「黒=原文」・「青=現代語訳」
解説・品詞分解はこちら徒然草『家居のつきづきしく』解説・品詞分解(1)
家居のつきづきしく、あらまほしきこそ、仮の宿りとは思へど、興あるものなれ。
住まいが調和していて、好ましい(造りな)のは、無情なこの世の一時的な住まいとは思うけれど、趣深いものである。
よき人の、のどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も、ひときはしみじみと見ゆるぞかし。
身分も高く教養のある人が、ゆったりと穏やかに住んでいる所は、差し込む月の光も、ひときわ心にしみるように見えるものだよ。
今めかしくきららかならねど、
現代風に華やかではないけれど、
木だちもの古りて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、
(庭の)木々はどことなく古めかしく、特別に手を入れていない庭の草も趣のある様子で、
簀子・透垣のたよりをかしく、
縁側と垣根の配置ぐあいも風情があり、
うちある調度も昔覚えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。
ちょっと置いてある調度(=身の回りの道具・家具など)も古風に思えて落ち着いた感じなのは、奥ゆかしく見える。
多くの工の心をつくしてみがきたて、唐の、大和の、めづらしく、えならぬ調度ども並べ置き、
(これに対して)多くの職人が心をつくして造り上げ、中国製の、日本製の、珍しく、なんとも言いようがない(ほど立派な)調度類を並べ置き、
前栽の草木まで心のままならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。
庭の植え込みの草木まで自然のままでなく(不自然に手を加えて)作り上げているのは、見た目も見苦しく、本当に困ったことだ。
さてもやは、長らへ住むべき。
そういう状態でも、生き長らえて住むことができようか。(いや、できないだろう。)
また、時の間の煙ともなりなむとぞ、うち見るより思はるる。
また、(火事などで)一瞬の間の煙ともなってしまうだろうと、ちょっと見るとすぐに思われる。
大方は、家居にこそ、ことざまはおしはからるれ。
大体は、住まいによって、住む人の人柄は自然と推測される。
(2)
後徳大寺大臣の、寝殿に鳶ゐさせじとて縄を張られたりけるを、西行が見て、
後徳大寺大臣が、寝殿(の屋根)に鳶をとまらせまいとして縄をお張りになったのを、西行が見て、
「鳶のゐたらむは、何かは苦しかるべき。
「鳶がとまっているのが、何の不都合があろうか。(いや、ないだろう。)
この殿の御心、さばかりにこそ。」とて、
この殿のお心は、その程度であったのだ。」と言って、
その後は参らざりけると聞き侍るに、
その後は参上しなかったと聞きましたが、
綾小路宮のおはします小坂殿の棟に、いつぞや縄を引かれたりしかば、
綾小路宮が(住んで)いらっしゃる小坂殿の棟に、いつだったか縄をお引きになったので、
かの例思ひ出でられ侍りしに、まことや、
あの(後徳大寺大臣の)例が自然と思い出されました時に、そう言えば確か、
「烏の群れゐて池の蛙をとりければ、御覧じて悲しませ給ひてなむ。」
「カラスが(屋根に)群がりとまって、池の蛙をとったので、(それを宮様が)ご覧になって悲しくお思いになって(カラスを防ごうと縄を引かせなさったのだ)。」
と人の語りしこそ、さてはいみじくこそと覚えしか。
と、ある人が語ったのは、それではすばらしいことであると思われた。
徳大寺にもいかなる故か侍りけむ。
後徳大寺大臣の場合にも、何か理由がございましたのでしょうか。