「黒=原文」・「青=現代語訳」
解説・品詞分解はこちら住吉物語『継母の策謀』解説・品詞分解
中納言、霜月のことなれば、その出で立ちをのみ営まれければ、
中納言は、十一月のことなので、その準備をばかり励んでいなさったところ、
※その準備=十一月の五節の舞に姫君(=本作の主人公)がでることになったのでその準備。
継母、ともに営むけしきにて、下には、人笑われになすよしもがなと思ひ、
継母も、一緒に(準備に)励む様子で、心の中では、(姫君を)笑いものにする方法があればなあと思い、
人静まれる時に中納言に聞こゆるやう、「聞きながら申さざらんはうしろめたきことなれば、申すなり。
人々が寝静まっている時に(継母が)中納言に申し上げることには、「耳にしているのに申し上げないのは気がかりなので、申し上げるのです。
この対の御方をばわが娘たちにもすぐれておはせしとこそ思ひ侍るに、
この対の御方(=姫君)を私の娘たちよりも優れていらっしゃったと思っていますのに、
この八月よりのことをつゆ知らざりけるよ。」とて、そら泣きをしければ、
この八月からのことをまったく知らなかったことよ。」と言って、うそ泣きをしたので、
中納言、あきれて、「こは何ぞ。」と問ひ給へば、
中納言が、途方に暮れて、「これはどうしたことだ。」とお尋ねになると、
「六角堂の別当法師とかやいふ、あさましき法師の、姫君のもとへ通ひけるが、
(継母は、)「六角堂の別当法師とかいう、あきれた法師で、姫君のもとへ通っていた者が、
この暁も寝過ぐしたりけるにや、対の格子を放ちて、人の見るともなく出でにけることの心憂さよ。」とて、
今朝の明け方にも寝過ごしてしまったのであろうか、(姫君が住んでいる)対の格子を開け放って、人が見ているとも知らずに出て行ったことの情けなさよ。」と言って、
「これ、偽りならば、仏神など、げにげに。」と言ひければ、
「これが、偽りであるならば、仏神など、本当に本当に。」と言ったところ、
中納言、「よも、さることはあらじ。女房などの中にぞさることはあるらん。」とのたまひければ、
中納言は、「まさか、そんなことはあるまい。女房などの中にそういうことがあるのだろう。」とおっしゃったので、
「中の格子を放ちて出でける。うはの空なることをばいかで。よくよく聞きてこそ。」など言ひ給へども、
(継母は、)「中の格子を開け放って出て行った(と確かに聞きました)。いい加減なことをどうして(言いましょうか)。よくよく聞いて(あなたにお話しするのです)。」などと言いなさるけれども、
なほ、げにと思ひ給はざりけり。
(中納言は、)やはり、(継母の言うことに対して)なるほどとはお思いにならなかった。
※中納言は継母の言うことを信じなかった。
継母、三の君の乳母に、きはめて心むくつけかりける女に、聞こえあはするやう、
継母は、三の君の乳母で、非常に性格の悪かった女に、ご相談申し上げることには、
「この対の君をわが娘たちに思ひまし給へるがねたさに、とかく言へどもかなはぬ、いかがすべき。」と言へば、
「この対の君(=姫君)を私の娘たちよりも優れていると(中納言が)思っていらっしゃることが妬ましくて、あれこれ言うけれども思い通りにならない、どうしたらよいか。」と言うと、
むくつけ女、「我もやすからずは侍れども、思ひながらうち過ぐし候ひつるに、うれしく。」とて、
性悪女は、「私も心中穏やかではございませんけれども、(継母と同じように)思いながら過ごしておりましたので、うれしく(思います)。」と言って、
ささめきあはせて、その後、三日ありて、あやしき法師を語らひ、
ひそひそと相談して、その後、三日たって、みすぼらしい法師を仲間に引き入れ、
中納言に聞こゆるやうは、「偽りとぞ思したりしに、ただ今、かの法師、出づるなり。」
(継母が)中納言に申し上げることには、「(先日の私の話をあなたは)嘘だとお思いになったけれど、ちょうど今、例の法師が、出てきたところです。
と聞こゆれば、見給ひける時に出てにける。
と申し上げるので、(中納言が)ご覧になった時に(法師が姫君の部屋から)出てきた。
「あな、ゆゆしや。幼くては母に後れて、また、乳母さへに離れて、
(中納言は)「ああ、ひどいことだ。幼くして母に先立たれて、また乳母とまでも離れて、
あはれ、果報わろきものとは思へども、あな、あさまし。」とて、入り給ひぬ。
ああ、前世での行いによる報いが良くない者とは思っていたが、ああ、驚きあきれることだ。」と言って、(部屋へ)お入りになった。
※果報=前世での行いによる報い。
さて、宮仕へのことは思しとどまりぬ。
そうして、(姫君の)入内の件は考え直して取りやめなさった。
中納言、対におはしければ、姫君、何心なく居給ふに、向かひて、
中納言が、(姫君が住んでいる)対にお行きになったところ、姫君は、無邪気に座っていらっしゃるので、(姫君に)向かって、
「いみじきことのみ出でくることの、あさましさよ。」とのたまへば、
「ひどいことばかり出てくることの、情けないことよ。」と(中納言が)おっしゃるので、
姫君も、何ごとにやと思ひ給へり。
姫君も、何の事であろうかとお思いになった。
中納言、立ちざまに侍従を呼びてのたまふ、
中納言が、帰り際に侍従を呼んでおっしゃることに、
「あさましきことを聞けば、内参りはとどまりぬ。」とばかりありて帰り給へば、
「あきれたことを聞いたので、入内は中止になった。」とだけあってお帰りになると、
心得ぬことなれば、言ひやる方なくてやみにけり。
(姫君は)身に覚えのないことであるので、言うすべもなくて(その場は)終わってしまった。