「黒=原文」・「赤=解説」・「青=現代語訳」
原文・現代語訳のみはこちら徒然草『これも仁和寺の法師』現代語訳(1)(2)
これも仁和寺の法師、童の法師にならむとする名残とて、おのおの遊ぶ事ありけるに、
む=意志の助動詞「む」の終止形、接続は未然形。㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文末に来ると「㋜推量・㋑意志・㋕勧誘」のどれかである。
遊ぶ=バ行四段動詞「遊ぶ」の連体形、(詩歌・音楽などの)遊戯や娯楽をして楽しむ
ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形
これも仁和寺の法師(の話であるが)、(寺の)子が法師になろうとするお別れということで、それぞれに歌ったり舞ったりすることがあったが、
酔ひて興に入るあまり、傍らなる足鼎を取りて、頭にかづき たれ ば、
なる=存在の助動詞「なり」の連体形、接続は体言・連体形。「なり」は直前が体言(名詞)である時、断定の意味になることが多いが、その体言が場所を表すものであれば今回のように「存在」の意味になることがある。訳:「~にある」
かづき=カ行四段動詞「被く(かづく)」の連用形、かぶる。もらう、(褒美などを)いただく。
※四段活用と下二段活用の両方になる動詞があり、下二段になると「使役」の意味が加わり、「かぶせる。与える。」といった意味になる。
たれ=完了の助動詞「たり」の已然形、接続は連用形
ば=接続助詞、直前が已然形だから①原因・理由「~なので、~から」②偶然条件「~ところ・~と」③恒常条件「(~する)といつも」のどれかであるが、文脈判断をして②の意味でとる。ちなみに、直前が未然形ならば④仮定条件「もし~ならば」である。
酔って興に入るあまりに、そばにあった足鼎(=三本の足がついた釜)を取って、頭にかぶったところ、
詰まるやうにするを、鼻をおし平めて、顔をさし入れて舞ひ出でたるに、満座興に入る事かぎりなし。
やうに=比況の助動詞「やうなり」の連用形
たる=完了の助動詞「たり」の連体形、接続は連用形
満座=名詞、その場に居るみんな
(足鼎が頭の途中で)つかえるようになるのを、鼻を押して平らにして、顔をさしこんで舞い出したので、その場に居るみんなが面白がることこの上なかった。
しばし奏でて後、抜かむとするに、おほかた抜かれ ず。
む=意志の助動詞「む」の終止形、接続は未然形。㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文末に来ると「㋜推量・㋑意志・㋕勧誘」のどれかである。
おほかた=副詞、だいたい。下に打消の表現を伴って「まったく ~ない、いっこうに ~ない」
れ=可能の助動詞「る」の未然形、接続は未然形。「る」には「受身・尊敬・自発・可能」の四つの意味があるがここは文脈判断。平安以前では下に打消が来て「可能」の意味で用いられることが多い。平安以前では「可能」の意味の時は下に「打消」が来るということだが、下に「打消」が来ているからといって「可能」だとは限らない。鎌倉以降は「る・らる」単体でも可能の意味で用いられるようになった。
ず=打消の助動詞「ず」の終止形、接続は未然形
しばらく舞を舞った後、(足鼎を頭から)抜こうとするが、まったく抜けない。
酒宴ことさめて、いかがはせんと惑ひけり。
いかがはせむ=どうしようか
いかが=副詞、どんなに…か。「いかが」には係助詞「か」が含まれており、係り結びがおこっている。
は=強調の係助詞
せ=サ変動詞「す」の未然形、する
む=意志の助動詞「む」の連体形、接続は未然形。係助詞「か」を受けて連体形となっている。係り結び。
けり=過去の助動詞「けり」の終止形、接続は連用形
酒宴も興がさめて、どうしようかと途方にくれた。
とかく すれ ば、首のまはりかけて血たり、ただ腫れに腫れみちて、息もつまりけれ ば、
とかく=副詞、あれやこれやと、何かと
すれ=サ変動詞「す」の已然形、する
ば=接続助詞、直前が已然形だから①原因・理由「~なので、~から」②偶然条件「~ところ・~と」③恒常条件「(~する)といつも」のどれかであるが、文脈判断をして②の意味でとる。ちなみに、直前が未然形ならば④仮定条件「もし~ならば」である。
けれ=過去の助動詞「けり」の已然形、接続は連用形
ば=接続助詞、直前が已然形であり、①原因・理由「~なので、~から」の意味で使われている。
(頭から抜こうと)あれやこれやすると、首のまわりに傷がついて血が垂れ、ただ腫れに腫れあがって、息もつまってきたので、
打ち割らむとすれど、たやすく割れず。
む=意志の助動詞「む」の終止形、接続は未然形。㋜推量・㋑意志・㋕勧誘・㋕仮定・㋓婉曲の五つの意味があるが、文末に来ると「㋜推量・㋑意志・㋕勧誘」のどれかである。
ど=逆接の接続助詞、活用語の已然形につく。
ず=打消の助動詞「ず」の終止形、接続は未然形
(足鼎を)たたき割ろうとするけれど、簡単には割れない。
響きて堪へがたかり けれ ば、かなは で、
堪へがたかり=ク活用の形容詞「堪へ難し」の連用形、我慢できない、耐えられない。つらい、苦しい。
堪ふ・耐ふ・勝ふ(たふ)=ハ行下二段動詞、我慢する、こらえる。能力がある、すぐれている。
けれ=過去の助動詞「けり」の已然形、接続は連用形
ば=接続助詞、直前が已然形であり、①原因・理由「~なので、~から」の意味で使われている。
かなは=ハ行四段動詞「叶ふ・適ふ(かなふ)」の未然形。思い通りになる。ここでは、無事に足鼎が割れることを意味している。
で=打消の接続助詞、接続は未然形。「ず(打消しの助動詞)+して(接続助詞)」→「で」となったもの。
(足鼎をたたく音が)響いて我慢ができなかったので、割ることもできず、
す べきやうもなくて、三足なる角の上に、帷子をうちかけて、手をひき杖をつかせて、
す=サ変動詞「す」の終止形、する
べき=可能の助動詞「べし」の連体形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。「べし」は㋜推量㋑意志㋕可能㋣当然㋱命令㋢適当のおよそ六つの意味がある
なる=断定の助動詞「なり」の連体形、接続は体言・連体形
せ=使役の助動詞「す」の連用形、接続は未然形。「す・さす・しむ」には、「使役と尊敬」の二つの意味があるが、直後に尊敬語が来ていない場合は必ず「使役」の意味である。
どうしようもなくて、(足鼎の)三足になっている角の上に、着物をかけて、手を引き杖をつかせて、
京なる医師のがり、率て行きける道すがら、人のあやしみ見る事かぎりなし。
なる=存在の助動詞「なり」の連体形、接続は体言・連体形。「なり」は直前が体言(名詞)である時、断定の意味になることが多いが、その体言が場所を表すものであれば今回のように「存在」の意味になることがある。訳:「~にある」
~(の)がり=~のもとへ、 ~のところへ
率(ゐ)=ワ行上一段動詞「率る(ゐる)」の連用形。率(ひき)いる、引き連れていく。上一段活用の動詞は「{ ひ・い・き・に・み・ゐ } る」と覚える。
ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形
すがら=~の間中、ずっと。~の途中。ただ~だけ。
京にいる医者のところへ、連れて行った道の途中で、人々が不思議がって見ることこの上なかった。
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