青=現代語訳・下小文字=返り点・上小文字=送り仮名・解説=赤字
博陵ノ崔護、姿質甚ダ美ニシテ而孤潔寡レナシ合フモノ。挙二ゲラルルモ進士一ニ下第ス。
博陵の崔護、姿質甚だ美にして、孤潔合ふもの寡なし。進士に挙げらるるも、下第す。
※而=置き字(順接・逆接)
博陵の崔護は、容姿も才能も大変優れていたが、高潔で世間の人と気が合わなかった。官吏登用試験の受験資格を得たが、試験に落第してしまった。
清明ノ日、独リ遊二ビ都城ノ南一ニ、得二タリ居人ノ荘一ヲ。
清明の日、独り都城の南に遊び、居人の荘を得たり。
清明節の日に、一人で長安の南に出かけていき、人の住んでいる屋敷を見つけた。
一畝之宮ニシテ、花木叢萃シ、寂トシテ若レシ無レキガ人。扣レクコト門ヲ久レシクス之ヲ。
一畝の宮にして、花木叢萃し、寂として人無きがごとし。門を扣くこと之を久しくす。
小さな屋敷で、花や木が生い茂っており、ひっそりとして人がいないかのようであった。(崔護は)門をしばらくの間叩いた。
有二リ女子一、自二リ門隙一窺レヒ之ヲ、問ヒテ曰ハク。「誰ゾ耶ト。」
女子有り、門隙より之を窺ひ、問ひて曰はく、「誰ぞや。」と。
(屋敷の中には)娘がいて、門の隙間から崔護をのぞき見て、尋ねて言うことには、「どなたですか。」と。
以二ツテ姓字一ヲ対ヘテ曰ハク、「尋レネテ春ヲ独リ行キ、酒渇シテ求レムト飲ヲ。」
姓字を以つて対へて曰はく、「春を訪ねて独り行き、酒渇して飲を求む。」と。
(崔護が)姓と字を返答して言うことには、「春を探し求めて一人で出歩き、酒を飲んでのどが渇いたので飲み物が欲しいのです。」と。
女入リテ、以二ツテ杯水一ヲ至リ、開レキ門ヲ設レケテ牀ヲ命ジテ坐セシメ、独リ倚二リテ小桃斜柯一ニ佇立シ、而意属殊ニ厚シ。
女入りて、杯水を以て至り、門を開き牀を設けて命じて坐せしめ、独り小桃斜柯に倚りて佇立し、意属殊に厚し。
※「命レジテAニB(セ)シム」=使役、「Aに命じてB(せ)しむ」、「Aに命じてBさせる」
娘は中に入り、一杯の水を持ってきて、門を開き腰かけ椅子を用意して(崔護を)座らせ、(娘は)一人で小さな桃の木の斜めに伸びた枝に寄りかかってたたずみ、(崔護に)思いを寄せる様子がとりわけ強いようであった。
妖姿媚態、綽トシテ有二リ余妍一。崔以レツテ言ヲ挑レムモ之ニ、不レ対ヘ。
妖姿媚態、綽として余姸有り。崔言を以つて之に挑むも、対へず。
(その娘の)なまめかしい姿は、しとやかで優美であり、あふれるばかりの美しさがあった。崔護は娘に言葉をかけて、娘の気を引こうとした、(娘は)返事をしなかった。
目注スル者久レシクス之ヲ。崔辞去スルヤ、送リテ至レリ門ニ、如レクシテ不レルガ勝レヘ情ニ而入ル。
目注する者之を久しくす。崔辞去するや、送りて門に至り、情に勝へざるがごとくして入る。
(娘は崔護を)しばらくの間じっと見つめていた。崔護が別れを告げると、(娘は崔護を)送って門のところまで来て、感情を抑えきれないようで(屋敷の中に)入って行った。
崔モ亦睠盻シテ而帰ル。嗣後絶エテ不二復タ至一ラ。
崔も亦睠盼して帰る。嗣後絶えて復た至らず。
※「不二復タ ~一(セ)」=「復た~(せ)ず」、「決して~しない/二度とは~しない」
崔護もまた振り返って見つめて帰った。その後二度と(その屋敷を)訪れることはなかった。
及二ビ来歲清明ノ日一ニ、忽チ思レヒ之ヲ、情不レ可レカラ抑フ。
来歳清明の日に及び、忽ち之を思ひ、情抑ふべからず。
※「不レ可二カラ ~一(ス)」=不可能、「 ~(す)べからず」、「(状況から見て) ~できない。/ ~してはならない。(禁止)」
翌年、晴明節の日になると、(崔護は)急に娘のことを思い出し、感情を抑えることができなかった。
逕チニ往キテ尋レヌレバ之ヲ、門牆如レクナルモ故ノ、而已ニ鎖二-扃セリ之一ヲ。
逕ちに往きて之を尋ぬれば、門牆故のごとくなるも、已に之を鎖扃せり。
すぐに出かけて行って娘の屋敷を訪ねると、門と土塀はもとのとおりであったが、もはや門にかんぬきをかけて閉ざしていた。
因リテ題二詩ヲ於左扉一ニ曰ハク、
因りて詩を左扉に題して曰はく、
※於=置き字(対象・目的)
そこで、詩を左の扉に書きつけて言うことには、
去年ノ今日此ノ門ノ中
去年の今日此の門の中
昨年の今日、この門の中で、
人面桃花相映ジテ紅ナリ
人面桃花相映じて紅なり
人の顔と桃の花とがお互いに照り映えて紅色になっていた。
人面ハ祇ダ今何レノ処ニカ去ル
人面は祇だ今何れの処にか去る
あの人の顔はいったい今どこに行ってしまったのか、
桃花ハ依レリテ旧ニ笑二フト春風一ニ
桃花は旧に依りて春風に笑ふ と。
桃の花は昔のまま春風にほほ笑んでいるようだ と。
後数日、偶至二リ都城ノ南一ニ、復タ往キテ尋レヌ之ヲ。
後数日、偶都城の南に至り、復た往きて之を尋ぬ。
その数日後、(崔護は)たまたま長安の南に行ったので、再びあの屋敷を訪ねた。
聞三キ其ノ中ニ有二ルヲ哭声一、扣レキテ門ヲ問レフ之ヲ。
其の中に哭声有るを聞き、門を扣きて之を問ふ。
その屋敷の中で泣く声がするのを聞き、門をたたいてそのわけを尋ねた。
有二リ老父一出デテ曰ハク、「君ハ非二ズ崔護一ニ耶ト。」
老父有り、出でて曰はく、「君は崔護に非ずや。」と。
※「 ~歟[邪・乎・也・哉・耶・与]」=疑問、「 ~か(や)」、「 ~か」
老父がいて、出てきて言うことには、「あなたは崔護ではありませんか。」と。
曰ハク、「是也ト。」
曰はく、「是なり。」と。
(崔護が)言うことには、「そうです。」と。
又哭シテ曰ハク、「君殺二セリト吾ガ女一ヲ。」
又哭して曰はく、「君吾が女を殺せり。」と。
(老父が)さらに声をあげて泣いて言うことには、「あなたが私の娘を殺したのです。」と。
護驚キ起チテ、莫レシ知レル所レヲ答フル。
護驚き起ちて、答ふる所を知る莫し。
崔護は驚き立ち上がって、何と答えてよいか分からなかった。
老父曰ハク、「吾ガ女ハ笄年ニシテ知レリ書ヲ、未レダ適レカ人ニ。
老父曰はく、「吾が女は笄年にして書を知り、未だ人に適かず。
※「未ニダ ~ 一(セ)」=再読文字、「未だ ~(せ)ず」、「まだ ~(し)ない」
老父が言うことには、「私の娘は十五歳で学問を身につけていましたが、まだ嫁に行っていませんでした。
自二リ去年一以来、常ニ恍惚トシテ若レシ有レルガ所レ失フ。比日与レ之出ヅ。
去年より以来、常に恍惚として失ふ所有るがごとし。比日之と出づ。
去年以来、いつもぼんやりとして気が抜けたような状態になりました。先日娘と出かけました。
及レビ帰ルニ、見二左扉ニ有一レルヲ字、読レミ之ヲ入レリテ門ニ而病ム。
帰るに及び、左扉に字有るを見、之を読み門に入りて病む。
帰ってくると、(門の)左の扉に字が書いてあるのを見て、それを読んで門の中に入ると病気になりました。
遂ニ絶レツコト食ヲ数日ニシテ而死セリ。吾老イタリ矣。
遂に食を絶つこと数日にして死せり。吾老いたり。
※矣=置き字(断定・強調)
そのまま食事をとらなくなって数日で死んでしまいました。私は年老いています。
此ノ女ノ所二-以ノ不一レリシ嫁ガ者ハ、将下ニ/レバナリ求二メテ君子一ヲ以ツテ託中セント吾ガ身上ヲ。
此の女の嫁がざりし所以の者は、将に君子を求めて以って吾が身を託せんとすればなり。
※「将二ニ/ ~一(セ)ント」=再読文字、「将(まさ)に ~(せ)んとす」、「~しようとする・~するつもりだ」
この娘が嫁に行かなかった理由は、立派な人物を探し求めて自身の身を託そうとしていたからなのです。
今不幸ニシテ而殞ス。得レン非二ザルヲ君殺一レスニ之ヲ耶ト。」
今不幸にして殞す。君之を殺すに非ざるを得んや。」と。
※「 ~(セ)ン歟[邪・乎・也・哉・耶・与]」=反語、「 ~(せ)んや」、「 ~だろうか。(いや、~ない。)」
(娘は)今不幸にも死んでしまいました。あなたが娘を殺さなかったと言えましょうか。(いや、あなたが殺したようなものだ。)」と。
又特ニ大イニ哭ス。崔モ亦感慟シ、請ヒ入リテ哭レスレバ之ニ、尚ホ儼然トシテ在レリ牀ニ。
又特に大いに哭す。崔も亦感慟し、請ひ入りて之に哭すれば、尚ほ儼然として牀に在り。
(老父は)さらに特に大きな声で泣いた。崔護もまた深く悲しみ、頼み込んで屋敷の中に入って娘のために声をあげて泣くと、(娘の遺体は)今もなお厳かできちんとした様子で寝台の上にあった。
崔挙二ゲ其ノ首一ヲ、枕二セシメ其ノ股一ニ、哭シテ而祝リテ曰ハク、「某在レリ斯ニ、某在レリト斯ニ。」
崔其の首を挙げ、其の股に枕せしめ、哭して祝りて曰はく、「某斯に在り、某斯に在り。」と。
崔護は娘の頭を持ち上げ、自分の太ももを枕にさせて、声をあげて泣いて祈って言うことには、「私はここにいますよ、私はここにいますよ。」と。
須臾ニシテ開レキ目ヲ、半日ニシテ復タ活キタリ矣。父大イニ喜ビ、遂ニ以レツテ女ヲ帰レガシム之ニ。
須臾にして目を開き、半日にして復た活きたり。父大いに喜び、遂に女を以つて之に帰がしむ。
※矣=置き字(断定・強調)
しばらくして(娘は)目を開き、半日で再び生き返った。父親はたいそう喜び、そのまま娘を崔護に嫁がせた。