青=現代語訳・下小文字=返り点・上小文字=送り仮名・解説=赤字
陳康粛公尭咨ハ善レクシ射ヲ、当世無双ナリ。
陳康粛公尭咨は射を善くし、当世無双なり。
陳康粛公尭咨は、弓矢を得意とし、当時彼に並ぶ者はいなかった。
公モ亦以レツテ此ヲ自ラ矜ル。嘗テ射二ル於家圃一ニ。
公も亦此を以って自ら矜る。嘗て家圃に射る。
※於=置き字(場所)
康粛公もまた、そのことを自分自身で誇りに思っていた。かつて、家の畑で弓矢の練習をしていた。
有二リ売油翁一、釈レキテ担ヲ而立チ、睨レルコト之ヲ久シウシテ而不レ去ラ。
売油翁有り、担を釈きて立ち、之を睨ること久しうして去らず。
※而=置き字(順接・逆接)
(そこに)油売りの老人が現れ、荷物をおろして立ち、これ(=康粛公が弓矢を射る様子)を長らく見て立ち去ろうとしなかった。
見三テ其ノ発レシ矢ヲ十ニ中二ツルヲ八・九一ヲ、但ダ微シク頷レクノミ之ニ。
其の矢を発し、十に八・九を中つるを見て、但だ微しく之に頷くのみ。
※「但ダ ~ノミ」=限定、「ただ ~だけ」
康粛公が矢を射て、十本のうち八、九本を的に当てるのを見て、ただ少しうなずくだけであった。
康粛問ヒテ曰ハク、「汝モ亦知レル射ヲ乎。吾ガ射ハ不二亦精一ナラ乎ト。」
康粛問ひて曰はく、「汝も亦射を知るか。吾が射は亦精ならずや。」と。
※「不二亦 ~一(ナラ)乎」=(反語を用いた)詠嘆形、「亦~(なら)ずや」、「なんと~ではあるまいか・なんと~ではないか(、そうだろう)」
康粛公は(この老人に)尋ねて、「お前もまた、弓矢の心得があるのか。私の弓矢を射る技術はなんと正確ではないだろうか。」と言った。
翁曰ハク、「無レシ他。但ダ手ノ熟セル爾ト。」
翁曰はく、「他無し。但だ手の熟せるのみ。」と。
※「但ダ ~爾」=限定、「ただ ~だけ」
老人は、「何ということはありません。ただ手慣れているだけです。」と言った。
康粛忿然トシテ曰ハク、「爾安クンゾ敢ヘテ軽二ンズルヤト吾ガ射一ヲ。」
康粛忿然として曰はく、「爾安くんぞ敢へて吾が射を軽んずるや。」と。
※「安クンゾ ~ (スル)」=疑問、「安くんぞ ~(する)」、「どうして ~か。」
康粛公は怒って、「おまえはどうして私の弓矢を射る技術を軽んじるのか。」と言った。
翁曰ハク、「以二ツテ我ガ酌一レムヲ油ヲ知レルト之ヲ。」
翁曰はく、「我が油を酌むを以つて之を知る。」と。
老人は、「私は油を酌むことによってこのことを理解している。」と言った。
乃チ取二リテ一葫盧一ヲ、置二キ於地一ニ、以レツテ銭ヲ覆二ヒ其ノ口一ヲ、徐ロニ以レツテ杓ヲ酌レミ油ヲ瀝レラス之ヲ。
乃ち一葫盧を取りて、地に置き、銭を以つて其の口を覆ひ、徐ろに杓を以つて油を酌み之を瀝らす。
※於=置き字(場所)
そこで1つのひょうたんを取り出して、地面に置き、銭(=真ん中に穴の開いた銅銭)でそのひょうたんの口を覆い、ゆっくりと柄杓で油を酌んでひょうたんの中に注いだ。
自二リ銭孔一入リ、而モ銭不レ湿ハ。
銭孔より入り、而も銭は湿はず。
(油は)銭の穴を通って(ひょうたんの中に)入り、しかも銭は油で濡れることはなかった。
因リテ曰ハク、「我モ亦無レシ他。惟ダ手ノ熟セル爾ト。」
因りて曰はく、「我も亦、他無し。惟だ手の熟せるのみ。」と。
※「但ダ ~爾」=限定、「ただ ~だけ」
そこで(老人が)言うことには、「私もまた何ということはありません。ただ手慣れているだけです。」と。
康粛笑ヒテ而遣レル之ヲ。此レ与二荘生ノ所謂解レキ牛ヲ斲レル輪ヲ者一何ゾ異ナランヤ。
康粛笑ひて之を遣る。此れ荘生の所謂牛を解き輪を斲る者と、何ぞ異ならんや。
※「何ゾ ~ (セ)ン(ヤ)」=反語、「何ぞ ~(せ)ん(や)」、「どうして ~(する)だろうか。(いや、~ない)」
康粛公は、笑ってこの老人を帰した。このことは荘子が言うところの「牛を解体する料理人」、「車輪を作る車大工」と、どうして異なるだろうか。(いや、異ならない。)