平家も戻ってきたことで反平家の寺社との間で争いが起き、寺社は焼かれ、その他の民家も巻き添えを食らい大勢の人が死んだ(南都炎上) / 父親である後白河法皇や息子である安徳天皇の身を案じて高倉上皇死去 / 平清盛死去(1181年、享年64歳)

 

 

④木曽義仲の躍進(やくしん)

(平家の命を受けた(じょう)()が木曽義仲追討に向かうが返り討ちに遭う / 平家軍10万余vs木曽義仲軍5万余(()()伽羅(から)(とうげ)の戦い) / 木曽義仲が勝利し、その後京に入る / 後白河法皇から朝日の将軍の称号を(たまわ)る)

 

 

⑤平家の都落ち・二人の天皇の存在(京に攻め入ってくる木曽義仲から逃げるため、平家は三種の神器と安徳天皇を連れて、京→福原(神戸)→()(ざい)()(九州)へと渡った / 天皇と敵対して朝敵となれば日本中が敵となるため平家は安徳天皇を連れ出したが、平家を討つため京にて安徳天皇の異母弟が()()()(てん)(のう)となる / 後鳥羽天皇の存在により平家に味方をしていた者たちが敵対し、平家は大宰府から追い出され、陸地は源氏の追跡があるため海上を漂流することになる / その後平家は讃岐(さぬき)(香川県)を拠点とした)

 

 

⑥勢力三分立(平家は山陽道と南海道の国々を討ち取って西で勢力を誇り、(よし)(きよ)を総大将とする木曽軍7000の兵に対して勝利 / 都は木曽義仲(木曽源氏) /  東は(より)(とも)(鎌倉源氏)の勢力に分かれた)

 

 

⑦木曽義仲の最期(木曽軍は京に入った際に略奪行為を行ったことで京の者たちから(うと)まれていた / 義仲は後白河法皇に対して自身を(せい)()(たい)(しょう)(ぐん)に任命することを要求し、兵権と政権を(しょう)(あく)しようとした / 法皇は義仲を追討するため僧兵を集めたが失敗し、法皇は幽閉(ゆうへい)された / 法皇から木曽義仲追討の命が源頼朝に伝わり、義経らを義仲追討に向かわせる(義経らの率いる鎌倉源氏軍6万vs木曽軍7千) / 木曽軍は負け、義仲は(あわ)()の松原へ逃げる最中に討ち取られる)

 

 

⑧義経の快進撃(後白河法皇から平家追討の院宣(いんぜん)をいただく / 一の谷の戦いで義経は平家軍の背後の谷を駆け下り奇襲し((ひよどり)(ごえ)(さか)()とし)、戦いを有利にして勝利した / ()(しま)(香川県)にいる平家を攻めるにあたって義経は嵐の中をたった五艘(ごそう)の舟に70騎で乗り強行した(屋島の戦い) / 嵐の中の強行は平家にとって想定外だったため夜中の奇襲に成功し、その後平家軍は敗走し、(なが)()(山口県下関)へと向かった / 義経は熊野水軍の力を借りて平家を追った)

 

 

義経の失敗(屋島の戦い前の嵐の中の強行は義経の独断であったため、頼朝は義経に疑いの目を向け始める。また、熊野水軍の協力を得るという源氏軍にとって重要な判断を、源氏の棟梁(とうりょう)である頼朝に無断で行ったため頼朝の怒りを買うことになった。その他にも棟梁の頼朝を無視した独断専行など武家社会の秩序を乱す行為もあり、その後義経は(ちょう)(てき)とされ追討されることとなる。)

 

 

⑨壇ノ浦の戦い・平家の滅亡(安徳天皇の入水 / 能登殿の最期 / 平家の総帥(そうすい)である(むね)(もり)は敵に捕まりその後打ち首 / 正統な天皇であることの(あかし)である三種の神器のうち宝剣は見つからなかった)

 

 

1 保元(ほうげん)(らん)1156年。皇位継承問題と摂関家の権力争いが招いた戦い。信西(しんぜい)は後白河天皇を立て、頼長(よりなが)()(とく)(じょう)(こう)を立てて争った。平清盛は後白河天皇側につき、崇徳上皇側についた源氏は粛清された。今まで強かった源氏の力が弱まり、平氏の力が強まることになった。

 

2 平治(へいじ)(らん)1159年。反乱を起こした藤原信頼(のぶより)と源義朝(よしとも)を平家軍が鎮圧し、平清盛が出世するきっかけとなった。源氏はほぼ壊滅するも、義朝の子である頼朝はまだ14歳であったため、生かされ伊豆に流された。義経を含むその他の子も殺されずにすんだ。

 

 

 

以上が平家物語の大まかな内容をまとめたものとなります。

この記事を書くにあたっては、「マンガ日本の古典 平家物語 (著者:横山光輝)」を参考にさせていただきました。

非常に読みやすく、ここでは省略した点もあるので、古典・日本史の勉強として読んでみてはいかがでしょうか。多くの図書館に置かれていると思います。

 

 

 

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