青=現代語訳・下小文字=返り点・上小文字=送り仮名・解説=赤字
永州之野ニ産二ス異蛇一ヲ。黒質ニシテ而白章ナリ。
永州の野に異蛇を産す。黒質にして白章なり。
※而=置き字(順接・逆接)
永州の原野では、珍しい蛇が産出する。(その蛇は)黒い体で白い模様がある。
触二ルレバ草木一ニ尽ク死レ、以ツテ齧レメバ人ヲ無二シ禦レグ之ヲ者一。
草木に触るれば尽く死し、以つて人を噛めば、之を防ぐ者無し。
(その蛇は猛毒を持っていて、)草木に触れると全て枯れてしまい、人をかむと、その毒を防ぐことのできる者はいなかった。
然レドモ得テ而腊レニシ之ヲ、以ツテ為レセバ餌ト、
然れども得て之を腊にし、以つて餌と為せば、
※而=置き字(順接・逆接)
しかし、この蛇を捕らえて干し肉にし、薬とすれば、
可下シ以ツテ已二シ大風・攣踠・瘻癘一ヲ、去二リ死肌一ヲ、殺中ス三虫上ヲ。
以つて大風・攣踠・瘻癘を已し、死肌を去り、三虫を殺すべし。
皮膚や神経が冒される病気、手足の曲がる病気、首が腫れ上がる病気を癒し、血の通わなくなった皮膚を取り除き、三虫(=人の体内で害をなす三匹の虫)を殺すことができる。
其ノ始メ太医以二ツテ王命一ヲ聚レメ之ヲ、歳ニ賦二ス其ノ二一ヲ。
其の始め太医王命を以つて之を聚め、歳に其の二を賦す。
最初、宮廷付きの医師が王の命令でこの蛇を集め、一年に二匹を租税として課した。
募下リテ有二ル能ク捕一レラフルコト之ヲ者上ヲ、当二ツ其ノ租入一ニ。永之人、争ヒテ奔走ス焉。
能く之を捕らふること有る者を募りて、其の租入に当つ。永の人、争ひて奔走す。
※焉=置き字(断定・強調)
この蛇を捕まえることができる者を募って、その者が本来納めるはずの租税の代わりとした。(すると、)永州の人たちは、(蛇を捕まえるために、我先にと))争って走り回った。
有二リ蔣氏トイフ者一。専二ラニスルコト其ノ利一ヲ三世ナリ矣。
蒋氏といふ者有り。其の利を専らにすること三世なり。
※矣=置き字(断定・強調)
(永州に、)蒋氏という者がいた。その利益(=蛇を捕らえて租税を免除してもらうこと)を独占すること三代にわたっていた。
問レヘバ之ヲ則チ曰ハク、「吾ガ祖死二シ於是一ニ、吾ガ父死二ス於是一ニ。
之に問へば則ち曰はく、「吾が祖是に死し、吾が父是に死す。
※於=置き字
彼に尋ねると、そこで彼が言うことには、「私の祖父はこの蛇を捕らえる仕事で死に、父もこの仕事で死にました。
今吾嗣ギテ為レスコト之ヲ十二年、幾ド死セントセシ者数ナリト矣。」
今吾嗣ぎて之を為すこと十二年、幾ど死せんとせしこと数なり。」と。
※矣=置き字(断定・強調)
今、私がその跡を継いでこの仕事をすること十二年になりますが、もう少しで死にそうになったことがしばしばあります。」
言レフニ之ヲ、貌若二シ甚ダ慼フル者一ノ。
之を言ふに、貌甚だ慼ふる者のごとし。
このことを話す蒋氏の顔はとても悲しそうだった。
余悲レシミ之ヲ、且ツ曰ハク、「若毒レトスル之ヲ乎。
余之を悲しみ、且つ曰はく、「若之を毒とするか。
私はこのことを悲しみ、さらに言うことには、「あなたはこの仕事を苦痛と感じているのか。
余将下ニ/ 告二ゲ於莅レム事ニ者一ニ、更二メ若ノ役一ヲ、復中セント若ノ賦上ヲ。則チ何如ト。」
余将に事に莅む者に告げ、若の役を更め、若の賦を復せんとす。則ち何如。」と。
※「将二ニ/ ~一(セ)ント」=再読文字、「将(まさ)に ~(せ)んとす」、「~しようとする・~するつもりだ」
※何如=疑問・反語、「何如」、「~はどうであるか。」
(それならば、)私は政治を行っている者に言って、あなたの(蛇を捕まえる)仕事を変えて、あなたの租税を元通りにしてやろうと思う。それならば、どうだろうか。」と。
蔣氏大イニ戚ミ、汪然トシテ出レダシテ涕ヲ曰ハク、「君将二ニ/ル哀レミテ而生一レカサント之ヲ乎。
蒋氏大いに戚み、汪然として涕を出だして曰はく、「君将に哀れみて之を生かさんとするか。
※「将二ニ/ ~一(セ)ント」=再読文字、「将(まさ)に ~(せ)んとす」、「~しようとする・~するつもりだ」
蒋氏は大いに悲しみ、盛んに涙を流して言うことには、「あなたは哀れんで私を生かそうとするのですか。
則チ吾ガ斯ノ役之不幸ハ、未レダ/ル若下カ復二スルノ吾ガ賦一ヲ不幸之甚上ダシキニ也。
則ち吾が斯の役の不幸は、未だ吾が賦を復する不幸の甚だしきに若かざるなり。
※「未ニダ ~ 一(セ)」=再読文字、「未だ ~(せ)ず」、「まだ ~(し)ない」
それならば、私のこの仕事の不幸は、私の租税を元通りにする不幸のひどさには及びません。
※元通り重税を納めることになるくらいなら、今の危険な蛇捕りの仕事をする方がましだ。
嚮ニ吾不レンバ為二サ斯ノ役一ヲ、則チ久シク已ニ病メルナラン矣。
嚮に吾斯の役を為さずんば、則ち久しく已に病めるならん。
※矣=置き字(断定・強調)
以前から私がこの(蛇を捕まえる)仕事をしていなかったら、とうの昔に病んでいたでしょう。
自三リ吾ガ氏三世居二リシ是ノ郷一ニ、積二ミテ於今一ニ六十歳ナリ矣。
吾が氏三世是の郷に居りしより、今に積みて六十歳なり。
私の家が三代この村に住みついてから、現在まで六十年になります。
而シテ郷隣之生ハ日ニ蹙リ、殫二クシ其ノ地之出一ヲ、
而して郷隣の生は日に蹙り、其の地の出を殫くし、
そして、村の隣人たちの生活は日に日に苦しくなり、その土地の産出物を(租税として)出し尽くし、
竭二クシ其ノ廬之入一ヲ、号呼シテ而転徙シ、飢渇シテ而頓踣ス。
其の廬の入を竭くし、号呼して転徙し、飢渇して頓踣す。
※而=置き字(順接・逆接)
その家の収入を使い尽くし、大声で泣き叫んで他の土地へ移って行き、飢えや渇きでつまずき倒れてしまいました。
触二レ風雨一ニ、犯二シ寒暑一ヲ、呼-二噓シ毒癘一ヲ、往往ニシテ而死スル者相藉ケリ也。
風雨に触れ、寒暑を犯し、毒癘を呼噓し、往往にして死する者相藉けりなり。
雨風に打たれ、寒さ暑さにさらされ、毒気を呼吸し、たびたび死んだ者が重なり合っている。
曩ニ与二吾ガ祖一居リシ者、今其ノ室、十ニ無レシ一モ焉。
曩に吾が祖と居りし者、今其の室、十に一も無し。
※焉=置き字(断定・強調)
以前に私の祖父と(この村に)住んでいた者で、今その者の家は、十軒につき一軒もありません。
与二吾ガ父一居リシ者、今其ノ室、十ニ無二シ二三一モ焉。
吾が父と居りし者、今其の室、十に二三も無し。
私の父と(この村に)住んでいた者で、今その者の家は、十軒につき二、三軒もありません。
与レ吾居ルコト十二年ナル者、今其ノ室、十ニ無二シ四五一モ焉。
吾と居ること十二年なる者、今其の室、十に四五も無し。
私と(この村に)住んで十二年になる者で、今その者の家は、十軒につき四、五軒もありません。
非レズンバ死セルニ則チ徙レル爾。而ルニ吾以レツテ捕レラフルヲ蛇ヲ独リ存ス。
死せるに非ずんば則ち徒れるのみ。而るに吾蛇を捕らふるを以つて独り存す。
死んだのでなければ、他の土地へ移っただけなのです。しかし私は蛇を捕らえる仕事をして、一人だけ生き残っているのです。
悍吏之来二タルヤ吾ガ郷一ニ、叫-二囂シ乎東西一ニ、隳-二突ス乎南北一ニ。
悍吏の吾が郷に来たるや、東西に叫囂し、南北に隳突す。
※乎=置き字
荒々しい役人が私の村に来ると、あちこちで怒鳴り散らし、(物に)当り散らします。
譁然トシテ而駭ク者、雖二モ鶏狗一ト不レ得レ寧キヲ焉。
譁然として駭く者、鶏狗と雖も寧きを得ず。
がやがやと騒がしく驚き恐れることは、鶏や犬までも落ち着いてはいられないほどです。
吾恂恂トシテ而起キ、視二テ其ノ缶一ヲ、而吾ガ蛇尚ホ存スレバ、則チ弛然トシテ而臥ス。
吾恂恂として起き、其の缶を視て、吾が蛇尚ほ存すれば、則ち弛然として臥す。
私は心配してびくびくと起き上がり、素焼きのかめの中を見て、私が捕まえた蛇がまだ残っていれば、安心して横になります。
謹ミテ食レヒ之ヲ、時ニシテ而献ズ焉。
謹みて之を食ひ、時にして献ず。
慎重にこの蛇を飼い、その時になったら(租税の代わりとして)献上します。
退キテ而甘-二食シ其ノ土之有一ヲ、以ツテ尽二クス吾ガ歯一ヲ。
退きて其の土の有を甘食し、以つて吾が歯を尽くす。
家に帰ったらその土地の産物をおいしく食べ、そうして私の天寿をまっとうするのです。
蓋シ一歳之犯レス死ヲ者二タビナリ焉。其ノ余ハ則チ熙熙トシテ而楽シム。
蓋し一歳の死を犯す者二たびなり。其の余は則ち熙熙として楽しむ。
思うに、一年の中で死の危険を冒すことは二回だけです。そのほかの時は、心が和らぎ楽しく暮らしています。
豈ニ若二クナラン吾ガ郷隣之旦旦ニ有一レルガ是哉。
豈に吾が郷隣の旦旦に是有るがごとくならんや。
※「豈ニ ~ (セ)ンや(哉・乎・耶)」=反語、「豈に ~ (せ)んや」、「どうして ~ だろうか。(いや、~ない。)」
どうして私の村の隣人たちが毎日死の危険にさらされているのと同じでありましょうか。(いや、同じではありません。)
今雖レモ死二スト乎此一ニ、比二スレバ吾ガ郷隣之死一ニ、則チ已ニ後レタリ矣。
今此に死すと雖も、吾が郷隣の死に比すれば、則ち已に後れたり。
※乎=置き字
今これ(=蛇を捕まえる仕事)で死んだとしても、私の村の隣人たちの死に比べれば、すでに長生きしていることになっているのです。
又安クンゾ敢ヘテ毒トセン耶ト。」
又安くんぞ敢へて毒とせんや。」と。
※「安クンゾ ~ (セ)ン(ヤ)」=反語、「安くんぞ ~(せ)ん(や)」、「どうして ~(する)だろうか。(いや、~ない)」
またどうして(蛇を捕まえる仕事を)苦痛と思うでしょうか。(いや、思いません。)」
余聞キテ而愈悲シム。孔子曰ハク、「苛政ハ猛二於虎一ヨリモ也ト。」
余聞きて愈悲しむ。孔子曰はく、「苛政は虎よりも猛なり。」と。
※於=置き字(比較)
私は(この蒋氏の話)聞いてますます悲しんだ。孔子は、「厳しくむごい政治は、人を食い殺す虎よりも凶暴なものだ。」と言った。
吾嘗テ疑二ヘリ乎是一ヲ。今以二ツテ蔣氏一ヲ観レレバ之ヲ、猶ホ信ナリ。
吾嘗て是を疑へり。今蒋氏を以つて之を観れば、猶ほ信なり。
※乎=置き字
私はかつてこの孔子の言葉を疑っていた。(しかし)今、蒋氏の話をもとにこの言葉を見ると、やはり真実であったのだ。
嗚呼、孰カ知下ラン賦斂之毒、有中ルヲ甚二ダシキ是ノ蛇一ヨリモ者上乎。
嗚呼、孰か賦斂の毒、是の蛇よりも甚だしき者有るを知らんや。
※「孰(たれ)カ ~ (セ)ン(ヤ)」=反語、「だれが ~だろうか。(いや、だれも ~ない。)」
ああ、誰が、税を課して取り立てることの害毒が、この毒蛇よりもひどいものがあることを知っているであろうか。(いや、誰も知らない。)
故ニ為二リ之ガ説一ヲ、以ツテ俟下ツ夫ノ観二ル人風一ヲ者ノ得上ンコトヲ焉。
故に之が説を為り、以つて夫の人風を観る者の得んことを俟つ。
※焉=置き字(断定・強調)
だからこの「捕蛇者の説」を書き、そうしてあの為政者がこれを手に入れるのを待つのである。