古文

大鏡『肝だめし』解説・品詞分解(2)

「黒=原文」・「赤=解説」・「青=現代語訳

【主な登場人物】

(おお)(にゅう)(どう)殿(どの)=藤原兼家(かねいえ)、道長・道隆・道兼の親。  (なか)(かん)(ぱく)殿(どの)=藤原道隆(みちたか)、兼家の子。  (あわ)()殿(どの)=藤原道兼(みちかね)、兼家の子。  (にゅう)(どう)殿(どの)=藤原道長(みちなが)、兼家の子。教通の親  (ない)(だい)(じん)殿(どの)=藤原教通(のりみち)、道長の子    =花山院  ()(じょう)(だい)()(ごん)=藤原(きん)(とう)

 原文・現代語訳のみはこちら大鏡『肝だめし』現代語訳(1)(2)

 

さる べき人は、とう より御心魂のたけく

 

さる=ラ変動詞「然り(さり)」の連体形、そうだ、そうである。適切である、ふさわしい、しかるべきだ。

 

べき=当然の助動詞「べし」の連体形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。㋜推量㋑意志㋕可能㋣当然㋱命令㋢適当のおよそ六つの意味がある。

 

とう(疾う)=ク活用の形容詞「疾し(とし)」の連用形が音便化したもの、早い。

 

より=格助詞、(起点)~から。(手段・用法)~で。(経過点)~を通って。(即時:直前に連体形がきて)~するやいなや。

 

たけく=ク活用の形容詞「猛し(たけし)」の連用形

 

そうなるはずの人(=将来偉くなりそうな人)は、若い頃からお心が強く、

 

 

御守りもこはき  めりおぼえ 侍るは。

 

こはき=ク活用の形容詞「強し(こはし)」の連体形

 

な=断定の助動詞「なり」の連体形が音便化して無表記化されたもの。「なるめり」→「なんめり(音便化)」→「なめり(無表記化)」。接続は体言・連体形

 

めり=推定の助動詞「めり」の終止形、接続は終止形(ラ変は連体形)。視覚的なこと(見たこと)を根拠にする推定の助動詞である。

 

おぼえ=ヤ行下二段動詞「思ゆ・覚ゆ(おぼゆ)」の連用形。「ゆ」には受身・自発・可能の意味が含まれており、ここでは「自発」の意味で使われている。訳:「(自然と)思われ」

 

侍る=補助動詞ラ変「侍り(はべり)」の連体形、丁寧語。言葉の受け手である読者を敬っている。作者からの敬意。

※「候ふ(さぶらふ)・侍り(はべり)」は補助動詞だと丁寧語「~です、~ます」の意味であるが、本動詞だと、丁寧語「あります、ございます、おります」と謙譲語「お仕え申し上げる、お控え申し上げる」の二つ意味がある。

※尊敬語は動作の主体を敬う

※謙譲語は動作の対象を敬う

※丁寧語は言葉の受け手(聞き手・詠み手)を敬う。

どの敬語も、その敬語を実質的に使った人間からの敬意である。

 

(神仏の)ご加護も強固なものであるようだと思われますよ。

 

 

花山院の御時に、五月(さつき)下つ闇に、五月雨(さみだれ)も過ぎて、いとおどろおどろしくかきたれ雨の降る夜、

 

おどろおどろしく=シク活用の形容詞「おどろおどろし」の連用形、恐ろしい、気味が悪い。おおげさだ、ものすごい。

 

花山院が(帝として)ご在位の時、五月下旬の闇夜に、五月雨の時期も過ぎて、たいそう気味悪く激しく雨の降る夜、

 

 

帝、さうざうし 思し召し けむ

 

さうざうし=シク活用の形容詞「さうざうし」の終止形、なんとなく物足りない、心寂しい。

 

や=疑問の係助詞、結びは連体形となる。係り結び。

 

思し召し=サ行四段動詞「思し召す(おぼしめす)」の連用形、「思ふ」の尊敬語。動作の主体である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。

 

けむ=過去(の原因)推量の助動詞「けむ」の連体形、接続は連用形。係助詞「や」を受けて連体形となっている。係り結び。基本的に「けむ」は文末に来ると「過去推量・過去の原因推量」、文中に来ると「過去の伝聞・過去の婉曲」。

 

帝(=花山院)は、心寂しいとお思いになったのだろうか、

 

 

殿上に出でさせ おはしまし遊び おはしまし けるに、

 

させ=尊敬の助動詞「さす」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。「おはします」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。

 

おはしまし=補助動詞サ行四段「おはします」の連用形、尊敬語。「おはす」より敬意が高い言い方。動作の主体である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。

 

遊び=バ行四段動詞「遊ぶ」の連用形、(詩歌・音楽などの)遊戯や娯楽をして楽しむ。

 

おはしまし=補助動詞サ行四段「おはします」の連用形、尊敬語。「おはす」より敬意が高い言い方。動作の主体である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。

 

ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形

 

殿上にお出ましになって、詩歌・音楽などの遊びをしていらっしゃった時に、

 

 

人々物語 申しなど 給うて、

 

物語=名詞、雑談、世間話、話、相談

 

申し=サ行四段動詞「申す」の連用形、「言ふ」の謙譲語。動作の対象である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。

 

し=サ変動詞「す」の連用形、する。

 

給う=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連用形が音便化したもの、尊敬語。動作の主体である人々を敬っている。作者からの敬意。

 

人々が、世間話を申し上げなどなさって、

 

 

昔恐ろしかりけることどもなどに申しなり 給へ に、

 

ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形

 

申しなり=ラ行四段動詞「申し成る」の連用形、「言ひ成る」の謙譲語。話の成り行きで、そのようになる。動作の対象を敬っている。作者からの敬意。

 

給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の已然形、尊敬語。動作の主体を敬っている。作者からの敬意。

 

る=完了の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形

 

昔恐ろしかったことなどにお話がお移りになったところ、



 

()(よい)こそいとむつかしげなる めれ

 

こそ=強調の係助詞、結びは已然形となる。係り結び。

 

むつかしげなる=ナリ活用の形容動詞「むつかしげなり」の連体形、気味が悪い。見苦しい、むさくるしい。わずらわしい、面倒だ。

 

な=断定の助動詞「なり」の連体形が音便化して無表記化されたもの。「なるめり」→「なんめり(音便化)」→「なめり(無表記化)」。接続は体言・連体形

 

めれ=推定の助動詞「めり」の已然形、接続は終止形(ラ変は連体形)。係助詞「こそ」を受けて已然形となっている。係り結び。視覚的なこと(見たこと)を根拠にする推定の助動詞である。

 

(花山院は、)「今夜は、たいそう気味が悪い夜であるようだ。

 

 

かく人がちなるだに気色 おぼゆ

 

斯く(かく)=副詞、こう、このように。

 

だに=副助詞、類推(~さえ・~のようなものでさえ)。強調(せめて~だけでも)。添加(~までも)。

 

気色(けしき)=名詞、様子、状態。ありさま、態度、そぶり。

 

おぼゆ=ヤ行下二段動詞「思ゆ・覚ゆ(おぼゆ)」の終止形。「ゆ」には受身・自発・可能の意味が含まれており、ここでは「自発」の意味で使われている。訳:「(自然と)思われる・感じられる」

 

このように人が多くいてさえ、不気味な感じがする。

 

 

まして、もの離れたる所などいかなら 

 

たる=存続の助動詞「たり」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形

 

いかなら=ナリ活用の形容動詞「いかなり」の未然形。どのようだ、どういうふうだ

 

む=推量の助動詞「む」の連体形、接続は未然形。㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文末に来ると「㋜推量・㋑意志・㋕勧誘」のどれかである。

 

まして、人気のない離れた所などはどうであろうか。

 

 

 あら 所に、ひとり往な  。」

 

さ=副詞、そう、その通りに、そのように。

 

あら=ラ変動詞「あり」の未然形

 

む=婉曲の助動詞「む」の連体形、接続は未然形。この「む」は、㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文中に来ると「㋕仮定・㋓婉曲」のどれかである。直後に体言があると婉曲になりがち。婉曲とは遠回しな表現。

 

往な=ナ変動詞「往ぬ(いぬ)」の未然形、立ち去る、行ってしまう。ナ行変格活用の動詞は「死ぬ・往ぬ(いぬ)・去ぬ(いぬ)」

 

む=推量の助動詞「む」の終止形、接続は未然形。㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文末に来ると「㋜推量・㋑意志・㋕勧誘」のどれかである。

 

や=疑問の係助詞

 

そのような所に、一人で行けるだろうか。」

 

 

仰せ られ けるに、

 

仰せ=サ行下二段動詞「仰す(おほす)」の未然形。「言ふ」の尊敬語、おっしゃる。動作の主体である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。

 

られ=尊敬の助動詞「らる」の連用形、接続は未然形。直前の「仰せ」と合わせて二重敬語、いずれも帝(=花山院)を敬っている。助動詞「らる」には「受身・尊敬・自発・可能」の4つの意味があるが、「仰せらる」の場合の「らる」は必ず「尊敬」と思ってよい。

 

ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形

 

とおっしゃったところ、

 

 

 まから 。」とのみ申し 給ひ けるを、

 

え=副詞、下に打消の表現を伴って「~できない」

 

まから=ラ行四段動詞「まかる」の未然形、謙譲語。退出する。参る。動作の対象である帝(=花山院)を敬っている。

 

じ=打消推量の助動詞「じ」の終止形、接続は未然形

 

申し=サ行四段動詞「申す」の連用形、「言ふ」の謙譲語。動作の対象である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。

 

給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連用形、尊敬語。動作の主体を敬っている。作者からの敬意。

 

ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形

 

(その場に居た人々は)「(そのような場所には)参ることはできないでしょう。」とばかり申し上げなさったのに、

 

 

入道殿は、「いづく なり ともまかり  。」

 

いづく=代名詞、どこ

 

なり=断定の助動詞「なり」の終止形、接続は体言・連体形

 

とも=逆接の接続助詞

 

まかり=ラ行四段動詞「まかる」の連用形、謙譲語。退出する。参る。動作の対象である帝(=花山院)を敬っている。入道殿(=藤原道長)からの敬意。

 

な=強意の助動詞「ぬ」の未然形、接続は連用形。「つ・ぬ」は「完了・強意」の二つの意味があるが、直後に推量系統の助動詞「む・べし・らむ・まし」などが来るときには「強意」の意味となる。

 

む=意志の助動詞「む」の終止形、接続は未然形。㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文末に来ると「㋜推量・㋑意志・㋕勧誘」のどれかである。

 

入道殿(=藤原道長)は、「どこであろうとも、参りましょう。」

 

 

申し 給ひ けれ 

 

申し=サ行四段動詞「申す」の連用形、「言ふ」の謙譲語。動作の対象である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。

 

給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連用形、尊敬語。動作の主体である入道殿(=藤原道長)を敬っている。作者からの敬意。

 

けれ=過去の助動詞「けり」の已然形、接続は連用形

 

ば=接続助詞、直前が已然形だから①原因・理由「~なので、~から」②偶然条件「~ところ・~と」③恒常条件「(~する)といつも」のどれかであるが、文脈判断をして①の意味でとる。ちなみに、直前が未然形ならば④仮定条件「もし~ならば」である。

 

と申し上げなさったので、

 

 

さるところおはしますて、「いと あることなりさらば、行け。道隆は豊楽院、道兼は仁寿殿の塗籠、道長は大極殿へ行け。」

 

さる=連体詞あるいはラ変動詞「然り(さり)」の連体形、そうだ、そうである。適切である、ふさわしい、しかるべきだ。

 

おはします=サ行四段動詞「おはします」の連体形。「あり・居り・行く・来」の尊敬語。「おはす」より敬意が高い言い方。いらっしゃる、おられる、あおりになる。動作の主体である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。

 

に=断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形

 

興(きょう)=名詞、面白さ、興趣、趣き

 

ある=ラ変動詞「あり」の連体形

 

なり=断定の助動詞「なり」の終止形、接続は体言・連体形

 

さらば=接続語、それならば、それでは

 

そのような(ことをおもしろがる)ところのおありになる帝で、「たいそうおもしろいことだ。それならば、行け。道隆は豊楽院、道兼は仁寿殿の塗籠、道長は大極殿へ行け。」

 

 

仰せ られ けれ 、よその君達は、便なきことをも奏し  ける かなと思ふ。

 

仰せ=サ行下二段動詞「仰す(おほす)」の未然形。「言ふ」の尊敬語、おっしゃる。動作の主体である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。

 

られ=尊敬の助動詞「らる」の連用形、接続は未然形。直前の「仰せ」と合わせて二重敬語、いずれも帝(=花山院)を敬っている。助動詞「らる」には「受身・尊敬・自発・可能」の4つの意味があるが、「仰せらる」の場合の「らる」は必ず「尊敬」と思ってよい。

 

けれ=過去の助動詞「けり」の已然形、接続は連用形

 

ば=接続助詞、直前が已然形であり、①原因・理由「~なので、~から」の意味で使われている。

 

奏し=サ変動詞「奏す(そうす)」の連用形、「言ふ」の謙譲語。絶対敬語と呼ばれるもので、「天皇・上皇」に対してしか用いない。よって、帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。

訳:「天皇(あるいは上皇)に申し上げる」

 

て=完了の助動詞「つ」の連用形、接続は連用形

 

ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形

 

かな=詠嘆の終助詞

 

とおっしゃったので、他の君達(=命じられた三人以外の君達)は、都合の悪いことを(入道殿は)申し上げたなあと思う。



 

また、承ら 給へ 殿ばらは、御気色変はりて、益なしと思し たるに、

 

せ=尊敬の助動詞「す」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。「給ふ」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である中の関白殿(=藤原道隆)・粟田殿(=藤原道兼)を敬っている。作者からの敬意。

 

給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の已然形、尊敬語。

 

る=完了の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形

 

気色(けしき)=名詞、様子、状態。ありさま、態度、そぶり。

 

思し=サ行四段動詞「思す(おぼす)」の連用形。「思ふ」の尊敬語。動作の主体である中の関白殿(=藤原道隆)・粟田殿(=藤原道兼)などを敬っている。作者からの敬意。

 

たる=存続の助動詞「たり」の連体形、接続は連用形

 

また、(帝のご命令を)お受けになった殿たち(=道隆・道兼)は、お顔色が変わって、困ったことだとお思いになっているのに、

 

 

入道殿は、つゆ さる 御気色もなくて、「私の従者を 具し 候は 

 

つゆ=「つゆ」の後に打消語(否定語)を伴って、「まったく~ない・少しも~ない」となる重要語。ここでは「なく」が打消語

 

さる=連体詞あるいはラ変動詞「然り(さり)」の連体形、そうだ、そうである。適切である、ふさわしい、しかるべきだ。

 

気色(けしき)=名詞、様子、状態。ありさま、態度、そぶり。

 

ば=強調の係助詞。強調する意味があるが、訳す際に無視しても構わない。

 

具し=サ変動詞「具す(ぐす)」の連用形、引き連れる、一緒に行く、伴う。持っている。

 

候は=補助動詞ハ行四段「候ふ(さぶらふ)」の未然形、丁寧語。帝(=花山院)を敬っている。入道殿(=藤原道長)からの敬意。

※「候ふ(さぶらふ)・侍り(はべり)」は補助動詞だと丁寧語「~です、~ます」の意味であるが、本動詞だと、丁寧語「あります、ございます、おります」と謙譲語「お仕え申し上げる、お控え申し上げる」の二つ意味がある。

 

じ=打消意志の助動詞「じ」の終止形、接続は未然形

 

入道殿(=道長)は、少しもそのようなご様子もなくて、「私の従者は連れて行きますまい。

 

 

この陣の吉上まれ、滝口まれ、一人を、『(しょう)(けい)(もん)まで送れ。』と仰せ言賜べ

 

まれ=「もあれ」がつづまった形。

 

賜べ=バ行四段動詞「賜ぶ(たぶ)」の命令形、尊敬語。お与えになる、下さる。動作の主体である帝(=花山院)を敬っている。入道殿(=藤原道長)からの敬意。

 

この近衛の陣の吉上でも、滝口の武士でも(誰でもよいから)、一人に『昭慶門まで送れ。』とご命令をください。

 

 

それより内には一人入り侍ら 。」と申し 給へ 

 

より=格助詞、(起点)~から。(手段・用法)~で。(経過点)~を通って。(即時:直前に連体形がきて)~するやいなや。

 

侍ら=補助動詞ラ変「侍り(はべり)」の未然形、丁寧語。言葉の受け手である帝(=花山院)を敬っている。入道殿(=藤原道長)からの敬意。

 

む=意志の助動詞「む」の終止形、接続は未然形。㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文末に来ると「㋜推量・㋑意志・㋕勧誘」のどれかである。

 

申し=サ行四段動詞「申す」の連用形、「言ふ」の謙譲語。動作の対象である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。

 

給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の已然形、尊敬語。動作の主体である入道殿(=藤原道長)を敬っている。作者からの敬意。

 

ば=接続助詞、直前が已然形であり、②偶然条件「~ところ・~と」の意味で使われている。

 

そこから内には一人で入りましょう。」と申し上げなさると、

 

 

「証なきこと。」と仰せ らるるに、

 

仰せ=サ行下二段動詞「仰す(おほす)」の未然形。「言ふ」の尊敬語、おっしゃる。動作の主体である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。

 

らるる=尊敬の助動詞「らる」の連体形、接続は未然形。直前の「仰せ」と合わせて二重敬語、いずれも帝(=花山院)を敬っている。助動詞「らる」には「受身・尊敬・自発・可能」の4つの意味があるが、「仰せらる」の場合の「らる」は必ず「尊敬」と思ってよい。

 

「(一人で行ったという)証拠がないことだ。」とおっしゃるので、



 

げに。」とて、御手箱に置か 給へ ()(がたな)申して立ち給ひ 

 

げに(実に)=副詞、なるほど、実に、まことに。本当に。

 

せ=尊敬の助動詞「す」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」は直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。「給ふ」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。

 

給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の已然形、尊敬語。

 

る=存続の助動詞「り」の連体形、接続はサ変なら未然形・四段なら已然形

 

申し=サ行四段動詞「申す」の連用形、謙譲語。動作の対象である帝(=花山院)を敬っている。作者からの敬意。

 

給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ(たまふ)」の連用形、尊敬語。動作の主体である入道殿(=藤原道長)を敬っている。作者からの敬意。

 

ぬ=完了の助動詞「ぬ」の終止形、接続は連用形

 

(入道殿は)「なるほど。」と思って、(花山院が)御手箱に置いていらっしゃる小刀をいただいてお立ちになった。

 

 

いま二所も、苦む苦むおのおのおはさうじ 

 

おはさうじ=サ変動詞「おはさうず」の連用形、「あり・居り・行く・来」の尊敬語。いらっしゃる、おられる、あおりになる。動作の主体である中の関白殿(=藤原道隆)・粟田殿(=藤原道兼)を敬っている。作者からの敬意。

 

ぬ=完了の助動詞「ぬ」の終止形、接続は連用形

 

もうお二人(=道隆・道兼)も、しぶしぶそれぞれお出かけになった。

 

 

 

続きはこちら大鏡『肝だめし』解説・品詞分解(3)

 

 大鏡『肝だめし』現代語訳(1)(2)

 

大鏡『肝だめし』品詞分解のみ(2)

 

大鏡『肝だめし』まとめ

 

 

 

-古文