「黒=原文」・「青=現代語訳」
解説・品詞分解のみはこちら平家物語『壇ノ浦(安徳天皇の入水)』解説・品詞分解(1)
さるほどに、四国・鎮西の兵ども、みな平家を背いて源氏につく。
そのうちに、四国・九州の兵たちが、みな平家に反逆して源氏側の軍勢についた。
今まで従ひついたりし者どもも、君に向かつて弓をひき、主に対して太刀を抜く。
今まで従っていた者たちも、君に向かって弓を引き、主に対して太刀を抜いた。
かの岸に着かむとすれば、波高くしてかなひ難し。
あちらの岸に着こうとすると、波が高くてできそうにない。
このみぎはに寄らむとすれば、敵矢先をそろへて待ちかけたり。
こちらの岸に寄ろうとすると、敵が矢先をそろえて待ちかまえている。
源平の国争ひ、今日を限りとぞ見えたりける。
源氏と平家の国を巡っての争いは、今日が最後と見えた。
源氏の兵ども、すでに平家の船に乗り移りければ、
源氏の兵たちは、すでに平家の船に乗り移ったので、
水手梶取ども、射殺され、切り殺されて、船を直すに及ばず、船底に倒れ伏しにけり。
水夫や舵取りたちも、射殺され、斬り殺されて、船の進路を直すことができず、船底に倒れ伏してしまった。
新中納言知盛郷、小船に乗つて、御所の御船に参り、「世の中は今はかうと見えてさうらふ。
新中納言知盛卿は、小船に乗って、(安徳天皇の)御所である御船に参上し、「世の中はもはやこれまでと見えます。
見苦しからむ物ども、みな海へ入れさせ給へ。」とて、
見苦しいような物などは、全て海へお投げ入れください。」とおっしゃって、
艫舳に走り回り、掃いたり拭うたり、塵拾ひ、手づから掃除せられけり。
船の前や後ろへ走り回り、掃いたり拭いたり、塵を拾い、自ら掃除をなさった。
女房たち、「中納言殿、戦はいかにやいかに。」と、口々に問ひ給へば、
女房たちが、「中納言殿、戦いはいったいどのよう状況なのですか。」と、口々にお尋ねになると、
「めづらしき東男をこそ、御覧ぜられさうらはむずらめ。」とて、
(新中納言知盛卿は)「珍しい東男(=源氏の武士)を、ご覧になることでしょう。」とおっしゃって、
からからと笑ひ給へば、
からからとお笑いになるので、
「なんでふのただ今の戯れぞや。」とて、声々にをめき叫び給ひけり。
(女房たちは)「なんという、ただ今の(このような状況での)ご冗談ですか。」と言って、声ごえにわめき叫びなさった。
(2)
二位殿はこの有様を御覧じて、日ごろ思し召しまうけたる事なれば、
二位殿(=平時子)はこの有様をご覧になって、日ごろから心構えをなさっていた事なので、
鈍色の二つ衣うちかづき、練袴のそば高く挟み、神璽を脇に挟み、宝剣を腰に差し、主上を抱きたてまつつて、
濃い灰色の二枚重ねの衣を頭にかぶり、練絹の袴のそばを高く挟んで(すそを上げ)、神璽を脇に挟み、宝剣を腰に差し、主上を抱き申し上げて、
「わが身は女なりとも、敵の手にはかかるまじ。君の御供に参るなり。
「わが身は女であっても、敵の手にはかからないつもりだ。天皇の御供をして参るのである。
御心ざし思ひ参らせ給はむ人々は急ぎ続き給へ。」とて、
誠意をもって思い申し上げなさるような人々は、急いで(私の後に)お続きなさい。」と言って、
船端へ歩み出でられけり。
船端へ歩み出なさった。
主上今年は八歳にならせ給へども、御年のほどよりはるかにねびさせ給ひて、
主上(=安徳天皇)は今年は八歳におなりになったけれども、ご年齢のわりにははるかに大人びていらっしゃって、
御かたちうつくしく辺りも照り輝くばかりなり。
ご容貌は端麗で、辺りも照り輝くほどである。
御髪黒うゆらゆらとして、御背中過ぎさせ給へり。
御髪は黒くゆらゆらとして、御背中より下まで垂れ下がっていらっしゃる。
あきれたる御有様にて、「尼ぜ、我をばいづちへ具して行かむとするぞ。」と仰せければ、
(安徳天皇は)あっけにとられた御様子で、「尼御前、私をどこへ連れて行こうとしているのか。」とおっしゃったので、
いとけなき君に向かひ奉り、涙を抑へて申されけるは、
(二位殿が)幼い帝にお向かい申し上げて、涙を抑えて申し上げなさったことは、
「君はいまだ知ろしめされさぶらはずや。
「君はまだご存じではありませんか。
先世の十善戒行の御力によつて、今万乗の主と生まれさせ給へども、
前世での十善戒行のお力によって、今万乗の主(=天皇)としてお生まれになりましたが、
悪縁にひかれて、御運すでにつきさせ給ひぬ。
悪縁に引っぱられて、ご運はもはやお尽きになりました。
まづ東に向かはせ給ひて、伊勢大神宮に御暇申させ給ひ、
まず東にお向きになって、伊勢大神宮へお別れを申し上げなさり、
その後西方浄土の来迎のあづからむと思し召し、西に向かはせ給ひて御念仏さぶらふべし。
その後、西方浄土からのお迎えにあずかろうととお思いになり、西にお向きになって御念仏をお唱えなさいませ。
この国は粟散辺地とて心憂き境にてさぶらへば、
この国は粟散辺地といって、つらい場所でございますので、
極楽浄土とてめでたき所へ具し参らせさぶらふぞ。」
極楽浄土という素晴らしい所へお連れ申し上げましょう。」
と泣く泣く申させ給ひければ、
と、泣く泣く申し上げなさったので、
山鳩色の御衣に、びんづら結はせ給ひて、御涙におぼれ、
山鳩色の御衣に、びんずらをお結いになって、お涙をたくさんお流しになり、
小さくうつくしき御手をあはせ、まづ東を伏し拝み、伊勢大神宮に御暇申させ給ひ、
小さくかわいらしい御手を合わせ、まず東を伏し拝み、伊勢大神宮にお別れを申し上げなさり、
その後西に向かはせ給ひて、御念仏ありしかば、
その後、西にお向きなって、御念仏をお唱えになったので、
二位殿やがていだきたてまつり、
二位殿はそのままお抱き申し上げ、
「波の下にも都のさぶらふぞ」となぐさめたてまつつて、千尋の底へぞ入り給ふ。
「波の下にも都がございますよ。」とお慰め申して、深い海の底へお入りになった。
(3)
悲しきかな、無常の春の風、たちまちに花の御姿を散らし、なさけなきかな、
悲しいことよ。無常の春の風が、たちまちに花のような(美しい天皇の)御姿を散らし、痛ましいことであるよ。
分段の荒き波、玉体を沈め奉る。
分段の荒波は、(天皇の)玉体をお沈め申し上げた。
※分段=生死を繰り返す輪廻の運命。
殿をば長生と名づけて長き住みかと定め、門をば不老と号して老いせぬとざしと説きたれども、
その御殿を長生と名付けて長く暮らす住居と定め、門を不老と称して老いることのない門と説いたけれども、
いまだ十歳のうちにして、底の水屑とならせ給ふ。
まだ十歳にもならないうちに、海底の水屑となりなさった。
十善帝位の御果報申すもなかなかおろかなり。
十善の(行いによって)帝位(につくことができた現世で)の御果報は、言葉にして申し上げるのもかえっていいかげんだ(=何とも申し上げようがない)。
※果報=前世での行いによる報い。
雲上の竜下つて海底の魚となり給ふ。
雲の上の竜が下って海底の魚とおなりになった。
大梵高台の閣の上、釈提喜見の宮の内、いにしへは槐門棘路の間に九族をなびかし、
大梵天王の住む宮殿の上、帝釈天の住む喜見城の中で、昔は大臣・公卿に囲まれて平家一門をお従えになり、
今は船の内波の下に、御命を一時に滅ぼし給ふこそ悲しけれ。
今は船の中に住み、波の下で、御命を一瞬で滅ぼしなさったことは悲しいことである。